<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?><rss version="2.0"
	xmlns:content="http://purl.org/rss/1.0/modules/content/"
	xmlns:wfw="http://wellformedweb.org/CommentAPI/"
	xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"
	xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"
	xmlns:sy="http://purl.org/rss/1.0/modules/syndication/"
	xmlns:slash="http://purl.org/rss/1.0/modules/slash/"
	>

<channel>
	<title>Fusion | 気ままに音楽生活</title>
	<atom:link href="https://kimama-music.com/category/fusion/feed/" rel="self" type="application/rss+xml" />
	<link>https://kimama-music.com</link>
	<description>いささか気ままに──ではありますが　素敵な音楽をご紹介してまいりますので　どうぞよろしくお願いいたします</description>
	<lastBuildDate>Mon, 12 Oct 2026 08:22:19 +0000</lastBuildDate>
	<language>ja</language>
	<sy:updatePeriod>
	hourly	</sy:updatePeriod>
	<sy:updateFrequency>
	1	</sy:updateFrequency>
	<generator>https://wordpress.org/?v=7.1.3</generator>

<image>
	<url>https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/cropped-kiico-32x32.png</url>
	<title>Fusion | 気ままに音楽生活</title>
	<link>https://kimama-music.com</link>
	<width>32</width>
	<height>32</height>
</image> 
	<item>
		<title>Patrick Williams&#8217; New York Band / 10th Avenue (1987年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/patrick-williams-new-york-band-10th-avenue/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=patrick-williams-new-york-band-10th-avenue</link>
					<comments>https://kimama-music.com/patrick-williams-new-york-band-10th-avenue/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 11 Oct 2026 07:22:11 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Patrick Williams]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9790</guid>

					<description><![CDATA[エミー賞、グラミー賞受賞歴をもつアメリカの作編曲家パトリック・ウイリアムズが東海岸のファーストコール・ミュージシャンとともに吹き込んだフュージョンの隠れ名盤、パトリック・ウィリアムズ・ニューヨーク・バンドの『10th ア [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">エミー賞、グラミー賞受賞歴をもつアメリカの作編曲家パトリック・ウイリアムズが東海岸のファーストコール・ミュージシャンとともに吹き込んだフュージョンの隠れ名盤、パトリック・ウィリアムズ・ニューヨーク・バンドの『10th アヴェニュー』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Patrick Williams&#8217; New York Band / 10th Avenue (1987)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Still Crazy After All These Years</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-2" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-2">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">エミー賞、グラミー賞受賞歴をもつアメリカの作編曲家パトリック・ウイリアムズが東海岸のファーストコール・ミュージシャンとともに吹き込んだフュージョンの隠れ名盤、パトリック・ウィリアムズ・ニューヨーク・バンドの『10th アヴェニュー』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">アメリカでは著名な音楽家だが日本での知名度はきわめて低い</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">ウィリアムズのキャリアは1960年代の半ばからはじまった</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">当時がフュージョンの衰退期でなかったらもっと注目された作品</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">アメリカでは著名な音楽家だが日本での知名度はきわめて低い</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1980年代の後半といえば、フュージョンの衰退期に当たる。1970年代からのブームの長期化にともない、いくつかの要因が重なって音楽ジャンルとしての勢いはかなり落ちていた。その理由のひとつとしてすぐに思いつくのは、サウンドの定型化である。コンポジションやパフォーマンスが徐々にスタイリッシュになっていくなかで、どのアーティストの楽曲も似たようなソフィスティケーテッドなサウンドになり、初期のスタイルに観られた先鋭的な新しさやスリリングな雰囲気はどんどん失われていった。このころ、マーケットはBGMとしてより聴き心地のいいスムース・ジャズへとシフトしていたし、テクニックを競うようなアグレッシヴな演奏が呼びものとなるフュージョンは、一部の愛好家に指示されるばかりのジャンルになっていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに云うとフュージョンは、音楽トレンドの変化の煽りをもろに受けたと思われる。当時すでにグランジ・ロックやヒップホップ、アシッド・ジャズに代表されるクラブ・ミュージックなどが台頭しはじめていた。バブル崩壊後に至っては、若者たちの関心はすっかりそちらへ移り、彼らにとってフュージョンはダサい音楽となった。そんなときサウンドウィングスという新興レーベルが、わざわざ旧態依然としたフュージョン・アルバムを数枚リリースした。1986年から1988年にかけてのことである。このサウンドウィングスは1986年にアメリカ、カリフォルニア州サンタモニカで設立されたようだが、実はいまはなき日本のレコード会社、ファンハウスがディストリビューターとなり、同レーベルの作品をひっそりと国内発売していたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのカタログを観てみると、サクソフォニスト、<strong>トム・スコット</strong>の『<em>ワン・ナイト・ワン・デイ</em>』(1986年)、トロンボニスト、<strong>ビル・ワトラス</strong>の『<em>リフレクションズ</em>』(1987年)、R＆B系女性シンガー、<strong>ロニー・マーティン</strong>の『<em>センセイション</em>』(1987年)、ドラマー、<strong>ローランド・ヴァスケス</strong>の『<em>ザ・タイムズ・オブ・タイム</em>』(1988年)、キーボーディスト、<strong>スティーヴ・バック</strong>の『<em>モア・ザン・ア・ドリーム</em>』(1988年)、ラテン・フュージョン・バンド、<strong>マンテカ</strong>の『<em>ノー・ヒーローズ</em>』(1988年)といった、ユニークなラインナップになっている。これらのうち、最初の３作では、コンポーザー、アレンジャー、コンダクターの<strong>パトリック・ウィリアムズ</strong>がプロデュースを手がけている。実はこのウィリアムズ、サウンドウィングスの立ち上げにも関わっているのである。</p>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9810 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny1.png" alt="ニューヨーク、タイムズ・スクエアの風景" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そしてウィリアムズ自身もサウンドウィングスから、<strong>パトリック・ウィリアムズ・ニューヨーク・バンド</strong>名義のリーダー作をリリースしている。それが今回ご紹介するアルバム『<em>10th アヴェニュー</em>』(1987年)である。ウィリアムズといえば、どちらかというと映画音楽やテレビの音楽の作曲家として知られるひと。サウンドトラック・アルバムのコレクターの間ではお馴染みの作曲家だ。ポップ・ミュージックのオーケストレーションも数多く手がけていて、アメリカでは著名な音楽家なのだが、日本での知名度はきわめて低い。ジャズ/フュージョン系のリーダー作も何枚か発表しているのだけれど、なぜかあまり話題にならない。たぶんわが国では、一部の熱心なフュージョンの愛好家を除いて、それらのアルバムの存在を知るリスナーは、なかなかいないだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　かく云うぼくもそれほど詳しいわけではないのだけれど、わかる範囲でウィリアムズのリーダー・アルバムを挙げてみようと思う。ぼくが所持する彼のレコードでもっとも古いものは、キャピトル・レコードからリリースされた『<em>スレッショルド</em>』(1973年)。シンフォニックなサウンドが際立ったジャズ・ロックあるいはクロスオーヴァー作品といった印象を与える。レコーディング・メンバーは、<strong>マイク・メルヴォイン</strong>(key)、<strong>デニス・バディマー</strong>(g)、<strong>ラリー・カールトン</strong>(g)、<strong>ジム・ヒューアート</strong>(b)、<strong>ジョン・ゲラン</strong>(ds)、<strong>ラリー・バンカー</strong>(perc)、<strong>トム・スコット</strong>(fl, ss, ts)、<strong>マーヴィン・スタム</strong>(tp)といった、のちにフュージョン・シーンで名を揚げることになる腕利きミュージシャンで固められている。さらにホーンズ＆ストリングスが加わるが、トータル・サウンドはけっこう革新的だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムをはじめて聴いたとき、ぼくは<strong>ミシェル・コロンビエ</strong>のセカンド・アルバム『<em>ウィングス</em>』(1971年)を思い浮かべてしまった。コロンビエは映画音楽の作曲家であると同時に、ジャズ、フュージョン、ロック、ポップス、クラシック、それに現代音楽など、幅広いジャンルで活躍するフランス、リヨン出身の音楽家。ミュージック・シーンにおいて、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、そしてプロデューサーといった具合に、総合的に活動する音楽家は数多存在するけれど、ぼくにとっては<strong>ボブ・ジェームス</strong>、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>に次いで敬愛するミュージシャンだ。ただコロンビエのスコアは、ジェームスやグルーシンのそれよりもずっとシンフォニック。そういう意味では、ウィリアムズのスコアリングはコロンビエのそれに近いように思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　トランペッターの<strong>ハーブ・アルパート</strong>のプロデュースのもと制作された『<em>ウィングス</em>』は、アルパートの奥さまの<strong>ラニ・ホール</strong>、<strong>ライチャス・ブラザーズ</strong>の<strong>ビル・メドレー</strong>、シンガーソングライターの<strong>ポール・ウィリアムズ</strong>、<strong>シスターズ・ラヴ</strong>の<strong>ヴァーメッタ・ロイスター</strong>などのシンガーがフィーチュアされながらも、オーケストラルなサウンドが際立つ一大組曲となっている。人気ポップ・シンガー、実力派のロック・ミュージシャン、そして歴史ある<strong>パリ国立歌劇場管弦楽団</strong>らを、コロンビエが見事にオーガナイズしてクリエイトしたサウンドは、画期的なポップ・シンフォニー、あるいは先駆的なロック・オラトリオと称されるもの。既成の枠にとらわれない実験的であり革新的な作品だ。そんな『<em>ウィングス</em>』との共通性という観点から、ウィリアムズの『<em>スレッショルド</em>』は再評価されるべきアルバムであると、ぼくは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはともかく、ウィリアムズはつづいてドイツに本社を置くMPSレコードから『<em>カム・オン・アンド・シャイン</em>』(1978年)というアルバムをリリースする。リズム・セクションには、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>(key)、<strong>ソニー・バーク</strong>(key)、<strong>スティーヴ・カーン</strong>(g)、<strong>ティム・メイ</strong>(g)、<strong>ジム・ヒューアート</strong>(b)、<strong>トニー・レヴィン</strong>(b)、<strong>グラディ・テイト</strong>(ds)、<strong>スティーヴ・シェーファー</strong>(ds)、<strong>ラリー・バンカー</strong>(perc)、<strong>トゥーツ・シールマンス</strong>(hca)といった錚々たる顔ぶれが並ぶ。やはりホーンズ＆ストリングスが加えられているが、本作では<strong>マルティ・マッコール</strong>、<strong>メリッサ・マッケイ</strong>、<strong>マーナ・マシューズ</strong>といったバッキング・ヴォーカリストがフィーチュアされていて、サウンドにはソウル・テイストが濃厚に加味されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにコロムビア・レコードからリリースされた『<em>アン・アメリカン・コンチェルト</em>』(1980年)では、<strong>ロンドン交響楽団</strong>が全面的にフィーチュアされており、クラシカルな重厚なオーケストレーションと、ファンキーなグルーヴ感やモダンなハーモニーとが組み合わされている。リズム・パートは、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>(key)、<strong>チャック・ドマニコ</strong>(b)、<strong>グラディ・テイト</strong>(ds)、<strong>フィル・ウッズ</strong>(as)らが務めている。かたやアリージャンス・レコードからリリースされた『<em>ドリームズ アンド テーマズ</em>』(1986年)は、ウィリアムズのアルバムにしては珍しくスモール・グループによるフュージョン作。<strong>ドン・グルーシン</strong>(key)、<strong>ロベン・フォード</strong>(g)、<strong>ニール・スチューベンハウス</strong>(b)、<strong>ヴィニー・カリウタ</strong>(ds)、<strong>トム・スコット</strong>(fl, ts, lyricon)、<strong>チャック・フィンドレー</strong>(tp)、<strong>ビル・ワトラス</strong>(tb)らが参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ウィリアムズのキャリアは1960年代の半ばからはじまった</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ほかにもウィリアムズは、<strong>パトリック・ウィリアムズ＆ヒズ・ビッグ・バンド</strong>名義で、アメリカを代表するエンターテイナーのひとり、<strong>フランク・シナトラ</strong>のヒット曲集『<em>シナトラランド</em>』(1998年)、自作曲集『<em>オーロラ</em>』(2010年)を制作。その後、サウンドウィングスから<strong>パトリック・ウィリアムズ＆シンフォニー・オーケストラ</strong>名義で、クラシカルなアルバム『<em>モーメンツ・イン・タイム</em>』(2013年)を発表。さらにカリフォルニアのインディペンデント・レーベルBFM ジャズからビッグ・バンド・スタイルのアルバム『<em>ホーム・スイート・ホーム</em>』(2015年)をリリース。ちなみにBFM ジャズは、有力な独立系デジタル配信会社であるBFM デジタルによって2010年に設立されたのだが、<strong>スティーヴ・ガッド</strong>(ds)、<strong>レニー・ホワイト</strong>(ds)、<strong>エディ・ゴメス</strong>(b)など、大御所のアルバムも多数制作している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ホーム・スイート・ホーム</em>』では、ウィリアムズが指揮するビッグ・バンドをバックに、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>(p)、<strong>ピーター・アースキン</strong>(ds)、<strong>ダン・ヒギンズ</strong>(as)、<strong>トム・スコット</strong>(ts)、<strong>ボブ・シェパード</strong>(ts)、<strong>アルトゥロ・サンドヴァル</strong>(tp)、<strong>マイケル・スティーヴァー</strong>(tp)、<strong>アンディ・マーティン</strong>(tb)、<strong>パティ・オースティン</strong>(vo)、<strong>フランク・シナトラ・ジュニア</strong>(vo)、<strong>ティアニー・サットン</strong>(vo)といったスタープレイヤーたちがフィーチュアされるという、実に豪華なアルバムだ。あとウィリアムズの自主制作による『<em>ア・ソング・フロム・ザ・ハート</em>』(2024年)というアルバムがあるが、これはクリスチャン・ポップ・シンガー、<strong>エイミー・グラント</strong>が主演した、1999年のテレビ映画にちなんだオリジナル・スコア盤。厳密には、リーダー作ではない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、駆け足でウィリアムズのリーダー作をご紹介してきたが、ぼくが実際に耳にしたものだけでも『<em>ア・ソング・フロム・ザ・ハート</em>』を除いて、都合９枚のアルバムが存在した。個人的に好きなのは、やはり『<em>スレッショルド</em>』『<em>カム・オン・アンド・シャイン</em>』『<em>アン・アメリカン・コンチェルト</em>』といった初期のオーケストラル・アルバム。ウィリアムズは楽器演奏をしないから、どうしてもコンポジションやアレンジメントが際立った作品に視線を注いでしまうのだ。それに異なる音楽の要素が溶け合うという意味で、もっともフュージョンと云えるのはこの３作ではなかろうか。さらに云えば、これもまた個人的なことになるが、リズム・セクションの陣容がもっとも好みなのは、この３作である。敬愛するグルーシンによるフェンダー・ローズの演奏も聴けるし──。</p>
<p><img decoding="async" class="aligncenter wp-image-9811 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny2.png" alt="ニューヨーク、ブルックリン橋の風景" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　補足すると、上記のアルバムのうち『<em>スレッショルド</em>』は1974年、グラミー賞の最優秀インストゥルメンタル・アレンジメント賞を受賞している。また『<em>ドリームズ アンド テーマズ</em>』に収録されている「トゥー・ヒップ・フォー・ザ・ルーム」という曲は、1983年のグラミー賞にノミネートした。さらに『<em>10th アヴェニュー</em>』は1987年のグラミー賞で２部門の候補となり、そして『<em>シナトラランド</em>』もまた1998年にグラミー賞の候補に挙がった。21世紀に入ってからも『<em>オーロラ</em>』と『<em>ホーム・スイート・ホーム</em>』が、合わせて３つのグラミー賞にノミネートされた。そんなわけでウィリアムズの作品は、アメリカにおいて現代のビッグ・バンド・スタンダーズとして位置づけられているのである。にもかかわらず、日本ではまったくと云っていいほど、話題にならないから不思議だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はウィリアムズのキャリアは1960年代の半ばからすでにはじまっていて、名門ヴァーヴ・レコードに『<em>シェイズ・オブ・トゥデイ</em>』(1968年)『<em>シンク</em>』(1968年)『<em>ヘヴィ・ヴァイブレーション</em>』(1969年)といったリーダー作も吹き込んでいる。これらのアルバムをぼくは所持していないが、この度インターネットを通じて試聴してみた。これら３枚のヴァーヴ盤は端的に云うと、イージー・リスニング寄りのビッグ・バンド作品である。ただ、1990年代のいわゆる渋谷系のリヴァイヴァル・ムーヴメントにおいて、イージー・リスニング、エキゾティカ、ボサノヴァなどが、おしゃれなラウンジ・ミュージックとして再評価されたが、ウィリアムズのアルバムもそういったトレンドに乗ってもおかしくないようなコンテンツをもつ。しかしながらいまだに、国内発売はおろかCD化さえ実現されていない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでに云うと、上記の３枚のヴァーヴ盤におけるウィリアムズのユニークなビッグ・バンド・スタイルは、当時モッド・ブラスと呼ばれた。最先端を行くブラスという意味なのだろうが、なんにせよウィリアムズがクリエイトしたのは、ポップ・ミュージックの影響を受けた現代的なブラス・サウンド。そんななか、<strong>チャック・レイニー</strong>(b)、<strong>ビル・ラヴォルニャ</strong>(ds)といったリズム隊が打ち出すソウルフルなグルーヴや、<strong>マーヴィン・スタム</strong>(tp)、<strong>ビル・ワトラス</strong>(tb)といったホーン・プレイヤーによるジャジーなアドリブ・プレイが、気っ風よくフィーチュアされる。ラウンジ・ミュージックとして捉えても、かなりラグジュアリアスかつクールなサウンドと感じられる。今後この３枚が、リイヴァリュエート＆リイシューされることを期待したい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお『<em>ヘヴィ・ヴァイブレーション</em>』の冒頭に収録されている「ゲット・バック」は、アメリカの伝説的なスポーツ専門のクイズ番組『スポーツ・チャレンジ』のテーマ曲として使用された。スポーツ実況界のレジェンド、<strong>ディック・エンバーグ</strong>が司会を務めた、人気ロングラン・プログラムである。この番組は1971年から1979年にかけて、コンテンツが各地の放送局へ個別に供給されるブロードキャスト・シンジケーションという方式で、毎週放送された。1977年から1978年のシーズンでは一時的に別のテーマ曲が使われたものの、ウィリアムズの「ゲット・バック」は番組の開始から終了まで長きにわたり使用された。この曲、あまりにも有名な<strong>ザ・ビートルズ</strong>の楽曲が、ジャズ・ファンク調にアレンジされたインストゥルメンタル・ヴァージョンだが、ソウルフルなグルーヴとダイナミックなブラス・サウンドが痛快だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ウィリアムズは40年近くにわたり、65本を超える長編映画の音楽を手がけ、100本以上のテレビ映画やミニシリーズの音楽を作曲した。とはいっても、そのフィルモグラフィを観ると、いわゆるブロックバスター・ムーヴィーや重厚な文芸作品はほとんどなく、興行的に大成功を収めた話題作も皆無に等しい。どちらかというと、だれもがカジュアルに楽しめるエンターテインメント作品が多いように思われる。アカデミー作曲賞においても、<strong>ピーター・イェーツ</strong>監督の『ヤング・ゼネレーション』(1979年)でのノミネートに止まる。その点、ウィリアムズはオールラウンダーな音楽家と思われる。もしかすると、たとえば超多作で知られる日本の映画監督、<strong>三池崇史</strong>のように、オファーがあれば基本的にどんな作品でも拒まないという姿勢の、ビジネスライクかつプロフェッショナルなミュージシャンなのかもしれない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いっぽうウィリアムズは、テレビ映画ではわが国でもたいへんな人気を博した『刑事コロンボ』(1968年 &#8211; 2003年)において、９作品のアンダースコアを手がけているが、彼の名前を記憶に留めた日本のファンはまずいないだろう。これは無理からぬことだ。というのも、このシリーズの劇伴の作曲者といえば、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>、<strong>ギル・メレ</strong>、<strong>オリヴァー・ネルソン</strong>、<strong>ジョナサン・チューニック</strong>といった名だたる音楽家を挙げることができるが、彼らの卓越したスコアですら日本で一般に「刑事コロンボのテーマ」として知られる、<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>が作曲した「NBC ミステリー・ムーヴィーのテーマ」のまえでは、霞んで見えるのだから。いずれにせよ、もしウィリアムズが、グルーシンや<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>のように印象的な映像作品の音楽を手がけていれば、その認知度はもう少し向上していただろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">当時がフュージョンの衰退期でなかったらもっと注目された作品</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ウィリアムズは1939年４月23日、ミズーリ州ボンヌ・テールに生まれ(2018年7月25日、79歳没)、10歳のときににコネチカット州へ移り住んだ。同州のダリエン高校に在学中、クラシック・トランペットを学び、自らスウィング系のジャズ・バンドを率いた。その後1961年に、ノースカロライナ州ダーラムに位置するデューク大学で歴史学の学位を取得したが、在学中の最後の２年間には、同大学の学生主導のビッグ・バンド、<strong>デューク・アンバサダーズ</strong>のバンド・リーダーを務めた。卒業後はニューヨーク市へ移り、コロンビア大学の大学院で作曲と指揮を学んだ。ウィリアムズは、1960年代初頭からアレンジャーとしていくつかのレコーディングに関わったが、トランペッターの<strong>クラーク・テリー</strong>が率いるセプテットのアルバム『<em>ホワット・メイクス・サミー・スウィング！</em>』(1964年)のアレンジにおいて、広く知られるようになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおこのアルバムのレコーディングでウィリアムズは、伝説的な音楽プロデューサー兼レコーディング・エンジニアである<strong>フィル・ラモーン</strong>と出会っている。彼にとってラモーンはその後、長年にわたりジャズやポップスの名盤を共に作り上げることになる、きわめて緊密なコラボレーター。シンガーソングライター、<strong>ビリー・ジョエル</strong>の出世作となった歴史的名盤『<em>ストレンジャー</em>』(1977年)や、<strong>フランク・シナトラ</strong>の晩年のヒット・アルバム『<em>デュエッツ</em>』(1993年)及び『<em>デュエッツ II</em>』(1994年)は、ふたりの共同作業としてはもっとも代表的な作品だ。またラモーンは、ウィリアムズのリーダー作でもバックアップすることが多いのだが、さきに挙げた最初期のアルバム『<em>シェイズ・オブ・トゥデイ</em>』において、すでにエンジニアを務めている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またウィリアムズは、音楽教育の分野でも重要な役割を果たしている。彼はヴァーヴ・レコードと契約する1968年から、すでに活動拠点をカリフォルニア州ロサンゼルスに移していたが、2001年から2006年までの５年間にわたり、プロの音楽家を目指す若手演奏家のための国内屈指の育成プログラムである、ヘンリー・マンシーニ・インスティテュートにおいて芸術監督を務めた。この音楽教育機関は当時、ロサンゼルスを代表するふたつの名門校、南カリフォルニア大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校との音楽部で運営されていたのである(2008年に拠点はフロリダ州のマイアミ大学へ移された)。さらにユタ大学やコロラド大学では客員教授およびコンポーザー・イン・レジデンスを務めたほか、母校であるデューク大学でも教壇に立った(どの大学からも名誉博士号を授与された)。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9812 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny3.png" alt="ニューヨーク、タイムズ・スクエアに佇む女の子" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/10/ny3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ぼくがウィリアムズのことをはじめて知ったのは、当時ワーナー・ブラザース傘下にあったフル・ムーン・プロダクションからリリースされた『<em>ブレードランナー</em>』(1982年)というアルバムにおいて。云うまでもなく、<strong>リドリー・スコット</strong>監督による1982年公開のSF映画にちなんだレコードだ。実はこのアルバム、サントラ盤ではなく、<strong>ジャック・エリオット</strong>の指揮のもと<strong>ニュー・アメリカン・オーケストラ</strong>によって吹き込まれたオリジナル・スコア集。音楽を担当したギリシャの作曲家兼シンセサイザー奏者、<strong>ヴァンゲリスが</strong>、アルバム・コンテンツと自己の音楽性とにディレクションの相違を感じたことから、当初サントラ盤の発売を認めなかった(その後1994年にCD化された)。そういう事情から、彼が映画のために書いた楽曲はオーケストラ用にアレンジされ、オリジナル・スコア盤として商品化されたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はこのアルバムのオープニングを飾る「ブレードランナー〜愛のテーマ」のアレンジを手がけたのがウィリアムズだった。ゴージャスなオーケストラをバックに、<strong>トム・スコット</strong>によるアーバンでセクシーなアルトが、なんとも深い味わいを醸し出している。リズム・セクションには、<strong>マイケル・ラング</strong>(key)、<strong>トミー・テデスコ</strong>(g)、<strong>ダン・ファーガソン(</strong>g)、<strong>ニール・スチューベンハウス</strong>(b)、<strong>スティーヴ・シェーファー</strong>(ds)、<strong>イアン・アンダーウッド</strong>(synth)といった、西海岸の一流スタジオ・ミュージシャンがズラリと並ぶ。圧倒的な存在感をもつ<strong>ヴァンゲリス</strong>のオリジナル音源には到底及ばないものの、純粋な音楽作品として捉えれば、ウィリアムズのアレンジとオーケストレーションによる演奏はなかなか力のこもったトラックと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムから数年後に手に入れたのが、<strong>パトリック・ウィリアムズ・ニューヨーク・バンド</strong>の『<em>10th アヴェニュー</em>』である。アレンジと指揮は、もちろんウィリアムズが担当。プロデュースはやはり<strong>フィル・ラモーン</strong>が手がけており、レコーディング・エンジニアは名匠<strong>ドン・ハーン</strong>が務めている。録音は1986年12月、ニューヨーク市のクリントン・レコーディング・スタジオにおいて、オーヴァーダブのないライヴ・デジタル・レコーディング形式で行われた。ホーン・セクションは金管楽器のみで、木管楽器や弦楽器の役割は複数のシンセサイザーが果たしている。そんなユニークなオーケストラと東海岸のファーストコール・ミュージシャンによるリズム・セクションとが織り成すサウンドは、まさにフュージョンと呼ぶべきものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディング・メンバーは、<strong>リチャード・ティー</strong>(p, elp)、<strong>ジェイ・グルスカ</strong>(synth)、<strong>ケニー・アッシャー</strong>(synth)、<strong>ロブ・マウンジー</strong>(synth)、<strong>チャック・ローブ</strong>(g)、<strong>ネイザン・イースト</strong>(b)、<strong>スティーヴ・ガッド</strong>(ds)、<strong>ラルフ・マクドナルド</strong>(cg, perc)、<strong>デイヴ・ケアリー</strong>(perc)、<strong>ゴードン・ゴットリーブ</strong>(perc)、<strong>マイケル・ブレッカー</strong>(ts)、<strong>アラン・ルービン</strong>(tp)、<strong>ジョン・フロスク</strong>(tp)、<strong>マーヴィン・スタム</strong>(tp)、<strong>ランディ・ブレッカー</strong>(tp)、<strong>ボブ・カーライル</strong>(hr)、<strong>ジェリー・ピール</strong>(hr)、<strong>ラリー・ウェクスラー</strong>(hr)、<strong>ポール・イングラハム</strong>(hr)、<strong>ピーター・ゴードン</strong>(hr)、<strong>ビル・ワトラス</strong>(tb)、<strong>ウェイン・アンドレ</strong>(tb)、<strong>デヴィッド・テイラー</strong>(tb)、<strong>ポール・フォーリス</strong>(tb)、<strong>ハーヴィー・フィリップス</strong>(tub)となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　オープニングを飾るウィリアムズのオリジナル・ナンバー「10th アベニュー」では、ガッド＆マクドナルドによる躍動感溢れるリズム、ティーのゴスペル・タッチのバッキング、ローブの歪みサウンド、そしてシンセとブラスとによるソウルフルなアンサンブルが、アーバンな世界を描き出す。<strong>ポール・サイモン</strong>の「時の流れに」では、ティーのゴスペル・ピアノの深い味わいも然ることながら、ブラスの複雑なヴォイシングが素晴らしい。ウィリアムズらしい面目躍如たるアレンジだ。ウィリアムズの自作曲「ハー・ソング」では、美しいオーケストラ・サウンドをバックに、<strong>マイケル・ブレッカー</strong>がテナーで洗練されたバラード・プレイを披露する。<strong>ビリー・ジョエル</strong>の「ニューヨークの想い」では、バロック風のパートを交えたビッグ・バンド・サウンドがダイナミックに展開される、ブレッカーのテナーの鳴き具合もいい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ナット・アダレイ</strong>の「ジャイヴ・サンバ」では、スタイリッシュかつファンキーなフュージョン・サウンドを背景に、スタムと<strong>ランディ・ブレッカー</strong>とがソロ・バトルを繰り広げる。<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の「ザ・ウィッチング・アワー」では、ポップでソフィスティケーテッド、そして圧倒的にキャッチーなビッグ・バンド・サウンドが展開される。ワトラスのトロンボーンも、相変わらず卓越した演奏能力が発揮されている。<strong>ヴィクター・フェルドマン</strong>の「ザ・チャント」では、シャッフル・リズムに乗ってマウンジーによるブレス・コントローラを使ったシンセが弾ける。ガッドのソロも圧巻だ。<strong>ポール・マッカートニー＆ウィングス</strong>の「夢の旅人」では、モダンなブラス・アンサンブルのノスタルジックな美しさと、ブレッカーのトランペットの透きとおるようなトーンとが見事に溶け合い、深い余韻を残しながらアルバムを締めくくる。そんな本作、当時がフュージョンの衰退期でなかったら、もっと注目されただろうな──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"10th Avenue","b":"Soundwings","t":"Patrick Williams' New York Band","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/61LFJL5YmbL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00BS1TM6S","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00BS1TM6S","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/10th%20Avenue\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=10th%20Avenue","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"AMLRq","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-AMLRq">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/patrick-williams-new-york-band-10th-avenue/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Wolfgang Haffner / Urban Life (2001年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/wolfgang-haffner-urban-life/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=wolfgang-haffner-urban-life</link>
					<comments>https://kimama-music.com/wolfgang-haffner-urban-life/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 20 Sep 2026 07:42:34 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Wolfgang Haffner]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9711</guid>

					<description><![CDATA[幅広い分野で世界中を飛び回るドイツを代表するドラマー、ウォルフガング・ハフナーのオールスター・メンバーによる豪華なフュージョン・アルバム『アーバン・ライフ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">幅広い分野で世界中を飛び回るドイツを代表するドラマー、ウォルフガング・ハフナーのオールスター・メンバーによる豪華なフュージョン・アルバム『アーバン・ライフ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Wolfgang Haffner / Urban Life (2001)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Nightride</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-4" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-4">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">幅広い分野で世界中を飛び回るドイツを代表するドラマー、ウォルフガング・ハフナーのオールスター・メンバーによる豪華なフュージョン・アルバム『アーバン・ライフ』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">リップスティックからアルバム・デビューしたバンド、メトロのドラマー</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">演奏以外にもコンポーザー、アレンジャーとして優れた才能を発揮</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">都会的なプレイ・スタイルのドラミングも、しかと堪能できる名盤</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">リップスティックからアルバム・デビューしたバンド、メトロのドラマー</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ドイツ出身のジャズ・ドラマー、<strong>ウォルフガング・ハフナー</strong>はモダン・ジャズからスムース・ジャズまで幅広く、しかもワールドワイドに活躍するミュージシャンだ。むろんドラミングにおいては確かな技術をもっているのだが、コンポーザー、アレンジャー、そしてプロデューサーとしても才能を発揮している。膨大なディスコグラフィを抱えるハフナーは、これまた多数のミュージシャンとの強いコネクションをもっており、2000年代初頭にその人脈を頼り、オールスター・キャストとでも云いたくなるような豪華なフュージョン・アルバムを制作している。具体的には『<em>アーバン・ライフ</em>』(2001年)という作品で、初リーダー作『<em>ウォルフガング・ハフナー・ジャズ・クァルテット</em>』(1989年)から数えると、ハフナーにとっては８枚目のアルバムということになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバム、もともとワーナー・ミュージック・グループの要人だった<strong>ベルント・スキッベ</strong>、<strong>ザビーネ・バッハマン</strong>といったドイツの音楽プロデューサーによって、1999年にハンブルクで設立された独立系音楽レーベル、スキップ・レコードからリリースされた。その後本作は2002年、ニューヨーク市マンハッタン、グリニッジ・ヴィレッジに拠点を構えるダンス・ミュージック・レーベル、インスティンクト・レコードによってリイシューされた。US盤のほうは、<strong>ザ V.I.P. クラブ</strong>というグループ名義で発売された。なお、すでにスキップ・レコードから発売されていたハフナーの７枚目のリーダー作『<em>ミュージック</em>』(1999年)もまた、やはりインスティンクト・レコードによって<strong>ザ V.I.P. クラブ</strong>のアルバム『<em>ココナッツ・キッス</em>』(2001年)として再編集されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それにしても<strong>ザ V.I.P. クラブ</strong>とは、よくもまあ上手く命名したものである。実際この２作品のレコーディングには、ジャズ/フュージョン・シーンにおけるまさにヴェリー・インポータント・パーソンが多数参加しているのだ。アルバム・コンテンツにしても、まだスムース・ジャズが勢いがあった時期にもかかわらず、ラジオの放送フォーマットに準ずることなく、確たる主張をもった即興演奏がなされ、全体的なサウンドの響きとともにプレイヤー個々のパートもしっかり重視されたものだった。この点は、プロデュースも手がけたハフナーが振るった采配によるものだろう。トータル・サウンドはグルーヴィーかつスムースなものだけれど、そのパフォーマンスはけっこう骨太である。にもかかわらずこのアルバム、あまり話題にならないから不思議でならない。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9723 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds1.png" alt="緑色のドラム・セット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ぼくがハフナーの存在を知ったのは、いまもはっきりと記憶しているのだけれど、1994年のこと。この年にドイツ、ケルンのフォーゲルザンガー通りに拠点を構えるジャズ/フュージョン系の音楽レーベル、リップスティック・レコードからアルバム・デビューしたバンド、<strong>メトロ</strong>のドラマーがハフナーだったのである。ぼくがこのバンドに辿り着く経緯について、かいつまんでお話しさせていただくと、まず『<em>プティート・ブロンド</em>』(1992年)という作品について触れなければならない。これはやはりリップスティック・レコードからリリースされた、実力派のジャズ/フュージョ系プレイヤーが集結したスーパー・グループによるライヴ・コラボレーション・アルバム。1992年７月４日、ドイツ・ノイヴィート・ジャズ・フェスティヴァル、そして７月14日、ザ・ファブリック・ハンブルクの模様が収録されたものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なによりも、このグループのメンバーを観ると、その錚々たる顔ぶれに驚かされる。それは、<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>(key)、<strong>チャック・ローブ</strong>(g)、<strong>ヴィクター・ベイリー</strong>(b)、<strong>デニス・チェンバース</strong>(ds)、<strong>ビル・エヴァンス</strong>(ss, ts)といった、まさに当時のジャズ/フュージョン・シーンにおける名だたる面々である。ぼくにとってリップスティックは、セカンド・ラインが独特のドラマー、<strong>アイドリス・ムハマッド</strong>のリーダー作『<em>マイ・ターン</em>』(1991年)以来、目が離せないレーベルとなっていたので、この『<em>プティート・ブロンド</em>』も発売されるやいなや購入するに至った。フュージョンの愛好家だったら、その面子を観れば想像に容易いと思われるが、本作では彼らの緊張感と躍動感とに満ちた強力なインタープレイが披露されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところでこのスーパー・グループは、上記のジャズフェスやライヴなどの特別な企画のために、臨時に結成されたもの。その場限りのセッション・バンドだから、その後彼らのアルバムが制作されることはなかった。個人的にはこのバンドの音楽性を価値の高いものと感じたので、このプロジェクトを幕引きにするのは勿体ないことと思ったもの。そんななかリップスティック・レコードがときを経ずして世に送り出したのが、<strong>メトロ</strong>というバンドだった。おそらくバンド結成の契機となったのは『<em>プティート・ブロンド</em>』の成功だったのだろう、当初このグループのプランニングやプロデュースを中心となって担ったのは、<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>と<strong>チャック・ローブ</strong>だった。そしてこのプロジェクトに参画したのが、30歳目前の若き俊英、<strong>ウォルフガング・ハフナー</strong>だったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いささか余談になるが、ぼくはこのころすでに<strong>チャック・ローブ</strong>のファンだったのだが、そうなるキッカケは、毎年フランスのカンヌで開催される、世界最大規模の国際音楽産業見本市「ミデム」における1980年１月22日のライヴ音源を聴いたとき。このパーム・ビーチ・カジノの会場で実況録音されたRCA盤『<em>ホワイト・ヒート – ジャズ・ガーラ 1980</em>』(1980年)では、<strong>スタン・ゲッツ</strong>(ts)、<strong>アンディ・ラヴァーン</strong>(key)、<strong>チャック・ローブ</strong>(g)、<strong>ブライアン・ブロンバーグ</strong>(b)、<strong>ヴィクター・ジョーンズ</strong>(ds)による白熱するコンテンポラリー・ジャズを堪能することができる。このライヴ・アルバム、ゲッツのリーダー作としてはフュージョン期のものということで、かつて彼がクール・ジャズやボサノヴァを演奏していたころの作品を愛でる向きには、いまもまともに取りあってもらえないようだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それでもこのライヴでのゲッツのアパッショナートなプレイを高く評価するコアなファンもいるようで、何度となくリイシューされている。当時からフュージョンを好んで聴いていたぼくにとって、このアルバムは理屈抜きに楽しめるものだった。いまから思うとゲッツは、このライヴにおいてまだ無名だったローブをプレイヤーとして前面に出すばかりでなく、彼のオリジナル・ナンバーまで採り上げており、まったくもって懐の深い音楽家だった。そしてぼくはこの音源を聴いたとき、ローブの名前をその鮮やかなパフォーマンスとともにしっかり脳裏に焼きつけた。さらにその数年後には、ヴィブラフォニストの<strong>マイク・マイニエリ</strong>を中心とするコンテンポラリー・ジャズ・バンド、<strong>ステップス・アヘッド</strong>のアルバム『<em>モダン・タイムス</em>』(1984年)において、ローブのクレジットを発見するのだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">演奏以外にもコンポーザー、アレンジャーとして優れた才能を発揮</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ローブはこのアルバムでは１曲のみのサポーターにとどまったが、次作の『<em>マグネティック</em>』(1986年)では、<strong>ヴィクター・ベイリー</strong>とともに正式メンバーとなっている。ベイリーにとっては、それまで在籍していたフュージョン・グループ、<strong>ウェザー・リポート</strong>の解散直後の出来事だった。<strong>ステップス・アヘッド</strong>には、それまでフュージョン系アーティストによるストレート・アヘッド・ジャズ志向のバンドといった風情があったが、このアルバムからよりフュージョン色の強いコンテンポラリー・ジャズに回帰している。そういうサウンド面での変化を遂げたこのバンドにおいて、ローブとベイリーの存在感はかなり強かった。とはいってもローブは、このバンドからすぐに離脱し、ドイツのレーベル、ジャズ・シティからリリースされた『<em>マイ・シャイニング・アワー</em>』(1989年)で、ソロ・アーティストとしてデビューを果たす。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ローブはこのデビュー・アルバムで、当時<strong>チック・コリア・エレクトリック・バンド</strong>のメンバーだった、ベーシストの<strong>ジョン・パティトゥッチ</strong>とドラマーの<strong>デイヴ・ウェックル</strong>とをリズム・セクションに迎え、ストレート・アヘッド・ジャズからコンテンポラリー・ジャズまでヴァーサタイルなギター・プレイを披露。彼がいかに鋭敏なセンスと卓越したテクニックとを併せもつミュージシャンであるかが、この１枚でわかる。その後ローブはDMP、シャナキー、ヘッズ・アップといったレーベルにおいて、晩年までコンスタントにリーダー作を発表していく。サウンド的には、フュージョンからスムース・ジャズへと変遷する。そのいっぽうで彼は、ソロ活動と並行して、<strong>ザ・ファンタジー・バンド</strong>、そして<strong>メトロ</strong>といったバンドでも旗手となりプレイした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・ファンタジー・バンド</strong>はスムース・ジャズ、<strong>メトロ</strong>はハードコアなフュージョンと、各々もち味が出されたバンドである。実はローブの関わった音盤で、ぼくがもっともお薦めしたいのは、<strong>メトロ</strong>のアルバムなのだ。なぜなら、コンポジションやギター・プレイにおいてもっともローブの音楽性がナチュラルに表れるのは、このバンドのレコーディングのときだから。そしてその独特のサウンドは、ときの移ろいにまったく左右されることはなかった。なおローブと<strong>メトロ</strong>のキーボーディスト、<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>とは、1970年代末から1980年代初頭にかけて<strong>スタン・ゲッツ</strong>のバンドメイトだった。当時の演奏はゲッツのアルバム『<em>ビリー・ハイ・ストリート・サンバ &#8217;81</em>』(1990年)で聴くことができる。またフォアマンは、前述の<strong>ステップス・アヘッド</strong>のアルバム『<em>マグネティック</em>』にも参加している。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9724 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds2.png" alt="桃色のドラム・セット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　それはさておき<strong>メトロ</strong>のアルバムといえば、リップスティック・レコードからリリースされた『<em>メトロ</em>』(1994年)『<em>トゥリー・ピープル</em>』(1995年)、ジャズやファンク、ヒップホップの垣根を越えたセッションやリミックス作品で知られる英国のレーベル、ヒップ・バップ・レコードからリリースされた『<em>メトロカフェ</em>』(2000年)『<em>グレイプヴァイン</em>』(2002年)、<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>が設立したアメリカのインディペンデント・レーベル、マーシス・ジャズからリリースされた『<em>ライヴ・アット・ジ・Aトレイン</em>』(2004年)『<em>エクスプレス</em>』(2007年)、そしてドイツのレーベル、ジャズラインからリリースされた『<em>ビッグ・バンド・ブーム</em>』(2015年)といった都合７枚。なお『<em>ビッグ・バンド・ブーム</em>』は、ドイツ、ケルンの名門ビッグ・バンド、<strong>WDRビッグ・バンド</strong>との共演盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この<strong>メトロ</strong>は基本的に４人編成のバンドだが、<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>、<strong>チャック・ローブ</strong>、そして<strong>ウォルフガング・ハフナー</strong>の３人が、パーマネント・メンバー。ベーシストは、<strong>アンソニー・ジャクソン</strong>、<strong>ヴィクター・ベイリー</strong>、<strong>メル・ブラウン</strong>、<strong>ジェリー・ブルックス</strong>、<strong>ウィル・リー</strong>、<strong>ニコラス・フィズマン</strong>と変動した。個人的にもっとも好きなのは４枚目の『<em>グレイプヴァイン</em>』で、楽曲と演奏とのバランスが極めていいように思われる。このアルバムではベーシストを、<strong>メル・ブラウン</strong>が務めている。むろんそれ以外のアルバムもすべて申し分のない仕上がりで、いつも感じることなのだけれど、メンバーのだれもが、ソロ活動のときよりもメトロでプレイするときのほうが、表現力の振幅を大きくしている。その点に、とても惹きつけられるのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　すっかり長くなってしまったが本題に戻ると、<strong>ウォルフガング・ハフナー</strong>のことをアルバム『<em>メトロ</em>』で知って以来、ぼくはすっかり彼のファンになってしまったのだった。ハフナーのドラミングは決して手数は多くないのだけれど、楽曲全体をしっかりと支える非常にタイトでステディなリズム・キープがなんとも心地いい。とはいってもアンサンブル全体や他のプレイヤーが繰り出す音をしっかりと引き立てながら、硬軟織り交ぜたアプローチを展開する場面も頻繁に見られる。そういう柔軟で歌ごころのあるプログレッションは、ハフナーがもつ優れた演奏技術、豊かな表現力、そして深い芸術性すら感じさせる。さらに云えばハフナーは、ただ正確にリズムを刻むだけでなく、空間に心地いい高揚感とポジティヴなエナジーをもたらすグルーヴを構築するのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハフナーは1965年12月７日、ドイツ南部バイエルン州の自然豊かなフィヒテル山地にある小さな街、ヴンジーデルに生まれたが(現在60歳)、父親は教会音楽監督の称号をもつカントル(キリスト教音楽の指導者)として広く知られる、<strong>ヴァルター・ハフナー</strong>。母親は著名人ではないが、音楽教師だった。そんな恵まれた環境で育ったハフナーは、７歳からドラムスとピアノを演奏していた。なおドラミングに関しては、主にドイツを拠点に活動しているオランダ、アーネム出身のロックおよびジャズ/フュージョン系ドラマー、<strong>エヴェルト・フラテルマン</strong>に師事している。いずれにしても、幼いころから音楽に親しんでいたハフナーは、プロ活動開始直後から単にプレイヤーとしてだけはでなく、コンポーザー、アレンジャーとしても優れた才能を発揮している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　たとえば前述の『<em>グレイプヴァイン</em>』において、ハフナーは「クリーム」というアンビエントな感覚に溢れたスロー・ナンバーを提供している。彼はセンシティヴなブラシ・ワークに徹しながら、ウォーム系のシンセサイザーを軸に据えたサウンドをクリエイトしている。レイジーでアーバンなムードが、こころを揺さぶるようなインスピレーションを与えるのだが、作曲者がドラマーとはちょっと想像がつかない。また同じく<strong>メトロ</strong>のアルバム『<em>トゥリー・ピープル</em>』に収録されている「ザ・ジャーニー」という曲は、テンスな６拍子、スウィートかつジェントルなメロディック・ライン、そしてソフィスティケーテッド・コードが溶け合うようなナンバー。さらに途中のドラム・ロールが活かされた現代音楽風の展開も含めて、その鮮やかな意匠に感服させられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この曲はドイツ、ニュルンベルクに拠点を構えるジャズ・レーベル、ジャズ・フォーエヴァー・レコードからリリースされた、<strong>ウォルフガング・ハフナー・プロジェクト</strong>名義の『<em>バック・ホーム</em>』(1997年)でも採り上げられた。ハフナーにとっては、６枚目のリーダー作に当たる。この音源は1995年１月20日、ニュルンベルクにある有名な総合文化センター、ターフェルハレにおいてライヴ・レコーディングされたもの。<strong>ロベルト・ディ・ジョイア</strong>(key)、<strong>ペーター・ティーハイス</strong>(g)、<strong>クリスチャン・ディーナー</strong>(b)、<strong>ウォルフガング・ハフナー</strong>(ds)、<strong>マルシオ・ドクター</strong>(perc)とメンバーは地味だが、みなフレッシュでエキサイティングなプレイを披露している。なによりも曲目が、すべてハフナーのオリジナル・ナンバーで構成されているという点が、注目に値する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">都会的なプレイ・スタイルのドラミングも、しかと堪能できる名盤</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　18歳のときにドイツ、フランクフルト出身の伝説的なジャズ・トロンボニスト、<strong>アルベルト・マンゲルスドルフ</strong>に見出されプロデビューを果たしたハフナーは、1984年から1989年までマンゲルスドルフ率いる<strong>ダス・ドイチュ・フランツェージッシェ・ジャズ・アンサンブル</strong>(独仏ジャズ・アンサンブル)のメンバーとして活躍した。この国際的なビッグ・バンド・スタイルのジャズ・プロジェクトは、ドイツとフランスの若手ジャズ・ミュージシャンの育成と交流、現代ヨーロッパ・ジャズの発展に寄与したことで知られる。そのいっぽうでハフナーは22歳のとき自己のコンボを組み、1988年11月11日、ニュルンベルク近郊にあったアルトドルフ大学のライプニッツ・ギムナジウム講堂でライヴ・コンサートを開催した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのコンサートの実況録音盤こそが、さきに触れたハフナーの初リーダー作『<em>ウォルフガング・ハフナー・ジャズ・クァルテット</em>』である。このアルバムは、ジャズ・フォーエヴァー・レコードからリリースされたが、さらにハフナーは同レーベルにおいて、<strong>ウォルフガング・ハフナー・インターナショナル・ジャズ・クインテット</strong>名義の『<em>ミスター・ブラム</em>』(1990年)『<em>ホワットエヴァー・イット・イズ</em>』(1991年)、ソロ名義の『<em>ムーヴィン・オン</em>』(1992年)を発表。さらにジャズ・ロックの発展に貢献したことで知られる、かつてドイツ、ハイデルベルクに拠点を構えていたレコード・レーベル、ムード・レコードから『<em>ラスト・エグジット</em>』(1993年)をリリースしている。ここまでのアルバムでは、先進的ではあるけれど、どちらかというとニュー・メインストリームなジャズが展開されている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハフナーのアルバム・コンテンツが、ジャズのテクニックやインプロヴィゼーションに、ロックやファンクのストレートなビート、エレクトリック＆エレクトロニック・インストルメンツを融合させた、云ってみれば、王道のフュージョン・サウンドに傾倒しはじめるのは、前述の『<em>バック・ホーム</em>』からである。このアルバムがライヴ・レコーディングされたのは、さきにも触れたとおり1995年の１月で、アルバム『<em>メトロ</em>』がリリースされた翌年のこと。このことからも、ハフナーが<strong>ミッチェル・フォアマン</strong>、<strong>チャック・ローブ</strong>らの音楽性に触発されたことは、想像に難くない。その後の彼は、メトロの活動を継続させながらスキップ・レコードに移籍し『<em>ミュージック</em>』(1999年)『<em>アーバン・ライフ</em>』(2001年)『<em>ライヴ・アンド・リアル</em>』(2002年)『<em>ズーミング</em>』(2004年)といったフュージョン・アルバムを発表した。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9725 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds3.png" alt="青色のドラム・セット" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/09/ds3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお『<em>アーバン・ライフ</em>』のいくつかの楽曲は、ドイツのリキッド・ファンク/ドラムンベース系のプロデューサー兼ターンテーブリスト、<strong>DJ オレンジ</strong>によってリミックスされ、EPアルバム『<em>ジ・アーバン・ナイト・ライフ</em>』(2002年)としてリリースされた。また、スキップ・レコードにおける最終作『<em>ズーミング</em>』では、フュージョンというよりもフューチャー・ジャズないしニュージャズと呼ばれるスタイルの音楽が展開されている。アコースティック・ジャズにエレクトロニカ、アンビエント、ドラムンベースなどの要素が繊細に溶け合った、広義の意味でのコンテンポラリー・ジャズ・サウンドは、その後ハフナーがドイツの著名な音楽プロデューサー、<strong>シーグフリード・ロッホ</strong>が創設したレコード・レーベル、ACTミュージックで制作した、多彩な音楽性を孕んだ作品群に引き継がれている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、フュージョンは1970年代後半から1980年代前半にかけて隆盛を極めたが、その王道のスタイルをストレートに受け継ぐような作品は、ハフナーのリーダー・アルバムでは希少と云える。そして、上記のスキップ・レコードからリリースされたアルバムのなかでは、やはり『<em>アーバン・ライフ</em>』がもっとも意匠の凝らされた作品であり、圧倒的な完成度を誇る。冒頭でも述べたが、本作はオールスター・キャストとでも云いたくなるような豪華なフュージョン・アルバム。レコーディングも、アメリカ東西両岸、ドイツ、オランダなど、複数のスタジオで行われた。プロデュースとアレンジは、ハフナー自身とイタリア、ミラノ出身のジャズ・ピアニスト、<strong>ロベルト・ディ・ジョイア</strong>とが手がけている。ディ・ジョイアは、キーボード類のほかベースやギターもプレイし、ヴォーカルも担当している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのトップを飾る「アーバン・ライフ」は、ハフナーとディ・ジョイアとの共作(残りの曲はすべてハフナーのオリジナル)。ホーン・セクションとシンセサイザーとを主軸に据えたディスコ・ブギー。ダンサブルなフォー・オン・ザ・フロアが打ち出されるなか、なんと<strong>ジェームス・ブラウン</strong>のバンドの主要メンバーだった、<strong>フレッド・ウェズリー</strong>がファンキーなトロンボーン・ソロを披露。<strong>エディ・グリーン</strong>のヴォーカル、<strong>トム・ニコラス・ジュニア</strong>のラップもキャッチーだ。つづく「キープ・ゴーイング」は、ゆったりしたソウルフルなバウンス・ビート。やはりグリーンのヴォーカル、ニコラス・ジュニアのラップが挿入される。ドイツ、フィーアゼン出身の名手、<strong>ティル・ブレナー</strong>のフリューゲルホーンと、ハンガリーが誇るジャズ・プレイヤー、<strong>トニー・ラカトシュ</strong>のテナーとが、格調の高いコール・アンド・レスポンスを展開する。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　３曲目の「ザ・リアル・シング」は、ホーン・セクションとヴォーカルとが核をなす、ダンサブルな８ビートのファンク・ナンバー。クラヴィネットの音色が、ソウル色を強めている。ヴォーカルは、グリーンとディ・ジョイアが担当。ホーンズのほうではブレナーとラカトシュがアンサンブルに徹しているが、ジャズ、R&amp;B、ファンクなど幅広いジャンルで活躍するスウェーデン出身の<strong>ニルス・ラングレン</strong>が、スムースかつヴァーチュオシックなトロンボーン・ソロを聴かせる。つづく「ナイトライド」は、ソフィスティケーテッドなコード進行とシンコペーテッドなリズム感覚が心地いいスムース・ジャズ。<strong>スパイロ・ジャイラ</strong>のリーダー、<strong>ジェイ・ベッケンスタイン</strong>のソプラノ、そしてフュージョン・シーンの巨匠、<strong>ボブ・ジェームス</strong>のピアノが、エレガントかつコンシステントなソロを繋いでいくが、さすがのひとこと。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおこの曲では、ベーシストの<strong>ウィル・リー</strong>も含めて、ハフナー、ローブ、フォアマンといった、<strong>メトロ</strong>のメンバーがバックを務めている。５曲目の「ライジング・サン」は、ポジティヴなフィーリングが弾ける軽快な８ビート。ローブのギターが、いつものようにジャジーなフルード・プレイングを見せる。ローブの奥さま、<strong>カルメン・クエスタ</strong>のバッキング・ヴォーカルも相変わらずチャーミング。さらに、1980年代に日本でも人気を博したアイスランドのフュージョン・バンド、<strong>メゾフォルテ</strong>のキーボーディスト、<strong>エイソール・ガンアーソン</strong>によるシンセ・ソロがマイルドな響きを奏でる。つづく「クリス・クロス」は、ソリッドなブラス・サウンドがクールなラテン・フュージョン。ジャズ・ファンク・ジィアンツ、<strong>ロイ・エアーズ</strong>の超絶技巧のヴァイブ・プレイを、たっぷり味わうことができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　７曲目の「タイム・アウト」は、ニコラス・ジュニアのラップも入るヒップホップ風ジャズ・ファンク。ドイツのギタリスト、<strong>マルティン・スケールズ</strong>のサム・ピッキングによる温かなトーンと、スウィンギーかつブルージーなフレージングが素晴らしい。つづく独特の浮遊感と推進力をもったリズム感覚が光る「ロング・ウェイ・ホーム」では、ラカトシュのソプラノとローブのギターとが深沈たる熱情を込めながら絡み合う。アルバムを締めくくる「アフター・アワーズ」は、アンビエントな感覚に溢れたバラード。ウォームなサウンドを奏でているシンセはハフナーによるもの。フォアマンのピアノによるリリカルかつエモーショナルなソロも素晴らしい。以上、とにかくハフナーのコンポジションが、すこぶる魅力的。むろん、驚異的なグルーヴの安定感をもった、タイトでスムースなドラミングも顕在。本作はその都会的なプレイ・スタイルも、しかと堪能できる名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"Urban Life","b":"Skip Records","t":"Wolfgang Haffner","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/41iu9uKtGbL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B003WID9PU","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B003WID9PU","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/Urban%20Life\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=Urban%20Life","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"Am6ES","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-Am6ES">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/wolfgang-haffner-urban-life/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>横倉裕 / YUTAKA (1988年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/yutaka-yokokura-yutaka/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=yutaka-yokokura-yutaka</link>
					<comments>https://kimama-music.com/yutaka-yokokura-yutaka/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 30 Aug 2026 07:23:32 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Yutaka Yokokura (横倉裕)]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9601</guid>

					<description><![CDATA[アメリカのフュージョン・シーンで成功した数少ない邦人ミュージシャン、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、シンガー、箏奏者、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニアとして、マルチプルな活動をする横倉裕のGR [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">アメリカのフュージョン・シーンで成功した数少ない邦人ミュージシャン、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、シンガー、箏奏者、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニアとして、マルチプルな活動をする横倉裕のGRPレコード移籍第１作『YUTAKA』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>横倉裕 / YUTAKA (1988)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Warm And Sunny Sunday Morning</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-6" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-6">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">アメリカのフュージョン・シーンで成功した数少ない邦人ミュージシャン、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、シンガー、箏奏者、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニアとして、マルチプルな活動をする横倉裕のGRPレコード移籍第１作『YUTAKA』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">不世出の天才音楽家のこれまでの歩みを振り返る① 日本編</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">不世出の天才音楽家のこれまでの歩みを振り返る② アメリカ編</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">アルバム『YUTAKA』とリリースに至るまでのおよそ10年間</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">不世出の天才音楽家のこれまでの歩みを振り返る① 日本編</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　久しぶりに、<strong>横倉裕</strong>のアルバムについて語ってみたい。横倉さん本人名義のアルバムは、実はたったの４枚しか存在しない。ファースト・アルバムの『<em>ラヴ・ライト</em>』(1978年)は、このサイトでもご紹介したことがあるので、今回は順序よくセカンド・アルバム『<em>YUTAKA</em>』(1988年)についてお伝えする。念のために云っておくと、アルファレコードからリリースされた『<em>ラヴ・ライト</em>』は、アメリカ西海岸のラジオ・ステーションにおいてヘヴィ・ローテーションとなり人気を博した。まもなくレコードが廃盤になると、未使用盤はもちろんのこと、中古盤でさえ高額で取り引きされるようになった。本盤は長い間クレート・ディガー垂涎のアイテムとなっていたが2023年、日本において最新のリマスターでリイシューされた。廃盤にならないうちに購入されることをお勧めする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで<strong>横倉裕</strong>はアメリカ西海岸において、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、シンガー、箏奏者、音楽プロデューサー、レコーディング・エンジニアとして、マルチプルな活動をするミュージシャン。とはいっても横倉さんは、紛れもなく日本人アーティストであり、そのキャリアも相当長いのにもかかわらず、いまもって知るひとぞ知る存在なのだ。彼の音楽にたまたま触れることができたひとは、かく云うぼく自身も含めて、ほんとうに幸運だと思う。なぜなら、最初に断言してしまうけれど、横倉さんは世界にただひとりの音楽家であり、彼が創造する音楽は際立って個性的で、だれにも真似することのできないものだからだ。しかもそのサウンドはとにかくハイセンスで、BGMとしてもアーバン・ライフスタイルによくマッチする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　にもかかわらず、横倉さんの音楽はいまだに一部の音楽通から高く評価されるのみにとどまり、日本の音楽ファンの間で語られる機会がほとんどない。そしてその原因は、彼のキャリアを振り返るとよくわかる。かいつまんで云うと、実は横倉さんは、高校時代から音楽業界の注目を集めるほどの実力者で、20歳でプロデビューを果たしている。その後の活躍が期待されたが1973年、突然、在籍していた成蹊大学を中退して単身渡米、活動の拠点をロサンゼルスに移してしまう。1988年には、<strong>YUTAKA</strong>名義で自己の音楽作品を制作するようになる。さらに2006年以降は、なんと<strong>カルロス “ユタカ” デル・ロザリオ</strong>という別名で活動するようになり、いまでは日本語を使うことがままならないくらい、あちらのひとになっているのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9535 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ①" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ぼくはこれまでこのブログにおいて、事あるごとに横倉さんについて語ってきた。ずっと横倉さんの音楽を追いかけてきたものからすれば、ひとりでも多くのひとに彼のことを知ってもらいたい──そう思うのは、当然の心理ではなかろうか。だから何度でも、自分がもっている情報や記憶に限られるけれど、横倉さんについて繰り返してお伝えしようと、ぼくは思うのである。ということで早速、この不世出の天才音楽家のこれまでの歩みを振り返ってみよう。<strong>横倉裕</strong>は1952年６月26日、東京都世田谷区にある代々つづく旧家の子どもとして生まれた。いやいや、もう74歳にもなるのか──。それはともかく、横倉さんは３歳からクラシック・ピアノのレッスンを受け、10代の半ばには本格的に作曲もはじめていたという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんは、幼少期から日常的に音楽や楽器に触れられる、実に恵まれた家庭環境で育った。両親が所持していた、ジャズ・ピアニストでシンガーの<strong>ナット・キング・コール</strong>、女性ポップ・シンガーの<strong>パティ・ペイジ</strong>、さらには諸々のビッグ・バンド・ジャズなどのSPレコードを、横倉さんは２歳のころから聴いていたのだという。またそのいっぽうで、ピアノのこころえのある母親が弾いていたことから、<strong>フレデリック・ショパン</strong>のエチュードにも親しんでいたとのこと。ちなみにピアノを嗜んだものとして云わせてもらうと、ショパンの全27曲の練習曲はどれも、演奏するにあたって高度な演奏技術と深い芸術性が要求される。それはさておき、ティーンエイジャーとなった横倉さんは、<strong>ザ・ビートルズ</strong>からモータウン・サウンドまで幅広く音楽を聴いていたそうだが、日本の作曲家に注目することは一度もなかったという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんの音楽は、ブラジリアン・ミュージックからの影響が強いが、やはり２歳のころから聴いていた両親所蔵のSP盤が幼い彼に刺激を与えたのだった。<strong>ルイス・ゴンザガ</strong>と<strong>ウンベルト・テイシェイラ</strong>との名コンビによる「バイアォン・ジ・ドイス」や<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>と<strong>ヴィニシウス・ジ・モライス</strong>とによる名曲「イパネマの娘」などが、当時の愛聴曲だったとか──。興味深いのは、前者のノルデスチのリズムと後者のボサノヴァのハーモニーとをかけ合わせると、にわかに横倉さんがクリエイトするサウンドがイメージされるということ。彼の音楽が孕むブラジリアン・テイストが、にわか仕込みでないことは明らかだ。そうしたなかで横倉さんがもっとも影響を受けたブラジルの音楽家といえば、ブラジリアン・ポップを世界的なものにした<strong>セルジオ・メンデス</strong>だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな横倉さん、中学生のころにはロック・バンドでドラムを叩いたりしたこともあるそうだが、成蹊高等学校に進学すると自己の音楽性をアピールしたバンド、<strong>ザ・マザーズ・ウォーリー</strong>を結成。同バンドで、1970年にヤマハ音楽振興会が主催する第４回全日本ライト・ミュージック・コンテストに出場し、自作曲「ジャスト・アフター・ザ・レイン」においてフォーク部門の第１位を獲得した。ただしこの曲、フォークではなく英語詞の爽快なボサノヴァ・ナンバーだ。幸いなことにこの音源は、1971年にポリドール・レコードが発売した『<em>第４回 全日本ライト・ミュージック・コンテスト・グランプリ1970</em>』(CD化済み)というアルバムで聴くことができる。まだ高校１年生だった<strong>杉山美奈子</strong>のリード・ヴォーカルをはじめ、バンド・パフォーマンスのクオリティの高さに驚かされる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに杉山さんは、1973年にワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック・ジャパン)から「雨のハーバーライト」というEPレコードをリリース、プロデビューを果たしている。リズム・アンド・ブルース色の強い楽曲をソウルフルに歌い上げていて、その後の活躍が期待されたが、惜しくも若くして亡くなられたそうだ。いっぽう横倉さんのほうも、それにさき駆けて20歳にしてプロデビューを果たしている。日本ではまだ歌謡曲が全盛だった1972年に、本格的なブラジリアン・グルーヴをサウンドの主軸に据えたポップ・グループ、<strong>NOVO</strong>を結成し、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディスト、そしてシンガーとしてプロ活動を開始した。ところが、EPレコード２枚をリリースするもヒットに恵まれず、ほどなくしてバンドは自然消滅。リーダーである横倉さんが、単身渡米し活動の拠点をロサンゼルスに構えたからだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後、<strong>NOVO</strong>あるいは横倉さんが発信した、その新し過ぎた高い音楽性について触れられる機会は、ほとんどなかった。ところが2003年、ジャンルに囚われない音楽を提供するというコンセプトで立ち上げられた、キングレコード傘下のPOP SHOPレーベルが、EP盤の既発音源をリマスターした４曲とお蔵入りした未発表音源８曲をすべて収録した『<em>NOVO コンプリート</em>』をリリースしたのだ。楽曲の内訳は、<strong>カーリー・サイモン</strong>、<strong>ミシェル・ルグラン</strong>、<strong>アントニオ・アドルフォ</strong>、そして<strong>ジョアン・ドナート</strong>といったジャンルを超えた４曲のカヴァー、コンポーザー、プロデューサー、そして後のアルファレコードの創設者でもある<strong>村井邦彦</strong>のペンによる２曲、そして横倉さんのオリジナル６曲となっている。どのトラックも、半世紀以上もまえの音楽とは思えないくらい新鮮に響く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">不世出の天才音楽家のこれまでの歩みを振り返る② アメリカ編</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いま聴いてもフレッシュなのだから、歌謡曲全盛時代にはひときわ異彩を放っていたであろう<strong>NOVO</strong>、新しすぎたが故に当時の大衆には受け入れられなかったのだ。トラックダウンまで済んでいながら長い間世に出ることのなかった音源が『<em>NOVO コンプリート</em>』として日の目を見るにあたり、ブラジル音楽を吸収したポップ・ユニット、<strong>オレンジ・ペコー</strong>のギタリスト、<strong>藤本一馬</strong>が「大先輩に大きなリスペクトの気持ちを感じています」と、DJでプロデューサーの<strong>須永辰緒</strong>が「今ここできっちりと再評価してあげよう」と、それぞれコメントを寄せているが、ぼくもまったく同感だった。AIまで導入されて刹那的な需要に応えるだけの音楽が粗製濫造されるいまの情報化時代において、この<strong>NOVO</strong>の音楽はまるで限りなく硬度が高く光を失わない宝石のように、ぼくには思われて仕方がない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして、<strong>NOVO</strong>のサウンドの完成度の高さは間違いなく、ひとえに横倉さんの音楽を創造するうえでの、尋常ではないこだわりによるものだろう。たとえば、そのリズム・セクションのアレンジやオーケストレーションの秀逸なマナーは、おそらく独学によるものなのだろうが、その後彼が出会うことになるメンターたちへの憧憬と敬意とが生み出した青春の日の軌跡なのだ。この奇跡的な音楽はPOP SHOP盤が廃盤になったあとにも、名盤発掘で定評のあるウルトラ・ヴァイヴによって、メンバーの意向に沿った曲順に改められたうえでリイシューされた。この『<em>ラヴ・イズ・ゼア – NOVO コンプリート・ワークス –</em>』(2013年)で特筆すべきは、この再編にあたり2012年と2013年の新規録音２曲が追加収録されたこと。特に現役から離れていたシンガー、<strong>藤川あおい</strong>の新たな歌唱が披露されたことは、まさに奇跡と云うしかない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いささか長くなってしまったが、横倉さんは<strong>NOVO</strong>時代に、たまたま来日していた憧れの存在、<strong>セルジオ・メンデス</strong>と面会し(のちに横倉さんは1991年から2011年までセルメンのグループのキーボーディストを務めることになる)、その後、やはり<strong>カーペンターズ</strong>とともに来日していた、クワイアマスターの<strong>フランク・プーラー</strong>とコンタクトをとり、その伝手で1973年ついに渡米する。彼はプーラーが教授を務めるカリフォルニア州立大学で作曲とピアノを専攻。やがて、当時セルメンのオーケストレーションを担当していた、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>に師事するようになる。さらにグルーシンの仲立ちで、ジャズからポップスまで歌う人気シンガー、<strong>ペギー・リー</strong>のアレンジャーとして６年間働いた。それから数年後、横倉さんはいよいよソロ・アルバムの制作に取りかかる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9536 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ②" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　横倉さんは1978年、当時、海外向けの戦略としてフュージョン作品を活発にリリースしていたアルファレコードと契約する。さきにも触れたが、アルファの創始者であるとともに、シティ・ポップの先駆的メロディメーカーでもあった<strong>村井邦彦</strong>は、<strong>NOVO</strong>がカヴァーした<strong>トワ・エ・モア</strong> の「愛を育てる」と<strong>赤い鳥</strong>の「窓に明りがともる時」の作曲者だ。そして横倉さんのファースト・アルバム『<em>ラヴ・ライト</em>』は、歴史的な観点からもハイクオリティなジャパニーズ・フュージョンのエクスプローラーと云える、村井さんが自らエグゼクティヴ・プロデューサーを務める、アルファレコードからリリースされる運びとなった。なおレコーディングは、1978年の６月から７月にかけて、ロサンゼルスのラスク・サウンド・スタジオとニューヨークのエレクトリック・レディ・スタジオにおいて行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ラヴ・ライト</em>』はアルファレコードの１枚であるとともに、もとはデュオ・クリエイティクスという名称の原盤制作会社で、当時アリスタ・レコード傘下でGRPレーベルを立ち上げる直前だった、グルーシン/ローゼン・プロダクションによって制作された作品でもある。プロデューサーの<strong>デイヴ・グルーシン</strong>と元ドラマーでレコーディング・エンジニアの<strong>ラリー・ローゼン</strong>は、すでに<strong>アール・クルー</strong>、<strong>ノエル・ポインター</strong>、<strong>パティ・オースティン</strong>をデビューさせており、横倉さんの場合もそれに追随する形となった。先蹤同様、本作は素晴らしい出来映えとなったが、まさか将来、クレート・ディガー垂涎のアイテムになるなんて、当時はだれも想像しなかっただろう。しかも『<em>ラヴ・ライト</em>』は、レコーディングにおいて琵琶、箏、尺八といった和楽器が採用されたことにより、ひときわ異彩を放つ作品に仕上がった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんは、コンテンポラリー・ジャズのサウンドに和楽器の音色を加えることによって、異国に身を置く日本人としての自己のアイデンティティを表現したのである。とはいっても、それはキワモノ的なオリエンタル・ミュージックではなく、むしろアーバンなムードが横溢する洗練された音楽なのだ。いまあらためて本作を聴き直してみると、どの楽曲も即興演奏は控えめで、メロディとアンサンブルが重視されていることがわかる。しかも、終始ミッド・テンポの曲で構成されているところが、非常に現代的であるようにも感じられる。このあたりに『<em>ラヴ・ライト</em>』がシティ・ポップとして、世代を超えて再評価されるに至った要因があるのかもしれない。いずれにしても、ここにあるサウンドが時代を超えて愛される良質の音楽であることは間違いない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただこの『<em>ラヴ・ライト</em>』は、卓越した音楽作品であることには違いないのだが、横倉さんの音楽を長期的な視点で考えると、過渡期におけるひとつの成果のように思われる。というのもこのレコーディングでは、横倉さん自身がリズム・セクションのアレンジを一手に担っているのだが、ストリングス、ホーンズ、それにバッキング・ヴォーカルのアレンジにおいては、半数近くの曲で彼の師匠である<strong>デイヴ・グルーシン</strong>に協力を仰いでいるからだ。さらに、のちに横倉サウンドのトレードマークのひとつとなる、箏の演奏もロサンゼルス在住の日本人ミュージシャン、<strong>喜多嶋修</strong>や、日系アメリカ人三世によるバンド<strong>HIROSHIMA</strong>のメンバー、<strong>ジューン・クラモト</strong>によるもの。おそらく当時の横倉さんは、まだ箏のインストゥルメンタル・テクニックを身につけていなかったのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてなによりも『<em>ラヴ・ライト</em>』では、<strong>NOVO</strong>のもち味だった本格的なブラジリアン・グルーヴが、サウンドの主軸に据えられる場面は一切なかった。唯一グルーシン/ローゼンに見出されたばかりの、R&amp;B系の女性シンガー、<strong>パティ・オースティン</strong>と横倉さんとがデュエットした、アルバム・タイトル・ナンバー「ラヴ・ライト」は、テンポといいコード進行といい、その後大きく進化する唯一無二の横倉サウンドを彷彿させる。しかしながらアルバムの全体像を捉えると「ラヴ・ライト」は、グルーシン所縁のミュージシャンたちに囲まれたエマージング・アーティストの、ハイクオリティなフュージョン作品といった印象を与える。横倉さんのアイデンティティが目に見えて確立されるようになるのは、やはり1988年にGRPレコードと契約したあとの作品においてである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんは、グルーシンがオーナーを務めるレーベル、GRPレコードにおいて心機一転<strong>YUTAKA</strong>名義で『<em>YUTAKA</em>』(1988年)『<em>ブラゼイジア</em>』(1990年)『<em>アナザー・サン</em>』(1993年)といった高品質のリーダー・アルバムを発表していく。作品を重ねるごとにそのサウンドは、オリエンタル・ムードが薄らぎブラジリアン・グルーヴが際立つようになる。横倉さんのヴォーカルがフィーチュアされる場面も徐々に増えていき、作品は次第にジャズ/フュージョンというよりも、どちらかというとニュー・アダルト・コンテンポラリーのフォーマットに収まるような様相を呈していく。それは原点回帰というわけではないが、かつて<strong>NOVO</strong>で横倉さんが繰り広げていたサウンドの発展系のように思われる。その点、横倉さんが自分の目指す道がなにかをポジティヴに見出したのだと、ぼくは解釈した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">アルバム『YUTAKA』とリリースに至るまでのおよそ10年間</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで『<em>ラヴ・ライト</em>』がアメリカ西海岸のマーケットを賑わせてから『<em>YUTAKA</em>』のリリースに至るまで、およそ10年のスパンが空く。横倉さんはもともと音楽に対する姿勢がストイックというか妥協知らずのひとだから、その仕事量は決して多くはなかった。そのぶん手がけた作品は、どれも極めて完成度が高い。この期間、横倉さんはニューヨーク在住の日本人ジャズ・ギタリスト、<strong>増尾好秋</strong>のフュージョン・アルバム『<em>ソング・イズ・ユー・アンド・ミー</em>』(1980)のレコーディングに、コンポーザー、アレンジャー、キーボーディストとして参加。また、キーボーディスト兼シンガーの<strong>グレッグ・フィリンゲインズ</strong>のアルバム『<em>処女航海</em>』(1981年)の冒頭を飾る「ガール・トーク」で、スタイリッシュなホーンズ＆ストリングスのアレンジを披露した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてこの長いスパンにおける横倉さんの音楽活動といえば、ぼくの知る限りでは、あと彼が敬愛する<strong>セルジオ・メンデス</strong>の音楽を、その洗練されたアレンジメントでコンテンポラリー・ジャズ風に再現してみせた<strong>L. A. トランジット</strong>のアルバム『<em>ジ・ノヴォ</em>』(1986年)くらいのもの。しかしながらこの作品は、横倉さんの音楽を愛するものにとってはマストアイテムとも云うべきもので、重要なコンテンツを抱えている。本作のラインナップは、セルメン所縁のナンバー主体で構成されているのだが、そのなかに横倉さんのオリジナル・ナンバーが２曲交えられている。具体的には「ムイト・マイス」と「サマー・ウィズアウト・ユー」という曲で、ともに横倉さんの代表曲と云える。しかも両者ともこのアルバムのヴァージョンが初出となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ブラジルの女性コーラス・グループ、<strong>クアルテート・エン・シー</strong>のメンバーだった<strong>レジーナ・ヴェルネッキ</strong>が作詞を手がけた「ムイト・マイス」は、独特のバランス感覚を有するサンバのリズム、意匠が凝らされたコード進行、テンション・ノートが多用された絶妙なハーモニーと、横倉サウンドが最大出力となったナンバー。1970年から<strong>セルジオ・メンデス＆ブラジル ’66</strong>のリード・ヴォーカリストを務めた<strong>グラシーニャ・レポラーセ</strong>が歌っている。レポラーセはセルメンの奥さまだ。この曲はのちに横倉さんがプロデュースを手がけたブラジリアン・フュージョン・グループ、<strong>ヴェラス</strong>のアルバム『<em>イーリャ・ドス・フラージス</em>』(1989年)というアルバムでカヴァーされた。そちらのリード・ヴォーカルは、<strong>ケヴィン・レトー</strong>。レトーもまた、セルメン・ファミリーのひとりだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9537 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ③" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いっぽう<strong>ハーブ・アルパート</strong>の奥さまで、<strong>セルジオ・メンデス＆ブラジル ’66</strong>の初代リード・ヴォーカリストだった<strong>ラニ・ホール</strong>が歌詞を付けた「サマー・ウィズアウト・ユー」は、スローなボサノヴァのリズム、美しいコード進行、ノスタルジックなメロディック・ライン、そしてなんとも感傷的な歌詞がこころを揺さぶる名曲中の名曲。しかもこのヴァージョンでは、横倉さん自身が個性的なソフト・タッチの歌声を披露している。この曲ものちに、女優でシンガーの<strong>藤田朋子</strong>のファースト・アルバム『<em>ザ・ウーマン・イン・ミー</em>』(1989年)、そしてフィリピンのシンガー、<strong>チャド・ボルハ</strong>の４枚目のアルバム『<em>ショウ・ミー・ザ・ウェイ</em>』(2000年)においてカヴァーされている。むろんどちらも、プロデュースとアレンジは横倉さんが手がけている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらにもうひとつ付言すると、この「サマー・ウィズアウト・ユー」は一般的に、<strong>NOVO</strong>の1973年のEPレコードとしてリリースされた「この星の上で」が原曲と観られている。確かにメロディック・ラインに類似する箇所があるのだが、キーがDからFにチェンジされる感動的なサビは「サマー・ウィズアウト・ユー」だけのものである。いずれにしても、この『<strong>ジ・ノヴォ</strong>』というアルバムは、マストハヴな１枚。また本作では、その時代を映し出す電子楽器、FMアルゴリズムを使用したデジタル・キーボード、音源内蔵のミュージック・シーケンサー、それに六角形のパッドを使用したエレクトロニック・ドラムなどが使用されている。本来それらは、いまとなっては旧時代的なサウンドとして響くのだろうが、ここで繰り広げられている音楽の普遍性の高さから、まったく違和感なく聴こえる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このことはひとえに、横倉さんの高度なミュージカリティを明示するものと云っても過言ではないだろう。そしてそのサウンドは、満を持して発表された『<em>YUTAKA</em>』のコンテンツに直結するものであるのだ。横倉さんのGRPレコードにおける最初のリーダー作『<em>YUTAKA</em>』では、横倉さん本人と<strong>デイヴ・グルーシン</strong>の７歳下の弟でキーボーディストの<strong>ドン・グルーシン</strong>とが共同でプロデュースを手がけている。吹き込みはグレンデールのモンタレー・スタジオ、ハリウッドのオーシャンウェイ・スタジオ及びサンセット・サウンド、そして横倉さんが所有するアルハンブラのダブル “Y” スタジオなどで行われた。レコーディング・エンジニアは、<strong>ジェフリー・ジレット</strong>と横倉さんが務めた。ミキシングは、キャピトル・レコーディング・スタジオにおいて<strong>ドン・マレー</strong>によって行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　主なレコーディング・メンバーは、<strong>横倉裕</strong>(key, koto, perc, vo)、<strong>ドン・グルーシン</strong>(key),<strong>ジェフ・フェア</strong>(synth prog)、<strong>オスカー・カストロ・ネヴィス</strong>(g, cavaquinho)、<strong>カルロス・リオス</strong>(g)、<strong>ポール・ジャクソン・ジュニア</strong>(g)、<strong>ティム・ウェストン</strong>(g)、<strong>フレディ・ワシントン</strong>(b)、<strong>エイブラハム・ラボリエル</strong>(b)、<strong>ジミー・ジョンソン</strong>(b)、<strong>カルロス・ヴェガ</strong>(ds)、<strong>ジョン・ロビンソン</strong>(ds)、<strong>ヴィニー・カリウタ</strong>(ds)、<strong>ルイス・コンテ(</strong>perc)、<strong>パウリーニョ・ダ・コスタ</strong>(perc)、<strong>エヴェラルド・フェレイラ</strong>(perc)、<strong>松居和</strong>(shakuhachi)、<strong>ポーリーン・ウィルソン</strong>(vo)、<strong>グラシーニャ・レポラーセ</strong>(vo)、<strong>バニー・ハル</strong>(vo)。さらに、<strong>シーウィンド・ホーンズ</strong>の面々によるホーン・セクション、<strong>シド・シャープ</strong>をコンサートマスターとするストリング・セクションが加わる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのオープナー「カラーズ・オブ・ザ・ウィンド」は、横倉さんのオリジナル。シンコペーテッドなリズムと軽やかな箏のフレージングとが爽快感を与えるインスト。のちにシンガーの<strong>モーガン・エイムズ</strong>によって歌詞が付され、<strong>ポーリーン・ウィルソン</strong>のアルバム『<em>愛の</em><ruby><em>瞬間</em><rt>ひらめき</rt></ruby>』(1992年)でカヴァーされた。横倉さんの曲に<strong>HIROSHIMA</strong>のリーダー、<strong>ダン・クラモト</strong>が歌詞を付けた「ウォーム・アンド・サニー・サンデイ・モーニング」では、横倉さんとウィルソンとのデュエットがフィーチュアされる。ゆったりとしたAORから高速サンバへのメトリック・モジュレーションが効果的だ。横倉さんとカストロ・ネヴィスとの共作「ピーチ・ブロッサム・スプリング」では、箏と尺八とが絡み合って、麗らかな日和をイメージさせるような閑麗な演奏が展開される。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんの曲に<strong>バニー・ハル</strong>が歌詞を付した「ドリームランド」は、ソフィスティケーテッドなコード進行のアダルト・コンテンポラリー。ヴァージョンは異なるが、過去に大京観光のCMで使用されていた。横倉さんのソフトでエアリーなヴォーカルが際立った、横倉サウンドが遺憾なく発揮されたナンバーだ。<strong>山田耕筰</strong>作曲、<strong>三木露風</strong>作詞の「赤とんぼ」では、ソロ・ピアノと柔らかなシンセとの絡み、美しいリハーモナイゼーションがノスタルジックなムードを醸成する。横倉さんの「ナイト・ウェイヴ」では、ホーンズ＆ストリングス、リズム・セクション、シンセサイザー、和楽器など、総力が結集され、アーバンかつダイナミックなフュージョン・サウンドが展開される。アルバム中、もっとも聴き応えのあるナンバーだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　横倉さんとハルとの共作「リヴィング・インサイド・オブ・ユア・ラヴ」は、ウィルソンのヴォーカルが弾けるディスコ・インフューズド・ポップ。横倉さんと<strong>ドン・グルーシン</strong>との共作「ザ・シャドウズ」は、箏が前面に押し出されたリフレッシングでブリージーな１曲。フュージョン・ギタリスト、<strong>エリック・ゲイル</strong>のアルバム『<em>レッツ・ステイ・トゥゲザー</em>』(1988年)でも採り上げられた。<strong>ドン・グルーシン</strong>の「アウトドア・ライフ」は、日本的情緒とデジタル・サウンドとが交錯するファンキーな曲。横倉さんの「オーロラ」は、サウンド・プログラミングのセンスが光る躍動感溢れるナンバー。師匠<strong>デイヴ・グルーシン</strong>からの影響が強く感じられる。そして<strong>ドン・グルーシン</strong>の「リフレクションズ」では、メランコリックなソロ・ピアノが美しくも影のある余韻を残す。全体的にはまだブラジリアン・グルーヴが控えめな本作ではあるが、<strong>横倉裕</strong>という音楽家がいかに逸材であるかを知るには、十分過ぎる１枚である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"YUTAKA","b":"Universal","t":"横倉裕","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/613ENGe6gOL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00KBATBJA","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00KBATBJA","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/YUTAKA\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=YUTAKA","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"iWbEB","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-iWbEB">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/yutaka-yokokura-yutaka/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Kleber Jorge / Voltar Pro Rio (Back To Rio) (1999年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/kleber-jorge-voltar-pro-rio-back-to-rio/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=kleber-jorge-voltar-pro-rio-back-to-rio</link>
					<comments>https://kimama-music.com/kleber-jorge-voltar-pro-rio-back-to-rio/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 09 Aug 2026 07:22:03 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Kleber Jorge]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9519</guid>

					<description><![CDATA[セルジオ・メンデス＆ブラジル &#8217;99で活躍したシンガーソングライター兼ギタリスト、クレベール・ジョルジがケヴィン・レトーやドリ・カイミを迎えて放ったソロ・デビュー・アルバム『ヴォルタール・プロ・リオ (バック [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">セルジオ・メンデス＆ブラジル &#8217;99で活躍したシンガーソングライター兼ギタリスト、クレベール・ジョルジがケヴィン・レトーやドリ・カイミを迎えて放ったソロ・デビュー・アルバム『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Kleber Jorge / Voltar Pro Rio (Back To Rio) (1999)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Assim Nao Dá (It Doesn&#8217;t Work This Way)</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-8" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-8">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">セルジオ・メンデス＆ブラジル &#8217;99で活躍したシンガーソングライター兼ギタリスト、クレベール・ジョルジがケヴィン・レトーやドリ・カイミを迎えて放ったソロ・デビュー・アルバム『ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">アダルト・コンテンポラリー系シンガー、ケヴィン・レトーとの結びつき</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">ブラジル音楽がアメリカ西海岸のミュージック・シーンでトレンドとなる</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">横倉裕やケヴィン・レトーのアルバムと並び称される、あの時代の名盤</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">アダルト・コンテンポラリー系シンガー、ケヴィン・レトーとの結びつき</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　藪から棒だが、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>というミュージシャンをご存知だろうか。知っているとすれば、相当な音楽通のかただろう。かく云うぼくも、実はこの音楽家のことをあまり詳しくは知らないのである。ブラジル、リオデジャネイロ出身のシンガーソングライター兼ギタリストなのだが、ぼくの知るかぎり彼のリーダー・アルバムといえば、ソニック・イメージズ・レコードが発売した『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』(1999年)、そしてジェサナ・ミュージックという未知のレーベルからリリースされた『<em>メウ・リオ</em>』(2020年)と、たったの２枚しかないのである。どんなジャンルの音楽かというと、ブラジリアン・フュージョン系のニュー・アダルト・コンテンポラリーといったところだろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この際だから、最初にジョルジのプロフィールをわかる範囲で記しておく。音楽活動の拠点をロサンゼルスに構える<strong>クレベール・ジョルジ</strong>は、1960年３月１日、リオに生まれている。父親がシンガー兼ベーシスト、祖父がカヴァキーニョとバンドリンを弾くという、音楽一家に育った。８歳から父親の手ほどきでギターを弾きはじめ、10代のころにはすでにプロのミュージシャンとして活動していた。その後リオデジャネイロ州立大学において、音楽理論の学位を取得している。ジョルジは1980年代半ばに故郷を離れ、世界各地をツアーするようになる。1984年にマイアミを訪れたあと彼は、1985年にパリの屋内アリーナ、パレ・デ・スポールにおいて１か月間、演奏活動を行った。リオに戻ったあとは、ブラジルでもっとも歴史のあるビッグ・バンド、<strong>オルケストラ・タバジャラ</strong>に参加。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジョルジはこのビッグ・バンドでシンガー兼ギタリストとして２年ほど活躍したあと1988年、ロサンゼルスに移住を決意。渡米後には、ギターについてフィンガースタイルのギタリスト、<strong>テッド・グリーン</strong>に、アレンジに関してはソングライター兼マルチ・インストゥルメンタリストの<strong>モアシール・サントス</strong>に師事した。同時に彼は自己のグループを結成し、カリフォルニア周辺で仕事をするようになる。さて、ここからである。1990年代に入ると、ジョルジは西ドイツ西ベルリン出身の女性シンガー、<strong>ケヴィン・レトー</strong>のレコーディングに関わるようになる。当時レトーは、西海岸のフュージョン、スムース・ジャズ、ブラジリアン・ジャズのスタイルで、もっとも人気を博していたアダルト・コンテンポラリー系のヴォーカリストだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9535 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ①" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ハナシがいささか脇道に逸れるが、ここでぼくがレトーに関心を寄せる経緯について触れておく。もしレトーのアルバムを手にとることがなかったら、ぼくは<strong>クレベール・ジョルジ</strong>というミュージシャンに、永遠に出会うことがなかったかもしれないからだ。そもそもぼくが<strong>ケヴィン・レトー</strong>という名前を知ったのは、フュージョン・ギタリストの雄、<strong>リー・リトナー</strong>のアルバム『<em>ポートレイト</em>』(1987年)において。ブラジリアン・テイストの「ウィンドミル」という曲で、チャーミングなバッキング・ヴォーカルを披露していたのがレトーだった。そのあとすぐ、ぼくはリオデジャネイロ出身のピアニスト、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のアルバム『<em>アララ</em>』(1989年)において、今度はリード・ヴォーカリストとしてのレトーに巡り合うのであった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　爽やかで明るい透明感と、どこかアンニュイな陰影を併せもつ声のトーンから、ぼくはすっかりレトーのことが気に入ってしまった。そんなとき、ロサンゼルスとブラジルとの混合メンバーによるフュージョン・グループ、<strong>ヴェラス</strong>のアルバム『<em>イーリャ・ドス・フラージス</em>』(1989年)が日本のレーベル、ポニーキャニオンからリリースされた。ぼくがこのアルバムを手にとった最大の理由は、日本人アーティストではもっとも敬愛する音楽家のひとり、<strong>横倉裕</strong>がプロデューサー、アレンジャー、そしてキーボーディストを務めていたこと。横倉さんは短期間ではあるが日本において、ブラジリアン・テイストのポップ・グループ、<strong>NOVO</strong>のキーボーディスト兼ヴォーカリストとして活動したのち、1970年代の中ごろに音楽制作の拠点をロサンゼルスに移した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、この<strong>ヴェラス</strong>というグループのヴォーカリストがレトーだった。しかも『<em>イーリャ・ドス・フラージス</em>』のレコーディング・メンバーのクレジットをよく見ると、バッキング・ヴォーカリストとしてジョルジの名前が記載されているのである。これがキッカケかどうかは定かでないが、その後ジョルジとレトーとの結びつきは強まる。レトーのセカンド・アルバム『<em>シンプル・ライフ</em>』(1992年)では、ジョルジが自作曲「ナナン・ダス・アグス」を引っ提げて、ギタリストとしてレコーディングに参加している。レトーは基本的に英語歌唱のシンガーだが、この曲においては前半をポルトガル語で歌っている。明るく軽快な感じのフロウが、とてもフレッシュに響く。この曲、実はのちにジョルジ自身によってセルフ・カヴァーされる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つづくサード・アルバムの『<em>アナザー・シーズン</em>』(1994年)では、ジョルジはレコーディングには未参加だが、タイトル・ナンバーの「アナザー・シーズン」を作曲している。この曲はのちにジョルジ自身によって、ポルトガル語で歌われる。さらにジョルジは、レトーのフォース・アルバム『<em>風の言葉〜ユニヴァーサル・ランゲージ</em>』(1995年)でも、自作曲「アンダーニース・ザ・フェイス・オブ・ザ・ムーン」を提供している。この曲もまた、後年ジョルジ自身によってセルフ・カヴァーされる。ただこの曲に関しては、ジョルジもレトーのペンによる英語の歌詞をそのまま歌っている。以上、３曲はさきに挙げたジョルジのリーダー作『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』に収録されている。詳細はのちほどお伝えする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　おなじころジョルジは、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のリーダー作で、グラミー賞の最優秀ワールド・ミュージック・アルバム賞を獲得した『<em>ブラジレイロ</em>』(1992年)に、レトーともどもバッキング・ヴォーカリストとして参加している。その後ジョルジは、アルト奏者、<strong>渡辺貞夫</strong>の『<em>インテンポ</em>』(1994年)、リオデジャネイロ出身のギタリスト、<strong>ドリ・カイミ</strong>の『<em>イフ・エヴァー</em>』(1994年)、ベーシスト、<strong>ジョン・パティトゥッチ</strong>の『<em>ファイン・ミキスチャー</em>』(1995年)といった、メジャー・アーティストのレコーディングを経て、ふたたびセルメンのアルバム『<em>オセアーノ</em>』(1996年)に参加。以降ジョルジはそのままセルメンのグループに加入し、ヴォーカリスト、ギタリスト、そしてアレンジャーとして、大いに腕を振るった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ブラジル音楽がアメリカ西海岸のミュージック・シーンでトレンドとなる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>というミュージシャンが、<strong>セルジオ・メンデス</strong>もそうだが、ロサンゼルス在住のボサノヴァをベースとしたブラジリアン・ミュージックに特化したアーティストであることは、おわかりいただけただろう。そして1990年代以降、アメリカ西海岸のラジオ・フォーマットとして人気を博したニュー・アダルト・コンテンポラリーは、ブラジル音楽との関係が密接だけれど、そういうミクスチュアをクリエイトしていたのが、<strong>横倉裕</strong>や<strong>ケヴィン・レトー</strong>だった。そしてジョルジの音楽もまた、その流れを汲むものである。云ってみれば、ウェストコースト・フュージョンの躍動感と、ブラジリアン・ミュージックの清涼感とを併せもつ、爽やかで耳に馴染みやすい音楽。気軽に楽しめるものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　もともとぼくは、幼いころからブラジル音楽に親しんでいた。テレビ放送で、1970年の大阪万博における<strong>セルジオ・メンデス</strong>のライヴ・パフォーマンスを観て感激したクチだが、思えばあれがブラジル音楽との出会いだった。ただ、ブラジリアン・ミュージック特有の味わいに強く惹かれたのは、20世紀のブラジル音楽を代表する作曲家、<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の曲を聴いたときが最初だったと思う。もちろんそのときのぼくは、ジョビンの音楽がボサノヴァというもので、ショーロ、サンバ、ノルデスチとともにブラジルの音楽のひとつであるなどとは、まだ知る由もなかった。ただ、その簡素で美麗なメロディック・ラインと心地いいテンション・コードとに、ぼくの感性がいたく刺激されたことはハッキリ覚えている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジョビンの音楽をじっくり味わうなら、まずはなんといっても初リーダー作の『<em>イパネマの娘</em>』(1963年)だろう。“<em>The Composer Of Desafinado, Plays</em>”という原題からもわかるようにジョビンのセルフ・カヴァー・アルバムで、曲目はすべて彼のアコースティック・ピアノが主軸に据えられたインストゥルメンタル・ナンバーで構成されている。このアルバムに収められたジョビンのペンによる１ダースのマスターピースにしても、そのなだらかで麗しいメロディック・ラインを綴るピアノ演奏にしても繊細で優美なもの。たとえば、晴れ渡った青空のもとそよそよと吹く風、はたまた波立つことのない穏やかな海といったイメージが喚起される。そんなサウンドをよりスウィートなものにしているのは、<strong>クラウス・オガーマン</strong>のアレンジとコンダクティングによるストリングスだ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9536 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ②" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　オガーマンはドイツのラーティボーア(現在のポーランド領ラチブシュ)生まれの音楽家で、もともとはクラシック畑のひと。1959年にアメリカへ渡り、ニューヨークに活動の拠点を置いた。1963年からヴァーヴ・レコードのミュージカル・ディレクターを務めるようになり、プロデューサーの<strong>クリード・テイラー</strong>とコンビを組む。純音楽の作曲をしながらも、ポップス、ロック、ジャズ、ラテン、リズム・アンド・ブルースなど、生涯にわたりあらゆるジャンルの音楽のオーケストレーションを手がけた。オガーマンはこの『<em>イパネマの娘</em>』でも、効果的に弦楽器群を鳴らしている。ジョビンが創造した美しいメロディと心地いいハーモニーに、背後から彩りを添えているのだ。彼のスゴいところは、奥ゆかしいほどに音の無駄使いをせず、いつも適宜適切な入れかた、重ねかたで、高品質のオーケストラ・サウンドを提供するという点である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハナシが本筋から大きく外れてしまったが、とにかくブラジル音楽がぼくに与えた影響は大きい。それを年代別に俯瞰すると、1960年代のジョビン、1970年代の<strong>ミルトン・ナシメント</strong>、1980年代の<strong>イヴァン・リンス</strong>からは、特に刺激を受けたと云える。リオ出身のナシメントは、MPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)の代表的なシンガーソングライターだが、ジャズ・サクソフォニスト、<strong>ウェイン・ショーター</strong>のアルバム『<em>ネイティヴ・ダンサー</em>』(1975年)でフィーチュアされたことから、ぼくは彼に関心を寄せるようになった。このアルバムにおけるショーターとナシメントとのコラボレーションは、２種類の芳醇なミュージカリティがよくブレンドされた上質の音楽を生み出している。それを端的に云えば、ジャズとブラジル音楽とが溶け合ったフュージョン・ミュージックとなる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくはショーターのアルバムを体験したすぐあと、偶然にもふたたびナシメントがフィーチャリング・アーティストとして迎えられた作品に出会う。それは、キーボーディストである<strong>ジョージ・デューク</strong>の『<em>ブラジリアン・ラヴ・アフェア</em>』(1980年)というアルバム。ブラジル原産の素材がデューク流に味つけされ、ワン・アンド・オンリーなブラジリアン・サウンドが創出されたフュージョンの名盤である。このアルバムに収録されている、タンボーリス・ジ・ミナスのリズムが活かされた「クラヴォ・イ・カネーラ」やラテン・エッセンス溢れるフォルクローレ調の「アオ・キ・ヴァイ・ナセール」といったナシメントの自作曲では、彼のヴォーカルがまさに独擅場でその存在感の大きさと影響力の強さを、あらためて感じさせられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そして最後に<strong>イヴァン・リンス</strong>だが、ブラジル音楽において、ぼくがもっともこころを打たれたのは、実は彼の曲なのである。1980年代に彼の曲を積極的に採り上げていたのは、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞する音楽プロデューサー、<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>だ。ジョーンズが当時、ソングライター兼アレンジャーとしてイングランド、リンカンシャー出身のキーボーディスト、<strong>ロッド・テンパートン</strong>を起用していたことはよく知られている。多国籍バンド、<strong>ヒートウェイヴ</strong>のメンバーでもあるテンパートンが書くソウルフルかつソフィスティケーテッドな楽曲はすこぶるスタイリッシュなのだけれど、ぼくにとってはリンスのペンによる浮遊感のあるコード進行が際立ったナンバーのほうが、ずっと魅力的に感じられたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　リンスはやはりリオ生まれのシンガーソングライター。むろんぼくは、ポルトガル語の歌詞の内容を理解する言語スキルをもち合わせていなかったけれど、それでも高度なジャズ・ハーモニーを孕んだ洗練されたアダルト・オリエンテッドな音楽として、深く寄り添うようにリンスの音楽を熱心に聴いていた。あとでぼくは、ソフィスティケーテッドでアーバンなブラジリアン・サウンドと、こころもちアーシーな香りを放つヴォーカル・パフォーマンスが交錯するリンスの楽曲の歌詞の内容を知って、それがハーモニーやメロディック・ラインから想像していたものとまったく違っていたので愕然としたもの。リンスのパートナー、<strong>ヴィトール・マルティンス</strong>の書いた歌詞は、実は社会的なメッセージを発信するものだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはともかくリンスは、コンテンポラリー・ジャズの大御所キーボーディスト、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>、そして前述のギタリスト、<strong>リー・リトナー</strong>によってロサンゼルスに招聘され、彼らのコラボレーション・アルバム『<em>ハーレクイン</em>』(1985年)のレコーディングに参加。既存の自作曲をポルトガル語で歌った。その都合３曲はどれも、グルーシンのペンによってセンシティヴなアレンジが施された。リンスのアーシーなヴォーカル・パフォーマンスと、グルーシン＆リトナーによるソフィスティケーテッドなオブリガートとのコントラストが得も云われぬ美しさを生んでいる。このアルバムは、多くのミュージシャンに影響を与えた歴史的作品であるし、1990年代以降アメリカ西海岸のミュージック・シーンでトレンドとなった、ニュー・アダルト・コンテンポラリー作品の礎となったと、ぼくは思う。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">横倉裕やケヴィン・レトーのアルバムと並び称される、あの時代の名盤</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに補足すると、このグルーシンにアレンジの手ほどきを受けたのが、前述の<strong>横倉裕</strong>だった。横倉さんが渡米し、カリフォルニア州立大学で作曲とピアノを専攻したのちのことである。そのグルーシンといえば、1967年から1979年ごろまで、<strong>セルジオ・メンデス</strong>のレコーディングにおいてオーケストレーションを担当していた。セルメン・サウンドをスウィートなものにしていたのは、グルーシンのソフィスティケーテッドなアレンジメントだったと云っても過言ではない。また、横倉さんも<strong>NOVO</strong>時代に来日中のセルメンと運命的な出会いを果たしており、それが縁でのちに1991年から2011年まで、セルメンのグループのキーボーディストを務めることになる。さきにも述べたがレトーとジョルジも、セルメン所縁のミュージシャン。なにか偶然とは思えない、強い導き、あるいは引き合わせが感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてもうひとこと加えておきたいのが(ひとことでは済まないのだが)、レトーと横倉さんとのパートナーシップについて。ふたりの関係は、さきに触れたフュージョン・グループ、<strong>ヴェラス</strong>のレコーディングのあともしばらく継続する。レトーのソロ・デビュー・アルバム『<em>ユア・スマイル</em>』(1991年) では、横倉さんがソングライティング、アレンジ、バッキング・ヴォーカル、キーボード、そして箏を担当。さらに４枚目の『<em>風の言葉〜ユニヴァーサル・ランゲージ</em>』(1995年)では、ソングライター、レコーディング・エンジニアとして、７枚目の『<em>リトル・シングス</em>』(2001年)では、ソングライター、レコーディング・エンジニアとしてアルバム制作に関わっている。ちなみに横倉さんは、以上のアルバムの吹き込みが行われた、ロサンゼルスのアルハンブラにあるダブル “Y” スタジオの所有者でもある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その間、横倉さんがプロデュースを手がけたピノイ・ポップ・シンガー、<strong>チャド・ボルハ</strong>のアルバム『<em>ショウ・ミー・ザ・ウェイ</em>』(2000年)に、レトーがデュエット・シンガーとして参加している。そんななかでも、ふたりがもっとも蜜月の関係を示した作品といえば、レトーの５枚目のアルバム『<em>ランゲージ・オブ・フラワーズ</em>』(1998年)だった。横倉さんはこのアルバムの全面で、レトーの公私にわたるパートナー、<strong>マイケル・シャピロ</strong>と共同で、プロデュースを手がけている。むろん横倉さんは、ソングライティング、アレンジ、プログラミング、キーボード演奏、そしてレコーディングまで、八面六臂の活躍を見せる。なお、シャピロはワシントンD.C.出身のドラマー、パーカッショニストで、20年以上に及んで<strong>セルジオ・メンデス</strong>のライヴおよびレコーディングをサポートした。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9537 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3.png" alt="アメリカ西海岸ロサンゼルスの風景(イラスト) ③" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/08/la3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　そんな西海岸のコンテンポラリー・ジャズのセンシティヴィティとブラジル音楽の複雑なリズムとが融合した、軽快で心地いいサウンドが花咲かせたブラジリアン・フュージョン・ムーヴメントにおいて、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>もまた注目すべき存在。彼は2001年、山口県で開催されたEXPO YAMAGUCHI 2001(山口きらら博)に出演したが、それに先駆けて日本でもその初リーダー・アルバム『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』が、国内仕様盤として発売された。このアルバムのバックインレイには「<strong>セルジオ・メンデス＆ブラジル &#8217;99</strong>で活躍する才能溢れるギタリスト兼ヴォーカリストが、世界中を旅して生み出した楽曲の数々を、リオデジャネイロのフレーヴァーとスタイルを込めてお届けします」と記されている。本作のコンテンツは、まさにそういうサウンドでまとめられている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、ジョルジのもう１枚のリーダー作『<em>メウ・リオ</em>』はインディーズ・アルバムで、彼の出演するライヴ会場などで販売されたようだ。内容的には信仰、希望、そしてインスピレーションといったテーマが反映された、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック。メロディアスなコンポジションと、こころを揺さぶるような歌詞がその特徴ではあるが、そのサウンドは『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ</em>)』と同様に、ブラジリアン・フュージョンとして楽しめるものだ。こちらはなかなか入手が困難と思われるけれど、アップル・ミュージックやアマゾン・ミュージックなどで気軽に聴くことができる。個人的なお薦めは『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』である。横倉さんやレトーのアルバムと並び称される、あの時代の名盤だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　では最後に『<em>ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)</em>』について、具体的にメモしておく。レコーディング・メンバーは、<strong>クレベール・ジョルジ</strong>(g, vo)、<strong>ビル・カントス</strong>(key, vo)、<strong>ビル・ブレンドル</strong>(key)、<strong>ラリー・ウィリアムズ</strong>(key)、<strong>ヘナート・ネト</strong>(p)、<strong>カール・バーネット</strong>(g)、<strong>リカルド・シルヴェイラ</strong>(g)、<strong>ランディ・ティコ</strong>(b)、<strong>キース・ジョーンズ</strong>(b)、<strong>マイケル・シャピロ</strong>(ds, perc)、<strong>ケヴィン・ウィナード</strong>(ds, perc)、<strong>ケヴィン・リカード</strong>(perc)、<strong>ルイス・コンテ</strong>(perc)、<strong>メイア・ノイチ</strong>(perc)、<strong>カッシオ・ドゥアルチ</strong>(perc)、<strong>ペドロ・ユスターシュ</strong>(fl)、<strong>スコット・マヨ</strong>(fl, ts, vo)、<strong>フスト・アルマリオ</strong>(fl,ss)、<strong>ロイス・アルベス</strong>(vo)、<strong>ドリ・カイミ</strong>(vo)、<strong>ジュリー・ラギンズ</strong>(vo)、<strong>ケヴィン・レトー</strong>(vo)、<strong>ヘナータ・ゲバラ</strong>(vo)、<strong>キャロル・ロジャース</strong>(vo)。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　プロデュースは、シャピロ、カイミ、そしてジョルジ自身が手がけている。全編でジョルジのヴェルヴェット・ヴォイス、ポップでスムースなサウンドが展開される本作、オープナーはアルバム・タイトル・ナンバー「ヴォルタール・プロ・リオ (バック・トゥ・リオ)」で、軽快なサンバのリズムによってその世界に一気に引き込まれる。アルマリオのソプラノも風のように軽やか。つづく「ダンサ・ド・オウロ (ゴールデン・ダンス)は、もっともアーシーでトロピカルなナンバー。<strong>ゼー・ヘナート</strong>率いるMPBコーラス・グループ、<strong>ボカ・リヴリ</strong>のカヴァー曲で、この曲以外はすべてジョルジのオリジナルだ。個人的には特に好きな「アシン・ナォン・ダー (イット・ダズント・ワーク・ディス・ウェイ)」は、小気味いいビートと洗練されたコードが魅力的。オシャレだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　英語で歌われる「カメラ」は、ブラジリアン・グルーヴとメロウ・フュージョンのマリアージュ。マヨのテナーもムードいっぱい。ルンバ風の「トロヴァドール」では、リラクゼーション溢れるサウンドに乗って、ジョルジのギター・ソロも飛び出す。レトーのアルバムに収録されていた「ナナン・ダス・アグス (ナナ・オブ・ザ・ウォーター)」は、スピード感のある心地よさが際立つ。アルマリオのフルートも清涼感を弾けさせる。シンコペーテッドな「セン・パラール (ハンギング・ゼア)」は、まさにブラジリアン・フュージョン。シルヴェイラのブルージーなギターがよくフィットしている。バラードの「ジ・ヘペンチ・オ・アモール (サドン・ラヴ)」は、コード進行が<strong>イヴァン・リンス</strong>のそれを彷彿させる美しいナンバー。レトーのヴォーカルもフィーチュアされる。この曲も特に好き。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　英語で歌われる「クライ・フォー・ジョイ」は、ジョルジのギター・ソロも跳ねるハッピー・チューン。バイーア州サルヴァドール出身の伝説的シンガー、<strong>ドリヴァル・カイミ</strong>にインスパイアされた「デスクルピ・カイミ (フォー・ギヴ・ミー・カイミ)」は、落ち着いた感じのピュアなボサノヴァ。レトーのアルバムに収録されていた「アンダーニース・ザ・フェイス・オブ・ザ・ムーン」は、オリジナルどおり英語で歌われる。レゲエ風のリズムが楽しい。アルマリオのソプラノも上手く絡んでいる。アルバムを締めくくる「マンゲイラ」は、レトーの「アナザー・シーズン」のポルトガル語ヴァージョン。ジスフィーレ風のアレンジにこころが踊る。個人的には、ウィリアムズのシンセ・ソロに、懐かしさを感じる。以上、本作は間違いなくブラジリアン・フュージョンの傑作。見かけたら、絶対に手にとるべき作品だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"Voltar Pro Rio (Back to Rio)","b":"Sonic Images","t":"Kleber Jorge","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"\/images\/I","p":["\/51KGXMWXQ9L._SL500_.jpg","\/51p7PYNcSKL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00000IGRD","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00000IGRD","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/Voltar%20Pro%20Rio%20(Back%20to%20Rio)\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=Voltar%20Pro%20Rio%20(Back%20to%20Rio)","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"ZdKrP","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-ZdKrP">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/kleber-jorge-voltar-pro-rio-back-to-rio/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Gene Harris / In A Special Way (1976年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/gene-harris-in-a-special-way/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=gene-harris-in-a-special-way</link>
					<comments>https://kimama-music.com/gene-harris-in-a-special-way/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 19 Jul 2026 07:19:26 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Gene Harris]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9427</guid>

					<description><![CDATA[ザ・スリー・サウンズの人気ピアニスト、ジーン・ハリスがアース・ウィンド＆ファイアのリズム隊をバックにアコースティック・ピアノを聴かせるブルーノートBNLAシリーズの１枚『イン・ア・スペシャル・ウェイ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ザ・スリー・サウンズの人気ピアニスト、ジーン・ハリスがアース・ウィンド＆ファイアのリズム隊をバックにアコースティック・ピアノを聴かせるブルーノートBNLAシリーズの１枚『イン・ア・スペシャル・ウェイ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Gene Harris / In A Special Way (1976)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Love For Sale</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-10" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-10">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">ザ・スリー・サウンズの人気ピアニスト、ジーン・ハリスがアース・ウィンド＆ファイアのリズム隊をバックにアコースティック・ピアノを聴かせるブルーノートBNLAシリーズの１枚『イン・ア・スペシャル・ウェイ』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">ハード・バップを上手くコマーシャルなポップ・ジャズに昇華させた</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">時代の趨勢とともに装いが変わっていても出来損ないの作品は１枚もない</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">クセになるナンバーが満載のひとたび聴いたらハリスの沼にハマるアルバム</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">ハード・バップを上手くコマーシャルなポップ・ジャズに昇華させた</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　前回は<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のデビュー・アルバム『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』(1958年)をご紹介した。<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は云うまでもなく、名門ブルーノート・レコードが生んだ、不世出のピアノ・トリオ・スタイルのジャズ・アンサンブル。ハード・バップ、ファンキー・ジャズ、モーダル・ジャズ、あるいはフリー・ジャズなどが混沌とした1960年代において、常にフレッシュなリラクゼーションをリスナーに提供していた唯一のバンドである。肩肘を張らないプレイを展開するピアノ・トリオという点では、右に出るものはいないだろう。ソフィスティケーションやポップ性に関しても、同時代のピアノ・トリオのなかでも、もっとも先を行っていたように思われる。ブルーノートの社長、<strong>アルフレッド・ライオン</strong>も彼らを積極的にアピールした。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そのサウンドが孕んだポピュラリズムは、一部の有識者からは批判を受けたが、一般的には広く歓迎された。どちらかというと硬派なレーベルという印象を与えるブルーノートにおいて、このトリオはひときわ異彩を放っている。彼らがプレイするのは、レイドバックでエンジョイアブルなモダン・ジャズ。おそらくブルーノートにおいて、これほど鷹揚で楽しげにスウィングするジャズを聴かせるアーティストは、このトリオをおいてほかにいないだろう。また当時のジャズ・シーンにおいて、オリジナル・チューンで勝負するアーティストが多いなか、逡巡せずジャズ・スタンダーズをまえ向きに演奏していたのも<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>だった。しかもそのサウンドは、ファンキーでありながらエレガントでもある。それゆえ彼らのレコードは、いま聴いてもとても新鮮に響くのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このブルーノート・レコードが輩出した、押しも押されもせぬモダン・ジャズの人気グループのメンバーは、ピアノの<strong>ジーン・ハリス</strong>、ベースの<strong>アンディ・シンプキンス</strong>、ドラムスの<strong>ビル・ダウディ</strong>。３人はみな確たる実力の持ち主だが、我田引水なプレイを展開するものはひとりもいない。そのサウンドは極端に偏ることがなく、３人の演奏は一様に過不足なく調和がとれている。そして、このバランスのとれたコンビネーションが、ジャズという音楽の楽しい部分を自然に引き出している。特に1958年から1962年までに吹き込まれたブルーノートの作品群は、どれも３人の構造的かつ機能的につながるプレイが際立った佳作揃い。いずれせよ、こういうピアノ・トリオは存外少なくて、ブルーノートがこのトリオを“<strong>ジーン・ハリス・トリオ</strong>”ではなく、敢えてグループ名義でデビューさせたのも、大いに得心がいく。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9439 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf1.png" alt="ライヴ演奏をする黒人ミュージシャンたちのイラスト(茶色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ちなみに、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>によるこの期間の吹き込みのブルーノート盤といえば、<strong>ルー・ドナルドソン</strong>や<strong>スタンリー・タレンタイン</strong>とのコラボレーション・アルバムや、あとから掘り起こしが行われ商品化された音盤を含めると15枚に上る。しかも驚くなかれ、アルバム収録曲のうちの40曲以上が、シングルカットされているのだ。これらのアルバムとシングルは、たった４年の間のレコーディング作品ということになるのだが、このいわばブルーノートきっての愉快な音楽隊が、当時からいかに人気ものであったかがよくわかる。ところが、そんな<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>も大手のヴァーヴ・レコードに引き抜かれ、1962年10月13日にアルバム『<em>ブルー・ジーンズ</em>』(1962年)のレコーディングを行うことになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>には、このヴァーヴをはじめ、マーキュリー、ライムライトといったレーベルにも吹き込みがあるのだけれど、どれもブルーノートでの諸作には到底およばない。それらの点を踏まえると、このトリオは異形でありながら、ブルーノート・レコードならではの存在とも云えるのである。結局<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、上記のように所属レーベルを転々としたあと、1966年に古巣のブルーノートに舞い戻る。しかしながら、このころからドラマーが<strong>カリル・マディ</strong>、<strong>ドナルド・ベイリー</strong>、<strong>カール・バーネット</strong>と交替し、ベーシストもアルバム『<em>ソウル・シンフォニー</em>』(1969年)から、長年トリオのボトムを支えてきたシンプキンスに替わり<strong>ヘンリー・フランクリン</strong>になる。復帰第１作に当たる『<em>ヴァイブレーションズ</em>』(1967年)は、これまでになくポップ・テイストが強調されたアルバムとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、ライムライト時代からニュージーランド出身のピアニスト、<strong>ジュリアン・リー</strong>にアレンジを任せてイージー・リスニング風のサウンドを展開したり、当時流行っていたジャズ・ロックのリズムを採り入れたりして、コマーシャルなポップ・ジャズ路線を打ち出していた。つまり芸術性よりもレコードの売り上げや大衆性を最優先した作品を制作していたわけだが、それらに低俗に堕するようなところがないのは流石と云うしかない。その流れからさらに飛躍したのが、この『<em>ヴァイブレーションズ</em>』だったと、ぼくは思う。ハモンド・オルガンのオーヴァーダブや瞬発力のあるドラムスが打ち出す８ビートは、ひと言で云えばキャッチーだ。リズム・アンド・ブルース、映画音楽、それにクラシックのアダプテーションといった選曲も、実に楽しい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　考えてみれば、ブルーノートの多くのアーティストがフリー・ジャズを探求していた時期に、それを他所に閉塞感が漂っていたハード・バップを上手くコマーシャルなポップ・ジャズに昇華させていたのは、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>だった。このブルーノート復帰第１作『<em>ヴァイブレーションズ</em>』はその嚆矢でもあり、現在もブルーノート発レア・グルーヴとしてジャズの愛好家以外にも重宝されている。そのキッカケを作ったのは、1980年代の英国ロンドンのクラブ・シーンで活躍した伝説的なジャズDJであり、音楽プロデューサーでもある<strong>バズ・フェ・ジャズ</strong>だった。<strong>ジャイルス・ピーターソン</strong>らとともに、クラブで踊るための新しいジャズ・スタイルを確立したことはあまりにも有名だが、彼がフロアを熱くするためにプレイしていたのがこのレコードだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムもそうだけれど、1960年代の後半から1970年代の前半までのブルーノート作品のなかには、本来踊るための音楽として捉えられることのなかったジャズがレア・グルーヴとして発掘され、ダンス・ミュージックとして再評価されたレコードがいくつかある。アーティストで云えば、<strong>デューク・ピアソン</strong>、<strong>リューベン・ウィルソン</strong>、<strong>ボビー・ハッチャーソン</strong>、<strong>グラント・グリーン</strong>、<strong>ルー・ドナルドソン</strong>、<strong>ハンク・モブレー</strong>、そして<strong>ドナルド・バード</strong>らのアルバムは、レア・グルーヴのムーヴメントにおいて特に重要視された。その先駆けとなったのが、まさに『<em>ヴァイブレーションズ</em>』と云えるのではなかろうか。ブルーノートのお抱えグラフィックデザイナー、<strong>リード・マイルス</strong>が手がけた、リズムに合わせて身体を動かしているかの如き女性があしらわれた、カヴァー・フォトも秀逸だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういうサウンドの変化とともに、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>では、前述のように何度かメンバーチェンジが行われていく。1966年の２月に行われたシカゴの名門ジャズ・クラブ、ロンドン・ハウスでのライヴでは、ドラマーがすでにダウディから<strong>カリル・マディ</strong>に替わっている。このときの演奏はライムライト・レコードからリリースされた『<em>スリー・サウンズ・ライヴ・アット・ザ・ロンドン・ハウス</em>(<em>Today&#8217;s Sounds</em>)』(1966年)において聴くことができるが、このころのハリスはまだアコースティック・ピアノの演奏のみに集中している。それでもこのライヴ・アルバムを聴いてみると、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のレパートリーにはもちろんのこと、演奏のスタイルにももはやロックやポップスの影響が色濃く反映されていることがわかる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">時代の趨勢とともに装いが変わっていても出来損ないの作品は１枚もない</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ブルーノート復帰後の<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は、さきにも触れたがハリスがハモンド・オルガンを弾いたり、<strong>オリヴァー・ネルソン</strong>、<strong>モンク・ヒギンズ</strong>らのアレンジによるオーケストラと共演したり、サウンド的にもソウル・ジャズへ傾倒する。作品のクオリティは決して低くはないのだが、かつてのコンビネーションの魅力はすっかり薄まったと云える。なおハリスはバンド名を冠した最後のアルバム『<em>ザ・スリー・サウンズ</em>』(1971年)を吹き込んだあと、ついに個人名義の純然たるソロ・アルバム『<em>ジーン・ハリス・オブ・ザ・スリー・サウンズ</em>』(1972年)を発表する。アルバム・タイトルには相変わらず“<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>”が付されているが、同グループのメンバーは一切参加していないので、まさしくハリスのリーダー作と捉えられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムでハリスは、まだ４ビートを演っている。しかしながら本作のサウンドは、レコーディングに初期のモータウン・サウンドを支えた<strong>ウェイド・マーカス</strong>がアレンジャーとして迎えられたこともあって、かなりソウル色が強くなっている。このアルバムがリリースされたあとの1973年、ついに<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は解散。その後ハリスはソロ・アーティストとして、ブルーノートのBNLAシリーズにおいて、２枚組の『<em>イエスタデイ・トゥデイ＆トゥモロー</em>』(1973年)をはじめ『<em>アストラル・シグナル</em>』(1975年)『<em>ネクサス</em>』(1976年)『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』(1976年)『<em>トーン・タントラム</em>』(1977年)と、順調にリーダー作を吹き込んでいく。そのサウンドは、ジャズ・ロックから次第にジャズ・ファンクへと変化していく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>の演奏は1970年まで、そして<strong>ジーン・ハリス</strong>のソロ・アーティストとしての吹き込みは1998年まで音盤で聴くことができるのだが、ハード・バップ、ポスト・バップ、ソウル・ジャズ、ジャズ・ファンクと、時代の趨勢とともに装いが変わっていても、それらのなかに出来損ないの作品が１枚もないのに驚かされる。それは、ハリスの柔軟な音楽性に依るところが大きいのではなかろうか。彼は９歳からまったくの独学で、ピアノを弾きはじめた。ハリスの最初のアイドルは、伝説的ブギウギ・ピアニスト、<strong>アルバート・アモンズ</strong>、やはり超絶技巧のブギウギ・ピアニスト、<strong>ピート・ジョンソン</strong>だった。その後、<strong>エロール・ガーナー</strong>からも影響を受けたという。そういえばガーナーもまた、楽譜がまったく読めない独学のピアニストだった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9440 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf2.png" alt="ライヴ演奏をする黒人ミュージシャンたちのイラスト(青色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　いずれにせよ、ハリスのブルース・スタイルのピアノ・プレイの原点は、それらのピアニストから刺激を受けたものだったのかと、大いに得心がいく。ときにハリスは高校時代、同郷の士でありのちに<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のドラマーとなる、<strong>ビル・ダウディ</strong>とトリオを結成。地元のミシガン州ベントン・ハーバーのクラブで初舞台を踏んだ。1951年から1954年までアメリカ陸軍の第82空挺師団の軍楽隊で演奏し腕を磨いた。除隊したあとはふたたび地元で演奏活動を行い、1956年に<strong>フォー・サウンズ</strong>を結成。メンバーには、ハリス、シンプキンス、ダウディのほかに、サクソフォニストの<strong>ロニー・ウォーカー</strong>がいた。1957年にウォーカーがグループを脱退すると、残りの３人はまずワシントンD.C.に、次いでニューヨーク・シティに移動し、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>として活動を開始した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>が最初に契約を結んだのは、ブルーノート・レコードではなく<strong>オリン・キープニュース</strong>と<strong>ビル・グラウアー</strong>が設立したリヴァーサイド・レコードだった。初レコーディングは、奇しくも『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』のそれとおなじ1958年の９月のこと。コルネティストの<strong>ナット・アダレイ</strong>をリーダーとするセッションで、テナー奏者の<strong>ジョニー・グリフィン</strong>とともに<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>が参加した。このときの音源はアダレイのアルバム『<em>ブランチング・アウト</em>』(1958年)としてリリースされた。このアルバム、発売されたのがなんと『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』とおなじ、1958年の12月のことである。アダレイとグリフィンとの刺激的なフロントラインも然ることながら、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のファンキーなプレイが軽妙だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>は1958年、ニューヨークのオフビート・クラブに出演中、来店していたブルーノートの創設者、<strong>アルフレッド・ライオン</strong>に見初められた。なんとその場で、ブルーノートとの契約が成立。そしてその数日後には、早くもデビュー・アルバム『<em>イントロデューシング・ザ・スリー・サウンズ</em>』が吹き込まれたのである。なお、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>をライオンに薦めたのが、<strong>ホレス・シルヴァー</strong>だったということはあまりにも有名である。それはともかく、ハリスのピアノ・スタイルをひと言で云うと、それは中庸ということになる。ソウルフルではあるけれど、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>ほどアーシーではない。ハッピー・フィーリングが際立つが、<strong>オスカー・ピーターソン</strong>ほど弾きまくらない。また、しばしばブロック・コードを使用するけれど、<strong>レッド・ガーランド</strong>の弾きかたほどユニークではない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　つまりハリスのピアニズムは、いま挙げた３人のように一極集中するようなことはなく、常に過不足がなく調和がとれているのである。それを無個性と云ってしまえばそれまでなのだが、３人のもつスピリットを兼ね備えたハリスのスタイルは、裏を返せばリスナーにモダン・ジャズの楽しさのエッセンスを満遍なく与えるものとも云える。その点、気軽にジャズを楽しめるというところが、最大の魅力となっている。そういうハリスの音楽性は、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>のもつ固有の性質にそっくりそのまま当てはまる。さらに云えば、そのプレイは風格さえ漂わせるのだが、それは間を活かしたコンセプト、軽快なタッチ、そして控えめなエクスプレッションから来るのだろう。そういうところは、ちょっと<strong>アーマッド・ジャマル</strong>を彷彿させる。そして、ハリスのソウル志向でありながらエレガントな雰囲気をもつピアノ・スタイルは、不思議なことにどんなジャンルにもフィットするのだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなハリスだから、さきに挙げたBNLAシリーズに彼が残した６作品は、どれも全体的に観て出来がよく高い品質をもっている。BNLAはブルーノートがユナイテッド・アーティスツの管理下へ統合されたあと、1973年からカタログ番号に付されたもの。ただメインストリーム・ジャズをこよなく愛するファンからは、伝統的な４ビートやスウィングが重視されるが故、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>時代のアルバムが一定の評価を得るいっぽうで、リズム・アンド・ブルース、ファンク、ソウルの要素が積極的に採り入れられたBNLAシリーズのハリスのソロ・アルバムはまったく無視されていた。それらをもっとも高く評価したのは、結局のところDJ/クラブ世代のリスナーになるのだろうが、リアルタイムでも、たとえば『<strong>イン・ア・スペシャル・ウェイ</strong>』をフュージョンの名盤に挙げる向きもあった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ただしそれは、フュージョンを単なる商業主義的ないし大衆迎合的音楽と観ない、フレキシブルな思考と多角的な視点でジャズを捉える、一部のクリティックに限られた。ちなみに、フュージョン・ブームを同時代体験したぼくは当時、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>のアルバムを手にとるときと同じような感覚で、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>とハリスのリーダー作とを並行して楽しんでいた。しかもBNLAシリーズのハリスのリーダー・アルバムにおいては、彼のソウルフルでブリリアントな鍵盤テクニックも然ることながら、どちらかというとトータル・サウンドのグルーヴやムードを満喫していたように思う。BNLAシリーズ１枚目の『<em>イエスタデイ・トゥデイ＆トゥモロー</em>』では、まだ４ビートもプレイされていたが、エレクトロニクスの導入もありフレッシュな衝撃を受けたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">クセになるナンバーが満載のひとたび聴いたらハリスの沼にハマるアルバム</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハリスがモダン・ジャズからすっかり離れたのは、次作の『<em>アストラル・シグナル</em>』から。星体信号とでも訳すのだろうか、そのアルバム・タイトルから<strong>ロニー・リストン・スミス＆ザ・コズミック・エコーズ</strong>の諸作を思い浮かべる向きも多いだろう。明らかにスピリチュアリズムが意識されたタイトルだが、まあ当時はこういうのが流行ったのだろう。アルバム冒頭のアヴァンギャルドな短い導入曲に一瞬驚かされるが、その後、不安を煽られるような霊的なものはまったく感じられない。総じてそのコンテンツは、グルーヴィーなジャズ・ファンクとなっている。それまで４ビートを引き摺っていたハリスだが、このアルバムでの彼はすっかり吹っ切れた印象を与える。本作でハリスはアコースティック・ピアノだけでなく、モーグ・シンセサイザーをはじめとするエレクトロニックな鍵盤類を縦横無尽に駆使している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　しかもこのアルバムには、リズム・セクションに<strong>デヴィッド T. ウォーカー</strong>(g)、<strong>チャック・レイニー</strong>(g)、<strong>ハーヴィー・メイソン</strong>(ds)、ホーン・セクションに<strong>アーニー・ワッツ</strong>(saxes)、<strong>オスカー・ブラッシャー</strong>(tp)、<strong>ジョージ・ボハノン</strong>(tb)といった具合に、ウェストコースト・フュージョンの名だたる面々が参加している。収録曲もファンク寄りで、<strong>スライ＆ザ・ファミリー・ストーン</strong>や<strong>クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル</strong>などのカヴァーも然ることながら、女性コーラスが配されたアーバン・ソウル「ロサラミトスラティンファンク・ラヴ・ソング」がクール。マルチ・インストゥルメンタリストの<strong>ジェリー・ピーターズ</strong>のオリジナルだが、彼は本作のプロデューサー兼アレンジャー。そして、BNLAシリーズのハリス作品における立役者である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ピーターズはハリスのリーダー作以外にも、ブルーノートのBNLAシリーズにおいて、キーボーディスト、アレンジャー、ソングライター、プロデューサーとして多くのアーティストのアルバムを手がけている。いずれにしても彼は『<em>アストラル・シグナル</em>』以降も『<em>ネクサス</em>』『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』『<em>トーン・タントラム</em>』と、ハリスのブルーノート時代に華麗なジャズ・ファンク・サウンドで彩りを添えた。一般的に評価が高いのは『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』だけれど、個人的にもこのアルバムがいちばん好きだ。ただ繰り返しになるが、<strong>ザ・スリー・サウンズ</strong>の作品も含めてハリスのアルバムには、たとえコマーシャルなことが繰り広げられていたとしても、噴飯ものの作品は１枚もない。ぼくにとっては、一部の冷たい視線などどこ吹く風である。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9441 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf3.png" alt="ライヴ演奏をする黒人ミュージシャンたちのイラスト(緑色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/07/jf3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　もっとも『<em>ネクサス</em>』では、ハリスはほぼ全編に渡り電子鍵盤楽器を操っている。むろんシンセサイザーでのプレイもわるくはないのだが、ハリスの場合、アコースティック・ピアノでの演奏がもっとも魅力的に映る。このアルバムでは、フィリー・ソウルの代表的グループ、<strong>ザ・スピナーズ</strong>の「ラヴ・ドント・ラヴ・ノーバディ」でのピアノによる壮麗なバラード演奏が、もっとも印象的。また、<strong>ファッツ・ウォーラー</strong>の「ジターバグ・ワルツ」における、フェンダー・ローズによる流麗なソロも忘れ難い。ブルーノート最終作『<em>トーン・タントラム</em>』でも、一般的には<strong>ラルフ・ビーチャム</strong>のヴォーカルがフィーチュアされたス<strong>ティーヴィー・ワンダー</strong>の「アズ」がトピックだが、やはり<strong>ガブリエル・フォーレ</strong>のパラフレーズ・ナンバー「ストレンジャー・イン・パラダイス」などでのピアノ演奏に胸が弾むのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なるほど、ハリスはアコースティック・ピアノのひとなのだろう。その点で『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』は、全体的にアコースティック・ピアノが多用されており、爽快で整然とした仕様となっている。そしてこのアルバムのもうひとつ特色としては、リーダーの<strong>モーリス・ホワイト</strong>こそ未参加ではあるが、1970年代を代表するファンク・グループ、<strong>アース・ウィンド＆ファイア</strong>の人脈が活かされているということが挙げられる。具体的には<strong>アル・マッケイ</strong>、<strong>ヴァーディン・ホワイト</strong>、<strong>フィリップ・ベイリー</strong>などが参加しているが、彼らは<strong>EW&amp;F</strong>の正式メンバー。考えてみれば、本作のプロデュースを手がけたピーターズは、アレンジャー、ソングライター、キーボーディストとして、<strong>EW&amp;F</strong>の黄金期を支えたキーマンなわけで、この趣向はごく自然なことと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに当時<strong>モーリス・ホワイト</strong>が、45歳という若さでこの世を去った伝説的プロデューサー、アレンジャー、そしてコンポーザーの<strong>チャールズ・ステップニー</strong>と共同設立したカリンバ・プロダクションにおいて、ジャズ・ファンク作品を制作していたのがだれあろう、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>だった。当然のことながら『<em>イン・ア・スペシャル・ウェイ</em>』のサウンドスケープは、ホワイトが絡んだルイスの諸作におけるそれと相似する。ただおなじアコースティック・ピアノを主軸に据えた演奏であっても、ルイスがヴィルトゥオーソと呼びたくなるような格別な技巧や能力を発揮するのに対し、繰り返しになるが、ハリスは決して弾きまくったりはせず、間を活かしたコンセプト、軽快なタッチ、そして控えめなエクスプレッションで、ジャズ・ファンクにスムースに溶け込むのである。そこがいい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　レコーディングは、<strong>ジーン・ハリス</strong>(key)、<strong>シャーロット・ポライト</strong>(key)、<strong>ジェリー・ピーターズ</strong>(key. vo)、<strong>リー・リトナー</strong>(g)、<strong>アル・マッケイ</strong>(g)、<strong>ジョン・ローウィン</strong>(g)、<strong>チャック・レイニー</strong>(b)、<strong>ヴァーディン・ホワイト</strong>(b)、<strong>ジェームス・ギャドソン</strong>(ds)、<strong>ハーヴィー・メイソン</strong>(ds, perc)、<strong>マユト・コレア</strong>(perc)、<strong>エイゾー・ローレンス</strong>(ts)、<strong>シドニー・マルドロウ</strong>(hrn)、<strong>マーニー・ロビンソン</strong>(hrn)、<strong>ジョージ・ボハノン</strong>(tb)、<strong>エド・グリーン</strong>(vln)、<strong>フィリップ・ベイリー</strong>(vo, perc)、<strong>メリー・クレイトン</strong>(vo)、<strong>エスター・ジェシカ</strong>(vo)、<strong>D. J. ロジャース</strong>(vo)、<strong>シギディ</strong>(vo)、<strong>ステファニー・スプライル</strong>(vo)、<strong>デニース・ウィリアムス</strong>(vo)らによって、1976年３月29日、４月１日、２日、７日、L. A.のトータル・エクスペリエンス・スタジオにて行われた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムはソウル系ソングライター、<strong>スキップ・スカボロウ</strong>のオリジナル「テーマ・フォー・レラナ」からスタート。ゆったりとしたスピリチュアルなイントロから軽快なシャッフル・ビートへの移行が鮮やか。ホルンを入れたアレンジも爽快だが、なんといってもハリスの歯切れのいいピアノが与える清涼感が随一。以降ピーターズのオリジナル(共作を含む)がつづく。ストレートなジャズ・ファンク「リバップ」では、ハリスによるダイナミックかつスムースなピアノ・プレイが煌びやかに展開される。ソウルフルでありながら上品なところが彼らしい。ボハノンのトロンボーンも小気味いい。ロジャース、ピーターズ、クレイトンによるヴォーカルが効果的な「ズールー」では、リズム・アンド・ブルースのリズムとビートが弾けるなか、ハリスのピアノが縦横無尽にファンキーなフレーズを綴る。その疾走感に胸がすく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　A面ラストの「オールウェイズ・イン・マイ・マインド」は、ピーターズとシギディのヴォーカルがフィーチュアされたメロウ・ファンク。躍動感あるリズムと心地いいコード進行のなか、ハリスのピアノが淀みなくファンキーな楽句を紡ぎ出していく。ここまではどちらかというとジャズ・ファンク路線だが、B面ではクールでスタイリッシュなフュージョン・サウンドが繰り広げられる。<strong>コール・ポーター</strong>の「ラヴ・フォー・セール」では、スプライルとウィリアムスのヴォーカル、ストリングスが効果的なフィリー・ソウル風のサウンドが心地いい。ピーターズのキャッチーなアレンジ、ハリスのアンダーステイティドなプレイが、有名なジャズ・スタンダーズを見事に華麗なフュージョン・ナンバーに仕立てている。だれがなんと云おうと、ぼくはこのアレンジが好きだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ポライト、ローウィンらの共作「イッツ・ユア・ラヴ」では、流麗なストリングス、甘く都会的なメロディック・ライン、そして躍動みなぎるリズムと、いかにもフィリー・ソウル風のサウンドが展開される。前曲とあわせて、爽やかさと軽やかさが継続される。ハリスのピアノも程よく弾ける。つづく<strong>N. ブラウン</strong>の「ソフト・サイクルズ」では、少し雰囲気が変わりリトナーのギターとピアノとが、アコースティックでリリカルな世界を描く。逆にポライトの「ファイヴ/フォー」は、エレクトロニックでスペーシーなサウンドのなかを、ピアノがエレガントに泳いでいくといった感じだ。アルバムのラストを飾る<strong>ジョン・コルトレーン</strong>の「ナイーマ」では、寛いだアフロビートに乗って、テナー、ピアノ、ギターらがソロを繋いでいく。ソウルフルなフィーリングとメロウネスとが交錯する、クセになるナンバー。アルバム自体もそれと同様に、ひとたび聴いたらハリスの沼にハマる──そんな趣きがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"イン・ア・スペシャル・ウェイ","b":"UNIVERSAL MUSIC GROUP","t":"Gene Harris","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/518ieVpFl3L._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B09BVD78FV","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B09BVD78FV","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"CkY11","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-CkY11">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/gene-harris-in-a-special-way/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>The Players Featuring Hiromasa &#8220;Colgen&#8221; Suzuki / Galaxy (1979年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/the-players-featuring-hiromasa-colgen-suzuki-galaxy/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=the-players-featuring-hiromasa-colgen-suzuki-galaxy</link>
					<comments>https://kimama-music.com/the-players-featuring-hiromasa-colgen-suzuki-galaxy/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 28 Jun 2026 07:00:40 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Hiromasa Suzuki (鈴木宏昌)]]></category>
		<category><![CDATA[The Players]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9337</guid>

					<description><![CDATA[鬼才キーボーディスト、鈴木宏昌のもとに凄腕ミュージシャンが集まった伝説のフュージョン・グループ、ザ・プレイヤーズの記念すべきデビュー・アルバム『ギャラクシー』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">鬼才キーボーディスト、鈴木宏昌のもとに凄腕ミュージシャンが集まった伝説のフュージョン・グループ、ザ・プレイヤーズの記念すべきデビュー・アルバム『ギャラクシー』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>The Players Featuring Hiromasa &#8220;Colgen&#8221; Suzuki / Galaxy (1979)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Kaleidoscope</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-12" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-12">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">鬼才キーボーディスト、鈴木宏昌のもとに凄腕ミュージシャンが集まった伝説のフュージョン・グループ、ザ・プレイヤーズの記念すべきデビュー・アルバム『ギャラクシー』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">ジャズ・ピアノやアレンジのマナーはレコードを聴いて独習したもの</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">プロデビューしたころからジャズ・ファンクの流れに身を投じていた</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">コルゲン・バンドはバンド名をザ・プレイヤーズに変更</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">ジャズ・ピアノやアレンジのマナーはレコードを聴いて独習したもの</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　前回、ぼくが敬愛する数少ない日本のジャズ・ピアニストに関してお伝えした際、少しだけ<strong>鈴木宏昌</strong>について触れた。ぼくが長年愛聴しつづけているピアノ・トリオ作品といえばごく限られるのだが、<strong>佐藤允彦</strong>の『<em>パラディウム</em>』(1969年)、<strong>大野雄二</strong>の『<em>ミスター・ハピゴン</em>』(1973年)、<strong>菅野光亮</strong>の『<em>ウェン・ザ・ワールド・ウォズ・ヤング</em>』(1978年)、そして<strong>鈴木宏昌</strong>の『<em>コルゲン・ワールド</em>』(1976年)が挙げられる。これらのアルバムをぼくは、小学校高学年から中学に入学したばかりのころに入手したのだが、実は意識的に国産のジャズ作品を聴こうとしたわけではない。それ以前に体験したテレビドラマやテレビアニメの音楽のなかで、気になる劇伴を手がけた音楽家の作品を深掘りした結果、たどり着いたのが上記のアルバムだったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてその作曲家たちが、期せずしてみなジャズ・ピアニストだったのである。すなわちぼくは、ジャズをジャズと知るまえから、その響きに惹かれていたことになる。<strong>鈴木宏昌</strong>という名前は、氏がTBS系列のテレビアニメ『海のトリトン』(1972年４月１日 – ９月30日)の音楽を手がけたことで、なんとなくだが、ぼくの記憶に残っていた。<strong>ヒデ夕樹</strong>と<strong>杉並児童合唱団</strong>が歌うオープニング・テーマ「海のトリトン」もキャッチーだったけれど、どちらかというと本編で流れる洗練されたアンダースコアに、ぼくは年端もいかないのに強く惹かれていた。ただ佐藤さん、大野さん、それに菅野さんの場合もそうだったのだが、あとで<strong>鈴木宏昌</strong>という音楽家がジャズ・ピアニストであると知って、意外な発見と深い納得とが入り混じった心境に至ったものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　東京市日本橋区(現在の東京都中央区)生まれの<strong>鈴木宏昌</strong>(1940年５月26日 &#8211; 2001年５月21日)は、作曲家、編曲家として数多くの作品を手がけているが、もともとはジャズ・ピアニストである。“コルゲン”というニックネームで親しまれているので、以降コルゲンさんと呼ばせていただく。ぼくがコルゲンさんがジャズ・ピアニストであると知ったのは、日本コロムビアからリリースされた『<em>エレクトロ・キーボード・オーケストラ</em>』(1975年)というアルバムにおいて。このアルバムでは、８人の鍵盤奏者が20台のシンセサイザーをプレイするという、現代ではあり得ないプロジェクトが実現されている。この８人のなかに、佐藤さん、大野さん、そしてコルゲンさんがいた。しかも、作曲やアレンジ、それにシンセサイザーの操作にもっとも意匠を凝らしていたのは、この３人だった。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9352 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen1.png" alt="犬のジャズ・ピアノ・トリオ(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　コルゲンさんは、このアルバムで<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の「鬼警部アイアンサイドのテーマ」をカヴァーするいっぽうで、オリジナル・ナンバー「ヒーテッド・ポイント」を提供している。これらの曲では、ジャズにファンク、ソウル、あるいはリズム・アンド・ブルースなどのエッセンスが加えられた、いわゆるジャズ・ファンクの流れを汲むサウンドが展開されている。なお「ヒーテッド・ポイント」は、本作とおなじ年にリリースされた<strong>石川晶とカウント・バッファローズ</strong>の『<em>ゲット・アップ！</em>』(1975年)でも採り上げられている。日本のジャズ・ロックやレア・グルーヴの先駆者である<strong>石川晶</strong>のリーダー作だが、ソングライティングをコルゲンさんが一手に担っており、サウンド的には<strong>鈴木宏昌</strong>のアルバムといった印象を与える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、あとになったが、“コルゲン”というニックネームはもともと<strong>佐藤允彦</strong>につけられたものだった。<strong>石川晶とカウント・バッファローズ</strong>の前身である、<strong>カウント・バッファローとジャズ・ロック・バンド</strong>の『<em>ソウル・アンド・ロック</em>』(1969年)や『<em>神に愛と祈りを</em>』(1969年)といったアルバムに、鈴木、佐藤の両ピアニストが仲よく参加している。バンド・リーダーの石川さんと佐藤さんとは1960年代の中ごろから知り合いだったが、石川さんが佐藤さんのことを顔立ちや雰囲気がカエルに似ていることから、かぜ薬「コルゲンコーワ」のカエルをモティーフにしたキャラクター(ケロちゃんとコロちゃん)にちなんで、“コルゲン”と呼んでいた。ところが、佐藤さんがバークリー音楽院(現バークリー音楽大学)に留学してしまったため、おなじピアニストの鈴木さんが、２代目“コルゲン”を襲名することとなった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　歯科医の息子として生まれたコルゲンさんは、子どものころに短期間クラシック・ピアノのレッスンを受けたが、その後正統な音楽教育を仰いだことはないという。それでも慶應義塾大学経済学部に進学すると、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>や<strong>ビル・エヴァンス</strong>の演奏に触れてジャズに関心をもち、名門ビッグ・バンド、<strong>慶應義塾大学ライト・ミュージック・ソサイェティー</strong>に参加する。そのジャズ・ピアノやアレンジのマナーは、ほとんどがジャズのレコードを聴いて独習したものだった。それでも埒が明かないので、コルゲンさんは<strong>ジョージ川口のビッグ・フォア・プラス・ワン</strong>のメンバーとして活躍していたピアニスト、<strong>八木正生</strong>にジャズ・ピアノの手ほどきを受ける。八木さんは、前述の『<em>エレクトロ・キーボード・オーケストラ</em>』において、リーダー格としてメンバーを牽引していた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　また、コルゲンさんは慶應義塾大学在学中は、<strong>佐藤允彦</strong>、<strong>大野雄二</strong>とともに“慶應三羽烏”として名を馳せたことはあまりにも有名だが、３人はプロ・ミュージシャンとして活躍するようになってからも、緊密な関係を築いていた。特にコルゲンさんと佐藤さんとは絆を深める機会が多く、たとえばコルゲンさんの唯一のソロ・ピアノ・アルバム『<em>ウィズ・マイ・ホール・ハート</em>』(1996年)では、佐藤さんがプロデュースを手がけている。キッカケは1994年１月15日、医師の<strong>藤井修照</strong>が設立した岐阜県多治見市のプライヴェート・コンサートホール、スタジオ Fにおいて、コルゲンさんと佐藤さんとがピアノ・デュオを行ったこと。ピアノ２台だけのライヴ演奏において、佐藤さんはコルゲンさんの正統的なピアノ・プレイにあらためて感銘を受けたのだという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一般的に当時のコルゲンさんというと、どちらかというとフュージョン・タイプの音楽を志向するミュージシャンという印象を与えていた。しかもリーダー作といえば『<em>ザ・プレイヤーズ・ライヴ</em>』(1985年)以来、10年以上もご無沙汰となっていた。ぼくもこのアルバムがリリースされるとはじめて聞いたこときは、いささか驚きを禁じ得なかったのだが、フタを開けてみるとコルゲンさんのギミックとは無縁な、それでいてエモーションとダイナミクスが溢れんばかりのピアノ・プレイに、激しくこころを揺さぶられた。コルゲンさんは当初、独学で習得した自己のピアノ・テクニックでは、バランスのとれたオーケストラルなソロ演奏をすることができないと、だいぶ二の足を踏んだらしい。結果的には、佐藤さんの判断が正しかったのだが──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">プロデビューしたころからジャズ・ファンクの流れに身を投じていた</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお1994年１月15日にスタジオFにおいて行われたデュオ・ライヴの模様は、のちにコンサートホールのオーナーである藤井さんのプロデュースで、<strong>佐藤允彦・鈴木宏昌</strong>『<em>フォルテ &#8211; ピアノ・デュオ・ライヴ・アット・スタジオ F</em>』(2007年)としてリリースされた。コルゲンさんがこの世を去ってから、およそ６年後のことだった。佐藤＆鈴木の息はピッタリで、その絶妙なコンビネーションが生み出すエキサイティングな演奏、特に<strong>ディジー・ガレスピー</strong>の「チュニジアの夜」でのアグレッシヴでスリリングな展開に、ぼくも手に汗を握りながら聴き入ってしまった。コルゲンさんは晩年、がんを患い壮絶な闘病生活を送りながら、死の直前まで音楽活動をつづけていた。1990年から入退院を繰り返しながら、ピアノを弾きつづけたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんななかコルゲンさんは、一時的に体調が安定していたこともあり、2000年７月16日にスタジオ Fにおいてライヴ・レコーディングを行った。メンバーは、<strong>鈴木宏昌</strong>(p)、<strong>桜井郁雄</strong>(b)、<strong>関根英雄</strong>(ds)、<strong>原朋直</strong>(tp)で、コルゲンさんが敬愛する<strong>ジョー・ザヴィヌル</strong>や<strong>ハービー・ハンコック</strong>の楽曲から有名なジャズ・スタンダーズまで、ニュー・メインストリーム風な演奏が繰り広げられる。ライヴの模様は、やはり藤井さんのプロデュースによりアルバム『<em>ラスト・ライヴ・アット・スタジオ F</em>』(2010年)としてリリースされた。闘病生活を送っていたとは思えないほど、コルゲンさんのピアノ演奏は美しく軽快。病気の進行よりもピアノを弾けなくなることを懸念していたコルゲンさん、まさにジャズをプレイすることに最後まで命を燃やし尽くしたと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなコルゲンさんは、慶應義塾大学在学中からピアニストとして参加していた<strong>ジョージ川口</strong>のバンド・メンバーとして、プロ・ミュージシャンのキャリアをスタートさせている。<strong>小俣尚也とドライビングメン</strong>、<strong>小原重徳とブルー・コーツ</strong>、<strong>石川晶のカウント・バッファローとジャズ・ロック・バンド</strong>を経て、<strong>日野皓正クインテット</strong>に参加。日野さんのアルバム『<em>ハイノロジー</em>』(1969年)において、すでにアレンジャーとしての才能を発揮している。最初期のレコーディングは、<strong>ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン</strong>での演奏で、<strong>白木秀雄クインテット</strong>、<strong>稲垣次郎クインテット</strong>の演奏も含むオムニバス・アルバム『<em>世界ポピュラー音楽大全集 VOL. 4</em>』(1963年)で聴くことができる。なおメンバーは、<strong>ジョージ川口</strong>(ds)、<strong>鈴木順</strong>(b)、<strong>鈴木宏昌</strong>(p)、<strong>村岡建</strong>(ts)、<strong>林鉄雄</strong>(tp)となっている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9353 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen2.png" alt="犬のピアニスト、サクソフォニスト、ギタリスト(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　このアルバムはすこぶるレアなアイテムだが、<strong>ジョージ川口とビッグ・フォア・プラス・ワン</strong>による「死刑台のエレベーター」「ウォーキン」といった２曲は、幸いなことに同バンドのアルバム『<em>ビッグ・フォア・プラス・ワン登場！</em>』(1958年)が2006年にCD化された際、ボーナス・トラックとして収録された。興味のあるかたは、聴いてみてはいかがだろう。ただコルゲンさんがいかに優れたジャズ・ピアニストであるかを知るには、個人的にはピアノ・トリオ作品をお薦めしたい。とはいっても、そのキャリアにおいて早い時期からジャズ・ファンク寄りのサウンドを志向していたコルゲンさんだけに、ストレート・アヘッドなジャズ・アルバム、ことにピアノ・トリオで吹き込んだアルバムはきわめて少ない。実際ぼくの手もとには、たったの３枚しかない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　コルゲンさんは、非常に人気の高いファンキーなフュージョン・アルバム『<em>ハイ・フライング</em>』(1976年)を発表した直後に、<strong>稲葉国光</strong>(b)、<strong>日野元彦</strong>(ds)をサイドに据えた『<em>コルゲン・ワールド</em>』(1976年)、さらにその２年後に<strong>井野信義</strong>(b)、<strong>スティーヴ・ジャクソン</strong>(ds)と組んだ『<em>プリムローズ</em>』(1978年)といった、ピアノ・トリオ作品をリリースしている。どちらも、初期の<strong>チック・コリア</strong>を彷彿させる躍動感のあるピアノ・プレイと、オリジナリティに富んだ洒落たソングライティングが際立っている。この２枚を聴いて感じられるのは、コルゲンさんが繰り出す力強く淀みないラインから、氏が正統な音楽教育を受けず独学でピアノ・テクニックを身につけたプレイヤーとは、とても想像できないということである。それほどその演奏は、圧倒的な鮮やかさを放っているのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　以上の２枚は、全曲コルゲンさんのオリジナル・ナンバーでまとめられているということもあり、<strong>鈴木宏昌</strong>という音楽家の、ジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家としての魅力が凝縮された作品と云ってもいいのではなかろうか。そしてもう１枚、前述のソロ・ピアノ・アルバム『<em>ウィズ・マイ・ホール・ハート</em>』の上々の出来映えに気をよくしたのか、コルゲンさんは久々にピアノ・トリオ・アルバムを吹き込んでいる。<strong>坂井紅介</strong>(b)、<strong>村上寛</strong>(ds)をサイドメンに迎えた『<em>コルゲン・カラー</em>』(1997年)というアルバムで、インディペンデント・プロダクションだったがけっこう話題になった。オリジナル・ナンバーはないが、選曲にコルゲンさんのこだわりが感じられる。なによりも、そのピアノ・プレイに一段と磨きがかかっているところが素晴らしい。文句なしの名盤だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなコルゲンさんの全盛期といえば、1970年代半ばから1980年代の中盤までのおよそ10年間であると、ぼくは観ている。むろん1950年代の後半から亡くなられる前年の2000年まで、氏は一貫して圧倒的なテクニックと表現力豊かなパフォーマンスを披露してきた。そんななかでも、もっともコルゲンさんの個性的なスタイルが堅持されていたのは、上記の期間であるように思われる。サウンド的には、クロスオーヴァーないしフュージョンを志向していた時代だ。そもそもコルゲンさんは、前述のようにプロデビューしたころからすでに、ジャズ・ファンクの流れを汲むサウンドに身を投じていた。たとえば<strong>前田憲男</strong>が編曲と指揮を手がけた<strong>オール・スターズ・オーケストラ</strong>の『<em>ジャズ・ロック・リラックス</em>』(1968年)というアルバムで、コルゲンさんはバリバリのジャズ・ロックをプレイしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このセッションには<strong>石川晶</strong>も参加しているが、コルゲンさんともども、そのグルーヴ感のあるプレイには気宇壮大なものがある。石川さんとコルゲンとさんはこのアプローチを、<strong>カウント・バッファローとジャズ・ロック・バンド</strong>や<strong>カウント・バッファローズ</strong>といったバンドで徐々にアップデートさせていくのだが、1970年に結成したジャズ・コンボ、<strong>フリーダム・ユニティ</strong>において急成長させる。<strong>石川晶</strong>(ds)、<strong>稲葉国光</strong>(b)、<strong>鈴木宏昌</strong>(key)、<strong>村岡建</strong>(ss, ts)、<strong>鈴木弘</strong>(tb)といった５人編成のこのグループは、<strong>マイルス・デイヴィス</strong>を象徴とするエレクトリック・ジャズを展開しながらも、ジャズ・ロックとフリー・ジャズとの間隙を縫うような音楽性を、日本人アーティストならではの感覚で提示している。その創意と緊張感が横溢するパフォーマンスは、いま聴いてもイノヴェイティヴに響く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>フリーダム・ユニティ</strong>は、<strong>鈴木弘</strong>の渡米を機に５か月の活動をもって自然消滅したが、<strong>石川晶</strong>のリーダー作『<em>パワー・ロック・ウィズ・ドラムス &#8211; キリマンジャロのへの道</em>』(1971年)、伝説のソウル・シンガー、<strong>サミー</strong>こと<strong>茅野雅美</strong>のアルバム『<em>朝日のあたる家</em>』(1971年)、<strong>大野雄二</strong>の作品でお馴染みの女性３人組コーラス・グループ、<strong>シンガーズ・スリー</strong>のアルバム『<em>フォリオール #2</em>』(1971年)、当時のオーディオ技術の歴史的遺産であり、ディスクリート４チャンネル・ステレオ録音のデモンストレーション盤として、東芝音楽工業(現EMIミュージック・ジャパン)が制作した『<em>ダイナミック・ロック</em>』(1971年)『<em>CD-4</em>』(1971年)といったレコードで、その先駆的なサウンドを確認することができる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">コルゲン・バンドはバンド名をザ・プレイヤーズに変更</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>フリーダム・ユニティ</strong>ではメンバーの５人が対等な立場にあり、リーダーは選任されていなかったようだが、実際に音を聴くと、バンド・アンサンブルでの音作りにおいては、やはりコルゲンさんがイニシアティヴをとっていたように思われる。この不世出のジャズ・コンボの正式なリーダー・アルバムは『<em>サムシング</em>』(1971年)『<em>ダウン・バイ・ザ・ネイキッド・シティ</em>』(1971年)といった２枚にとどめを刺す。クラブ・シーンでも<strong>サミー</strong>のアルバムとともに高く評価される２枚だが、ぼくにとっても、いまもって自室のオーディオに向かって新鮮な気持ちにさせられるレコードとなっている。なお、<strong>鈴木弘</strong>が一時帰国した際に吹き込んだ『<em>キャット</em>』(1976年)のレコーディング・メンバーは、実は<strong>フリーダム・ユニティ</strong>の５人。こちらも名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>フリーダム・ユニティ</strong>が解散してからも、コルゲンさんは数多くの音楽作品を発表していく。<strong>鈴木宏昌とナウ</strong>という名義でリリースされたイージー・リスニング・アルバム『<em>スクリーンのサウンド・クリエイターたち</em>』(1972年)を筆頭に、様々な企画アルバムを手がけている。ちなみにこのアルバムも、マトリックス方式４チャンネル・ステレオという、立体的な音響効果が狙われた特殊なレコードである。オリジナル・アルバムとしては、<strong>稲垣次郎とビッグ・ソウル・メディア</strong>を従えた『<em>バイ・ザ・レッド・ストリーム</em>』(1973年)と、ソロ名義のリーダー・アルバム『<em>ハイ・フライング</em>』(1976年)が広く知られている。前者はジャズ・ロックやフリー・ジャズのエッセンスが採り入れられた作品だが、後者はクロスオーヴァー時代の到来を強く感じさせるアルバムだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この『<em>ハイ・フライング</em>』は、コルゲンさんの全盛期の幕開けとなった、重要な作品である。このアルバムで一貫して生み出されているグルーヴ感は、明らかに従来のジャズから脱却したもの。<strong>杉本喜代志</strong>(g)、<strong>岡沢章</strong>(b)、<strong>村上秀一</strong>(ds)などが放つヴァイブスは、まさにフュージョン・サウンドだ。そしてこのアルバムが発表された1976年３月に結成されたのが、日本のフュージョン・バンドの草分け、<strong>コルゲン・バンド</strong>だった。コルゲンさんはこのバンドで『<em>スキップ・ステップ・コルゲン</em>』(1977年)『<em>トリトン</em>』(1979年)『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』(1981年)といったアルバムを発表。なお『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』は1977年11月21日に吹き込まれた音源がレコード化されたもので、コルゲン・バンド名義の使用は実のところ1979年に終止符が打たれている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9354 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen3.png" alt="犬のピアニスト(イラスト)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/colgen3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この<strong>コルゲン・バンド</strong>のメンバーは、<strong>鈴木宏昌</strong>(key)、<strong>松木恒秀</strong>(g)、<strong>岡沢章</strong>(b)、<strong>市原康</strong>(ds)、<strong>穴井忠臣</strong>(perc)、<strong>山口真文</strong>(ss, ts)といった顔ぶれ。なお1977年の終わりごろからはドラムスが<strong>渡嘉敷祐一</strong>に替わっている。いずれにせよ彼らは、ポピュラー・ミュージックを演奏させたら、演奏技術から、即興力と応用力、音感やリズム感に至るまでどこをとってもトップクラス。それ故、彼らは日本のミュージック・シーンで引く手あまたの人気。バンド活動を継続しながらも、いわゆるファーストコール・ミュージシャンとして、様々なアーティストのレコーディングに参加している。彼らを積極的に起用したのだが、実は<strong>大野雄二</strong>だった。それはともかく<strong>コルゲン・バンド</strong>は、バンド名を<strong>ザ・プレイヤーズ</strong>に変更し、さらなる飛躍を遂げる。フュージョン系のバンドでは日本最高峰と、ぼくは信じてやまない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ザ・プレイヤーズ</strong>は、伝説的な音楽プロデューサー、<strong>伊藤八十八</strong>が、1978年にCBS・ソニーレコード(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)内に設立したレーベル、オープンスカイからレコード・デビュー。１年に１枚と安定したペースで『<em>ギャラクシー</em>』(1979年)『<em>ワンダフル・ガイ</em>』(1980年)『<em>マダガスカル・レディ</em>』(1981年)『<em>スペース・トラベル</em>』(1982年)『<em>ジャック・ア・ダンディ</em>』(1983年)『<em>アップ・トゥ・ユー</em>』(1984年)『<em>ザ・プレイヤーズ・ライヴ</em>』(1985年)といった７枚のアルバムを発表。ただし<strong>穴井忠臣</strong>が１枚目をもって脱退。４枚目でサクソフォニストが<strong>山口真文</strong>から<strong>ボブ斉藤</strong>に交替。６枚目からバスクラリネットとサックスで<strong>中村誠一</strong>が加わる。どのアルバムも高品質だが、今回は衝撃のデビュー作『<em>ギャラクシー</em>』について、具体的に触れてみたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムのレコーディングでは、６人のバンド・メンバーのほかに、<strong>新田一郎</strong>(tp)、<strong>兼崎順一</strong>(tp)、<strong>岡田澄雄</strong>(tb)、<strong>平内保夫</strong>(tb)、<strong>三田治美</strong>(tb)らによるホーン・セクション、<strong>前田昌利</strong>(vlc)率いる<strong>トマト・ストリングス</strong>がサウンドに彩りを添えている。曲目はすべてコルゲンさんのオリジナル。なお「ギャラクシー」「ヘヴンリー・メイデン」「ミスティー・ムーンライト」は、当時は未発売だった<strong>コルゲン・バンド</strong>の『<em>ア・ロンリー・フォーリング・スター</em>』の収録曲。アレンジの違い、市原さんと渡嘉敷さんとのドラミングの違いを楽しむことができるので、ぜひ聴きくらべていただきたい。また「カレイドスコープ」の原曲は、コルゲンさんが音楽を手がけた映画『サーキットの狼』(1977年)のなかの１曲「小さな箱の中で」である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムはアップビートな「ギャラクシー」からスタートする。コルゲンさんが敬愛する<strong>ウェザー・リポート</strong>からの影響を感じさせるスペーシーなシンセサイザー、ファンキーなベースライン、そしてタイトなドラミングが躍動感溢れるフュージョン・サウンドを演出。トライバル・ビートに乗ったソプラノ、そのあとのグルーヴィーな展開に乗ったシンセといったソロが痛快だ。つづくバラード「イン・ユア・マインド」では、ファンタスティカルなローズ・ピアノをバックに、テナーがメロディアスでピースフルなソロを繰り広げる。ベースのオブリガートも絶品だ。インタールード的な「アンスウィーテンド」は短尺ながら、このバンドの卓越したユニゾン、そしてインタープレイを堪能することができる。彼らの演奏技術がいかに優れているかが、よくわかる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　A面ラストの「カレイドスコープ」では、メランコリックなゆったりとしたソプラノによるテーマが、パーカッシヴなホーン・セクションが挿入されたあと、一気にテンポアップする。ここでのハイライトはなんといっても、ロッキッシュなギターの白熱するソロ。サンバ・ビートになってからのローズのソロも軽やかでいい。ドラムス、ベース、そしてパーカッションのバッキングも圧巻だ。B面のトップはシンコペーテッドなフュージョン・ブギー「ヘヴンリー・メイデン」からスタート。シンセのソウルフルなソロも然ることながら、シネマティックなブラス・サウンドとキレのあるギターのカッティングが爽快だ。エキゾティックかつミステリアスな「マジック・ランプ」では、ファンクとラテンとがほどよくミックスされたビート感のなか、ソプラノが悠然と美しいメロディを歌い上げる。ストリングスも効果的だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバム中唯一晴れやかなムードの「サニー・サイドウォーク」では、転調が効果的な爽やかなメロディック・ライン、軽快にバウンスするリズムが心地いい。テナーによるテーマ、そしてアコースティック・ピアノによるソロもさっぱりしていて、コルゲンさんのソングライティングのセンスのよさが窺われる。アルバムのラストを飾る「ミスティー・ムーンライト」では、神秘的で繊細なサウンドがやはり<strong>ウェザー・リポート</strong>のそれを彷彿させる。とはいっても後半がメロウな展開を見せるところは、コルゲンさんらしい。夜の静寂に溶け込むようなソプラノとシンセの柔らかで美しい音色が、深い余韻を残す。本作は、メンバー個々のフィーチュアリングが少なめな構成となっているが、逆にコルゲンさんの音楽性がもっとも発揮された１枚とも云える。そういった意味も含めて『<em>ギャラクシー</em>』は、輝かしき幕開けの作品なのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink --><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"ギャラクシー","b":"SMJ","t":"The Players","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/611gvnE0MFL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B075664GYC","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B075664GYC","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=%E3%82%AE%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%BC","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"xltKG","s":"l"});</script><div id="msmaflink-xltKG">リンク</div><!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/the-players-featuring-hiromasa-colgen-suzuki-galaxy/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Eumir Deodato / Knights Of Fantasy (1979年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/eumir-deodato-knights-of-fantasy/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=eumir-deodato-knights-of-fantasy</link>
					<comments>https://kimama-music.com/eumir-deodato-knights-of-fantasy/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 07 Jun 2026 07:15:23 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Eumir Deodato]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9240</guid>

					<description><![CDATA[ブラジル出身のアレンジャー兼キーボーディスト、エウミール・デオダートのクロスオーヴァー・サウンドとブラジリアン・テイストとが首尾よくディスコビートに載った『ナイツ・オブ・ファンタジー』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ブラジル出身のアレンジャー兼キーボーディスト、エウミール・デオダートのクロスオーヴァー・サウンドとブラジリアン・テイストとが首尾よくディスコビートに載った『ナイツ・オブ・ファンタジー』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Eumir Deodato / Knights Of Fantasy (1979)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Knights Of Fantasy</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-14" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-14">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">ブラジル出身のアレンジャー兼キーボーディスト、エウミール・デオダートのクロスオーヴァー・サウンドとブラジリアン・テイストとが首尾よくディスコビートに載った『ナイツ・オブ・ファンタジー』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">クロスオーヴァーのはじまり──デオダート、ボンファ、テイラー</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">「ツァラトゥストラはかく語りき」の大ヒットとそれ以前のブラジル時代</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">ディスコやソウルのカラーが強まり、ジャズやブラジル音楽の風味は薄まる</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">クロスオーヴァーのはじまり──デオダート、ボンファ、テイラー</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>エウミール・デオダート</strong>は、リオデジャネイロ生まれのイタリア系ブラジル人だけれど、アメリカへ渡ってからレコーディングした、クロスオーヴァー作品でその名を轟かせたひと。というか、クロスオーヴァーという当時のトレンドの先陣を切ったのは、ほかでもないデオダートだったように思われる。1970年代前半に流行したクロスオーヴァーは、もともとジャズから派生した音楽。1960年代の終わりからトランペッターの<strong>マイルス・デイヴィス</strong>がエレクトリック・ジャズを演りはじめていたが、彼のサウンドはどちらかというとファンク色が強くてリズムが強調されたスタイルだった。それに比べてクロスオーヴァーは、電気楽器や電子楽器が積極的に採り入れられるのはおなじだが、ロック、ソウル、ラテン、クラシックといった様々な音楽のエッセンスが盛り込まれているところが独特である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まさにジャンルの垣根を乗り越えた音楽、クロスオーヴァーのはじまりは、ABCパラマウント・レコード、インパルス! レコード、ヴァーヴ・レコードといったレーベルで多くのジャズ作品を手がけた名プロデューサー、<strong>クリード・テイラー</strong>が1967年にA&amp;Mレコード内に発足したCTIレコードの作品であると、ぼくは観ている。1970年代の前半には<strong>チック・コリア</strong>、<strong>キース・ジャレット</strong>、<strong>ハービー・ハンコック</strong>といったジャズ・ピアニストたちも、新しいジャズ・スタイルを模索するような作品を吹き込んでいるけれど、それらはどちらかというとエレクトリック・ジャズ、あるいはジャズ・ファンクといった印象を与える。まあ、のちにエレクトリック・ジャズもクロスオーヴァーも、一括りにされてフュージョンと呼ばれるようになるのだけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ではCTIレコードの作品の特徴とはどんなものかというと、ひとことで云うとエンターテインメントなのである。プロデューサーの<strong>クリード・テイラー</strong>は、ヴァーヴ時代から度々ジャズのポピュラリゼーションを図っていた。<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>、<strong>ジョアン・ジルベルト</strong>、<strong>アストラッド・ジルベルト</strong>といったブラジルのミュージシャンを起用して、ボサノヴァをアメリカで普及させたことは、その好例と云える。さらにジャズに盛り込まれる音楽ジャンルの幅は広がり、同時にバンド編成も次第に大がかりになっていき、独特のCTIサウンドが定着する。ジャズ本来の即興性は薄まったものの、当時のポップスやイージー・リスニングと同様に、だれもが気軽に楽しめる心地いいサウンドは、多くの音楽ファンから受け入れられた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9251 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco1.png" alt="ディスコのミラーボール (グリーン)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　CTIの作品では、当時のポップスやソウル・ミュージックのカヴァー、それにクラシック・ミュージックのパラフレーズ・ナンバーが積極的に採り上げられていた。しかも、リズム・セクションのバックに規模の大きなオーケストラが加えられるケースが、次第に定式化されていく。そんな趣向が凝らされるのだから、当然まとめ役が必要となってくる。さもありなん、現に<strong>クラウス・オガーマン</strong>、<strong>ドン・セベスキー</strong>、<strong>ボブ・ジェームス</strong>、<strong>デヴィッド・マシューズ</strong>といったCTIレーベルのハウス・アレンジャーや、GRPレコードを立ち上げるまえの<strong>デイヴ・グルーシン</strong>、アルゼンチ出身の<strong>ラロ・シフリン</strong>といった錚々たる顔ぶれが、ソロイストが繰り出す熱いプレイにスウィートな響きを加えていた。デオダートもそのひとりである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　デオダートは1960年代の後半から、ヴァーヴ・レコードにおいてアレンジャーとしていくつかの作品を手がけていたが、テイラーとは<strong>アストラッド・ジルベルト</strong>のアルバム『<em>ビーチ・サンバ</em>』(1967年)でコンビを組んでいる。さらにCTIレーベルではA&amp;M傘下時代から、ジャズ・ギタリスト、<strong>ウェス・モンゴメリー</strong>のリーダー作『<em>ダウン・ヒア・オン・ザ・グラウンド</em>』(1968年)を手はじめに、ブラジルのジャズ・オルガニスト、<strong>ワルター・ワンダレイ</strong>の『<em>ホエン・イット・ウォズ・ダン</em>』(1969年)、MPBを代表するブラジルのシンガーソングライター、<strong>ミルトン・ナシメント</strong>の『<em>太陽の歌</em>』(1969年)、20世紀のブラジル音楽を代表する作曲家で、ピアニスト、ギタリスト、シンガーでもある<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>のインストゥルメンタル・アルバム『<em>潮流</em>』(1970年)といった、印象的な作品を制作している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はデオダートをテイラーに引き合わせたのは、<strong>マルセル・カミュ</strong>監督による映画『黒いオルフェ』(1959年)の主題歌「オルフェの歌」の作曲者として知られる<strong>ルイス・ボンファ</strong>。リオデジャネイロ出身のボンファは、ジャズやボサノヴァをプレイするギタリストで、そのリーダー作は50枚以上にも上る。特にボンファは技巧派のポリフォニック・スタイルのソロイストとして知られるが、メロディック・ラインをハーモナイズさせたりリードとリズムの両パートを同時に弾いたりするのが得意な、レジェンダリーなギタリストだ。ボンファとデオダートとは、レコーディングにおいて度々共演を果たしているのだけれど、そのコラボレーションでもっとも有名なのは、<strong>バート・バラバン</strong>監督による映画『ザ・ジェントル・レイン』(1966年)の音楽だろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　映画公開にさきがけて、1965年にマーキュリー・レコードからリリースされたサウンドトラック・アルバムは、単なるサントラ盤では終わらない名盤である。プロデューサーを名曲「蜜の味」の作曲者として知られるピアニスト、<strong>ボビー・スコット</strong>が務めていることが目を引くし、ボンファ・スタイルのメランコリックなつま弾きも圧倒的だ。しかしながら本作の最大の魅力は、デオダートによるオーケストラのアレンジとコンダクティングだ。ボンファのペンによるサウダージ感覚に溢れたメロディック・ラインも然ることながら、デオダートのオーケストレーションが織りなすアーバンなサウンド・タペストリーが素晴らしい。その点、このアルバムには、“<strong>エウミール・デオダート・オーケストラ・フィーチュアリング・ルイス・ボンファ</strong>”といった趣きがある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それはさておき、デオダートとボンファは、さきに挙げた<strong>アストラッド・ジルベルト</strong>のアルバム『<em>ビーチ・サンバ</em>』の制作で再会する。デオダートはソングライター、アレンジャー、そしてコンダクターとして参加。ボンファはソングライティングを手がけている。このアルバムが制作される際、プロデューサーのテイラーにデオダートを紹介したのが、ボンファだった。さらに云うと、このアルバムがリリースされた1967年、デオダートはリオデジャネイロからニューヨークに移住しているのだが、彼をアメリカに呼び寄せたのはだれあろうボンファだった。いずれにしてもこれを機に、デオダートの音楽性を気に入ったテイラーは、彼をCTIレコードのハウス・アレンジャーとして雇い、前述のようにヒット作を次々と世に送り出していくのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">「ツァラトゥストラはかく語りき」の大ヒットとそれ以前のブラジル時代</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　CTIレコードは1970年に独立するが、デオダートは同レーベルで、<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>の『<em>ストーン・フラワー</em>』(1970年)、<strong>アストラッド・ジルベルト</strong>とテナー奏者の<strong>スタンリー・タレンタイン</strong>とのコラボレーション・アルバム『<em>ブラジルのつづれ織り</em>』(1971年)といった作品を手がけたあと、いよいよリーダー・アルバムを制作する。彼が1973年に発表したCTIレコードにおける第１作『<em>ツァラトゥストラはかく語りき</em>』(原題は『<em>Prelude</em>』)は、あまりにもインパクトが大きかった。なにせアルバムのA面１曲目の「ツァラトゥストラはかく語りき」は、シングルカットされ500万枚以上のセールスを上げたのだから──。これは当時のアメリカ国内でのレコード販売数としては、驚天動地の天文学的数字である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一世を風靡した「ツァラトゥストラはかく語りき」は、広く知られる<strong>リヒャルト・シュトラウス</strong>が作曲した交響詩の「アインライトゥン(序奏)」が、ファンキーでエレクトリックなインストゥルメンタルにアレンジされたもの。この曲の大ブレイクの背景に、1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』のヒットがあることは否定できないだろう。<strong>スタンリー・キューブリック</strong>が監督したこの叙事詩的SF作品は、賛否は分かれたものの、とにかく世界中で大きな話題を呼んだ。キューブリックの記号体系が晦渋を極めたこの映画、何度観てもよくわからないのだが、何度でも観たくなる変な作品である。特に<strong>リヒャルト・シュトラウス</strong>の原曲が使用された、ヒトザルが骨を武器にするシーンは、観客に強烈なインパクトをを与えた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　これは余談だが、この映画で使用された演奏はアンクレディテッドだが、<strong>ヘルベルト・フォン・カラヤン</strong>指揮、<strong>ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団</strong>によるものである。いずれにしてもこのキューブリック作品の影響で、当時「ツァラトゥストラはかく語りき」はとてもポピュラーな曲になっていた。この人気曲をジャズ・ファンクの先駆けのようなサウンドで売り出してしまうところに、<strong>クリード・テイラー</strong>のプロデューサーとしてのしたたかさが感じられる。デオダートのほうも以降、自己のグループに“<strong>2001スペース・バンド</strong>”なんていう名前をつけてしまうのだから、まったく抜け目がない。とはいっても、実はそういう屈託のなさが、<strong>エウミール・デオダート</strong>という音楽家の魅力にそのままつながると、ぼくは思うのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9252 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco2.png" alt="ディスコのミラーボール (ピンク)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　CTIのハウス・アレンジャーといえばみな、その音楽的装飾の技法にアートオリエンテッドなところがあるのだけれど、デオダートにはそれがない。また、その巧みなアレンジメントも然ることながら、キーボーディストとしての腕前もなかなか達者である。衒いのないゴージャスなアレンジと、自由闊達なエレクトリック・ピアノの演奏が彼のもち味と云える。そんな臆することもなくキャッチーなサウンドをクリエイトしてしまうようなところに、ぼくはとても惹かれるのだ。名高いクラシック・ナンバーをファンキーでポップなエレクトリック・ジャズにアレンジした「ツァラトゥストラはかく語りき」は異例のヒットとなったけれど、それは芸術性や装飾性よりも単純にキャッチーなサウンドを重視するデオダートだからこそ成し得た結果と云えるのではなかろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、デオダートの「ツァラトゥストラはかく語りき」はその後、<strong>ピーター・セラーズ</strong>主演の映画『チャンス』(1979年)で使用された。主人公がワシントンの中心街に向かうシーンで流れるのだけれど、確かにこの場面では原曲よりもデオダートのプログレッシヴなサウンドがよく似合う。ところで、あっという間にスターの座へ駆け上がったデオダートは、同年にCTIレコードにおける第２作『<em>ラプソディー・イン・ブルー</em>』(原題は『Deodato 2』)を発表。<strong>ジョージ・ガーシュウィン</strong>の「ラプソディー・イン・ブルー」<strong>モーリス・ラヴェル</strong>の「亡き王女のためのパヴァーヌ」<strong>ザ・ムーディー・ブルース</strong>の「サテンの夜」などがデオダート流に料理されていて楽しい。いずれにせよ、このアルバム・リリースの異例のスピード加減からも、彼がときのひとだったことがわかる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　デオダートは日本でもたちまち人気者となり、CTI作品の当時のディストリビューター、キングレコードが『<em>白いピューマ</em>』(原盤はブラジル時代の『<em>Os Catedráticos 73</em>』/1973年)や『<em>アランフェス協奏曲</em>』(原盤はイタリアのシンガー、<strong>マッシモ・ラニエリ</strong>の『<em>Meditazione</em>』/1976年)といった、奇妙奇天烈なレコードまで発売するほどだった。ただお断りしておくが、デオダートが全米規模の大スターになったのは確かにCTI時代だけれど、彼の才能はそれよりもずっと以前に開花していたのである。しかしながら、日本でその全貌が知られるようになるのは、1990年代の後半になってからのこと。デオダートが、ブラジルの音楽プロデューサー、<strong>アルナルド・ジ・ソウテイロ</strong>の協力を得て、自身がブラジル時代に制作した９枚のアルバムをCD盤としてリイシューしたのが契機となった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その９枚を具体的に挙げると、３枚のデオダート本人名義のアルバム『<em>無意味な風景</em>』(1964年)『<em>イデイアス (着想点)</em>』(1964年)『<em>サンバ・ノヴァ・コンセプサォン</em>』(1964年)、５枚の<strong>オス・カテドラーチコス</strong>名義のアルバム『<em>インプルソ！サンバ</em>』(1964年)『<em>トレメンダォン</em>』(1964年)『<em>アタッキ</em>』(1965年)『<em>オ・ソン・ドス・カテドラーチコス</em>』(1970年)『<em>オス・カテドラーチコス 73</em>』(1973年)、そして最後の１枚、<strong>オルケストラ・ロス・ダンセーロス</strong>名義の『<em>ロス・ダンセーロス・エン・ボレロ</em>』(1964年)となる。ちなみに『<em>オ・ソン・ドス・カテドラーチコス</em>』は、前３作をまとめたコンピレーション・アルバムなので要注意。この９枚はすべて日本でもCD化されたので、ご存じのかたも多いだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　また『<em>オス・カテドラーチコス 73</em>』は、前述のキングレコードから1974年にリリースされた『<em>白いピューマ</em>』と同一内容。このアルバムでは『<em>ツァラトゥストラはかく語りき</em>』に収録されている「カーリーとキャロル」の原曲「カルロッタとカロリーナ」そして『<em>ラプソディー・イン・ブルー</em>』に収録されている「スカイスクレイパーズ」の原曲「摩天楼」を聴くことができる。つまり『<em>オス・カテドラーチコス 73</em>』は1972年に吹き込まれた作品だが、デオダートは本作ですでにCTIレコードにおけるクロスオーヴァー・サウンドのプロトタイプを展開しているのである。その点、彼のディスコグラフィにおいて、きわめて重要なアルバムと云える。さらに『<em>ロス・ダンセーロス・エン・ボレロ</em>』あたりを聴くとよくわかるのだが、デオダートは間違いなく、映画音楽の大家、<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>から強く影響を受けている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで、デオダートがスターダムにのし上がったのは確かにCTI時代だけれど、彼の才能はそれよりもずっと以前に開花していた。前述のようにデオダートは1967年にリオからニューヨークに移住したわけだが、その時点ですでに、故郷のブラジルではコンポーザー、アレンジャー、キーボーディストとして、高い評価を得ていたのである。1942年6月22日、リオデジャネイロで生を受けた彼は、12歳でアコーディオンを手にする。14歳のときにピアノを弾きはじめると同時に、管弦楽法や指揮法を独学で習得。特にアレンジについては、<strong>ヘンリー・マンシーニ</strong>の作法を通信教育で学んだという。その影響はさきにも述べたとおり、ブラジル時代の作品に色濃く反映している。そんなデオダートは17歳にして、プロのアレンジャーとしてのキャリアをスタートさせている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">ディスコやソウルのカラーが強まり、ジャズやブラジル音楽の風味は薄まる</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後デオダートは、1960年の初頭に自己のバンドを結成。メンバーは、<strong>セルソ・ブランド</strong>(g)、<strong>セルジオ・バローゾ</strong>(b)、<strong>ジョアン・パルマ</strong>(ds)、<strong>ウーゴ・マロッタ</strong>(vib)、<strong>アンリ・アクセルルード</strong>(fl)といった、錚々たる顔ぶれで占められている。なお1962年にはギタリストが、ボサノヴァのパイオニアでありMPB(ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ)のシンガーソングライターとして有名な<strong>ホベルト・メネスカル</strong>に交替している。前述の初リーダー・アルバム『<em>無意味な風景</em>』を発表したのは、22歳のとき。その後1973年までデオダートは、さきに挙げたソロ名義のリーダー作や、<strong>オス・カテドラーチコス</strong>や<strong>オス・ガトス</strong>といったグループ名義の作品、さらに映画のサントラ盤など、たくさんのアルバムをリリースしている。そのサウンドにはいかにも、ポップでグルーヴィーなボサノヴァといった風情がある。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さて、ハナシをCTI時代に戻すが、デオダートは「ツァラトゥストラはかく語りき」が大ブレークしたあと、意外にもその１年後、ブラジルのパーカッショニスト、<strong>アイルト・モレイラ</strong>とのスプリット・アルバム『<em>イン・コンサート</em>』(1974年)を残して、早々にCTIレコードを去る。デオダートはときを移さず大手のMCAレコード(現在のユニバーサル ミュージック)に移籍するのだが、このあたりにも、いかにも彼らしい抜け目のなさが感じられる。むろん移籍の目的は、利益追求だけではない。ブラジル時代から大らかで明瞭なサウンドを繰り広げていたデオダートのことだから、より自由に自分の音楽をクリエイトしたかったのだろう。<strong>クリード・テイラー</strong>のプロデュース、<strong>ルディ・ヴァン・ゲルダー</strong>のレコーディングと、レーベル・カラーが濃厚なCTIレコードでは、多少なりとも制約があったと思われる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はぼくは、デオダートの作品では、もっともナチュラルにその音楽性が表出していることから、MCA時代のアルバムが好きだ。彼がMCAレコードで制作したアルバムは『<em>旋風</em>』(1974年)『<em>アーティストゥリー</em>』(1974年)『<em>ファースト・クックー</em>』(1975年)『<em>ヴェリー・トゥゲザー</em>』(1976年)の計４枚。すべてデオダート自身が、プロデュースを手がけている。それ故これらのアルバムでは、メロディアスなテーマ、タイトでステーブルなリズム、そしてブラジリアン・テイストと、どこを切ってもデオダートらしさが飛び出してくる。しかも、アルバム・コンセプトにしても、サウンド・プランにしても、CTI作品よりも鷹揚さが増している。カヴァー曲においては、クラシック音楽のパラフレーズ・ナンバーがぐっと減り、かわりにジャズ・スタンダーズや同時代のロックやレゲエのヒット曲が目につく。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9253 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco3.png" alt="ディスコのミラーボール (ブルー)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/06/disco3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　その後、デオダートはワーナー・ブラザース・レコードに移籍し、そのサウンドはさらに進化する。もしかすると、デオダート自身もCTI時代からルーティン化していたクロスオーヴァー・サウンド対し、いささか閉塞感を覚えていたのかも知れない。ワーナー・ブラザース時代の彼は、過去の成功体験を見直しながら、自己の音楽性のステージを一段高い次元へ引き上げようとしているかのようにも映る。その作品は『<em>ラヴ・アイランド</em>』(1978年)『<em>ナイツ・オブ・ファンタジー</em>』(1979年)『<em>ナイト・クルーザー</em>』(1980年)『<em>ハッピー・アワー</em>』(1982年)『<em>モーション</em>』(1984年)と、５枚を数える。サウンドの変革、クオリティの向上という点では、１枚目の『<em>ラヴ・アイランド</em>』がもっとも際立つ。一般的にも『<em>ツァラトゥストラはかく語りき</em>』と並んで、デオダートのマスターピースと観られている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その要因は、名プロデューサー、<strong>トミー・リピューマ</strong>の手腕によるところが絶大。フュージョンの名盤とさえ云われる『<em>ラヴ・アイランド</em>』では、リピューマの得意とするシティ・ソウル系のテイストが加味され、全般的にメロウ・ファンク・サウンドが横溢する。それに反して、従来の鷹揚なデオダート・サウンドは、かなり鳴りをひそめる。そしてそれは作品を重ねるごとに、徐々にディスコやソウルのカラーが強まり、逆にジャズやブラジル音楽の風味は薄まるという、いささかコマーシャルなものになっていく。行き着くところ、女性ヴォーカル、フォー・オン・ザ・フロア、ハンド・クラッピングなどが溢れかえり、フェンダー・ローズによるブラジル風味のアドリブ・ソロが登場する余地はなくなる。そんなことをアッケラカンとやってしまうところもまた、デオダートらしさではあるのだけれど──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　デオダートがダンス・ミュージックに傾倒するようになったのは、彼がスマッシュヒットとなった『<em>レディーズ・ナイト</em>』(1979年)をはじめとする、ニュージャージー出身のファンク・バンド、<strong>クール＆ザ・ギャング</strong>のアルバムをプロデュースするようになったことと無関係ではないだろう。いずれにしてもワーナー・ブラザース時代のデオダートは、ディスコライクなマナーにのめり込み、ファンク・モードに入っていた。そういう時期において、もっとも成功している作品といえば、ぼくは『<em>ラヴ・アイランド</em>』ではなく『<em>ナイツ・オブ・ファンタジー</em>』を真っ先に挙げる。本作では、トータル的にディスコ、ファンクのカラーが濃厚だが、そんななかにも従来のデオダートの音楽性が明確に見てとれるのである。名盤の呼び声が高い『<em>ラヴ・アイランド</em>』は、ある意味でリピューマの作品なのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　一般的にあまり評価する向きが多くない『<em>ナイツ・オブ・ファンタジー</em>』だが、CTI、MCAにおけるクロスオーヴァー・サウンドや、それ以前のブラジリアン・テイストが、首尾よくディスコビートに載っかっているという点では群を抜いている。最後にこのアルバムについて、簡単ではあるが具体的に触れておく。プロデュースはデオダート本人が担当、ソングライティングのほうも１曲を除いて、すべて彼が手がけている。レコーディング・メンバーは、<strong>エウミール・デオダート</strong>(key)、<strong>ジェフ・レイトン</strong>(g)、<strong>ジョン・トロペイ</strong>(g)、<strong>レイ・ゴメス</strong>(g)、<strong>クリフ・モリス</strong>(g)、<strong>ニール・ジェイソン</strong>(b)、<strong>フランシスコ・センテーノ</strong>(b)、<strong>ジョン・サスウェル</strong>(ds)、<strong>スコット・シェリアー</strong>(elds)、<strong>クラッシャー・ベネット</strong>(perc)、<strong>ルーベンス・バッシーニ</strong>(perc)、<strong>ルー・マリーニ</strong>(fl)。さらに、ホーンズ＆ストリングスが加わる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムはゆったりしたダンスビートの「スペース・ダスト / シャーロック」からスタート。フォー・オン・ザ・フロアにハンド・クラッピングといった、いかにもフロアライクなナンバー。しかしながら、転調が活かされたコード進行やオーケストラ・サウンドは、いかにもデオダートらしい。後半の熱いシンセのソロも、なかなかのもの。アップテンポの「シャザム」もまたディスコライクな曲だが、ベースのリフやコンガのラテン・タッチ、そしてブラスのアンサンブルがアクセントとなっている。スラップ・ベースのソロも効果的だ。次の「バッハマニア」だけが、カヴァー曲。というか、<strong>ヨハン・ゼバスティアン・バッハ</strong>の「主よ、人の望みの喜びよ」フランスの作曲家、<strong>アンドレ・ポップ</strong>の「恋はみずいろ」デオダートのオリジナル「ウィッスル・バンプ」といった３曲の組曲。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　この曲、ディスコビートがキープされながらメドレーで演奏されるというところが、あたかもDJミックスのような計らいだ。サイナーというエレクトロニック・ドラムスの音色が、なんとも懐かしい。B面のトップを飾る「ナイツ・オブ・ファンタジー」は、ハンド・クラッピングも入ってくるが、どちらかというと16ビートの躍動感溢れる爽快なフュージョン・ナンバー。ホルン、フルート、ストリングスなどのアンサンブル、そしてトロペイによるギター、デオダートによるローズのソロと、これぞデオダート・サウンドといった感じだ。ラストの「ラヴリー・レディ」は、ディスコ抜きのブラジリアン・テイストのメロウ・フュージョン。ローズのソロが、得も云われぬリラクゼーションを生んでいる。そんな本作、全体的にはよくバランスのとれた１枚で、飽きのこない佳作と云える。ぜひ、お試しあれ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"ナイツ･オブ･ファンタジー","b":"ワーナーミュージック・ジャパン","t":"Eumir Deodato","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/514ZyIYZJYL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00JBJWJXC","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00JBJWJXC","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%84%EF%BD%A5%E3%82%AA%E3%83%96%EF%BD%A5%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%EF%BD%B0\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%84%EF%BD%A5%E3%82%AA%E3%83%96%EF%BD%A5%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%EF%BD%B0","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"nXex8","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-nXex8">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/eumir-deodato-knights-of-fantasy/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Ivan Lins / Daquilo Que Eu Sei (1981年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/ivan-lins-daquilo-que-eu-sei/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=ivan-lins-daquilo-que-eu-sei</link>
					<comments>https://kimama-music.com/ivan-lins-daquilo-que-eu-sei/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 17 May 2026 07:06:35 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Ivan Lins]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9143</guid>

					<description><![CDATA[リオデジャネイロが生んだブラジルの至宝、MPBを代表する世界的メロディメーカーであり、ジャズ/フュージョン・シーンの数多くのアーティストに多大な影響を与えたシンガーソングライター、イヴァン・リンスの1980年代の傑作『ダ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">リオデジャネイロが生んだブラジルの至宝、MPBを代表する世界的メロディメーカーであり、ジャズ/フュージョン・シーンの数多くのアーティストに多大な影響を与えたシンガーソングライター、イヴァン・リンスの1980年代の傑作『ダキーロ・キ・エウ・セイ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Ivan Lins / Daquilo Que Eu Sei (1981)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Quem Me Dera</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-16" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-16">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">リオデジャネイロが生んだブラジルの至宝、MPBを代表する世界的メロディメーカーであり、ジャズ/フュージョン・シーンの数多くのアーティストに多大な影響を与えたシンガーソングライター、イヴァン・リンスの1980年代の傑作『ダキーロ・キ・エウ・セイ』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">ブラジルの音楽への興味──端緒を開いたのは妹が弾いていたエレクトーン</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">ブラジルの音楽において、もっともこころを打たれたのはリンスの曲</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">愛聴盤はリンスのもっとも勢いがあったころの４枚のアルバム</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">ブラジルの音楽への興味──端緒を開いたのは妹が弾いていたエレクトーン</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ここのところ、日中ちょっと汗ばむような日がつづいている。その日差しの強さは、もう初夏の気配さえ感じさせる。そんなこともあり、ここのところブラジルの音楽を集中的に聴いていたりする。夏にはブラジルの音楽がよく似合う。精神的に暑さをクールダウンさせる、“涼”のイメージがあるからだ。たとえば1950年代末にリオデジャネイロで生まれたボサノヴァは、その静かで囁くようなヴォーカル・パフォーマンスと軽快なアコースティック・ギターによるリズムとによって、暑さで疲れた心身を癒やしてくれる。さらに穏やかに波間を揺蕩うような独特のハーモニーは、情緒的で洗練された雰囲気を醸成する。そこに生まれるサウダージという感覚は、その境界がはっきりしないのだが、懐かしさ、切なさ、愛おしさが入り混じったブラジルの音楽特有のもの。そして実は、その曖昧さが心地よさを作り出しているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういうふうにぼくが感じるようになったのはわりと早い時期で、小学生高学年のころ。ぼくがジャズを長年愛好するようになるキッカケといえば、10歳以上年長の従兄の家で<strong>ビル・エヴァンス</strong>のレコードを聴かせてもらったことだが、実はそれ以前にブラジルの音楽に興味をもちはじめていた。その端緒を開いたのは、ぼくより３つ下の妹がエレクトーンで弾いていた曲だった。念のために云っておくと、エレクトーンとは、楽器や音響機器の製造発売で知られるヤマハが開発した、(リズム機能も装備された)電子オルガンのこと。妹は幼少期からヤマハ音楽教室に通い、エレクトーンのレッスンを受けていた。彼女はぼくがピアノをはじめるまえから、鍵盤、ベース・ラインを奏でる足鍵盤、それにエクスプレッション・ペダルを流暢に操っていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　妹の演奏能力はぼくのそれよりもずっと優れていて、彼女は高校に進学するとあっけなくヤマハの指導グレードを取得してしまった。演奏が上手いことにもいささか嫉妬心を抱いたけれど、それよりもぼくはそのレパートリーに羨望の眼差しを向けていた。エレクトーンはもともとソロ・パフォーマンス用の楽器だから、１台でバンドやオーケストラのような演奏をすることが可能。したがってプレイヤーが採り上げる楽曲においては、クラシック、イージーリスニング、映画音楽などはもちろんのこと、ポップス、ロック、ジャズ、ラテンなど、その音楽ジャンルは多岐にわたる。クラシック・ピアノのレッスンを受けていたぼくが、ポピュラー・ピアノも弾くようになったのは、それらの楽曲に感化されたからだ。そんななか、妹のレパートリーでことにぼくの琴線に触れたのがボサノヴァ・チューンだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　妹がよく弾いていた曲で、ぼくのこころを奪ったのは「イパネマの娘」「おいしい水」「想いあふれて」といった曲で、どれも作曲を<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>、作詞を<strong>ヴィニシウス・ジ・モライス</strong>が手がけたものだった。ブラジルの音楽といえば、ぼくは1970年の大阪万博における<strong>セルジオ・メンデス</strong>の演奏において、すでに体験済みだったのだけれど、その特有の味わいに強く惹かれたのはジョビンの曲を聴いたときが最初だったと思う。もちろんそのときのぼくは、ジョビンの音楽がボサノヴァというもので、ショーロ、サンバ、ノルデスチとともにブラジルの音楽のひとつであるなどとは、まだ知る由もなかった。ただ、その簡素で美麗なメロディック・ラインと心地いいテンション・コードとに、ぼくの感性がいたく刺激されたことはハッキリ覚えている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それを機にぼくは、すっかりブラジルの音楽のとりこになった。その影響力は、計り知れない。そんな自分を年代別に俯瞰すると、1960年代の<strong>アントニオ・カルロス・ジョビン</strong>、1970年代の<strong>ミルトン・ナシメント</strong>、1980年代の<strong>イヴァン・リンス</strong>からは、特に刺激を受けたと云える。これは余談だが、高校の音楽の授業で作曲の課題が出されたとき、先生がぼくの書いた曲について「君の曲はフランス印象音楽みたいだね」と感想を述べた。でも、実際はそうではない。あれは完全にジョビンだった。バンドを組んでいたときも、サビで転調したりするとメンバーから、ジョビンの曲に似ていると指摘され気恥ずかしくなることがあった。ただぼくはジョビンの音楽に関しては、ジャズの場合とは異なり一度も研究したことがない。彼の音楽は、ぼくのなかにいつの間にか染みわたっていたのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　というのも、小学校高学年のころから中学校を卒業するまでの間にぼくは、1960年代にヴァーヴ、CTIといったレーベルからリリースされたジョビンのボサノヴァ作品に、すっかり馴染んでいたからである。また、中学時代にはすでにジャズやフュージョンを聴くようになっていたが、サクソフォニストである<strong>ウェイン・ショーター</strong>のアルバム『<em>ネイティヴ・ダンサー</em>』(1975年)でフィーチュアされたことから、<strong>ミルトン・ナシメント</strong>に注目するようになった。ナシメントはMPBの代表的なシンガーソングライターだが、このアルバムにおけるショーターとナシメントとのコラボレーションが生み出す、２種類の芳醇なミュージカリティがよくブレンドされた上質な音楽に、ぼくはこころを揺さぶられた。個人的には、はじめてのMPB体験だったと思うけれど、いまもことあるごとに手にとる愛聴盤となっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、MPBとはポルトガル語のムジカ・ポプラール・ブラジレイラの略で、ブラジリアン・ポピュラー・ミュージックという意味。MPBは、1960年代後半に起こったブラジルの温故知新的な芸術運動である、トロピカリズモが発祥とされているけれど、むろん当時はそんな出来事はおろかその名称すら知る由もなかった。それはともかく、ぼくはショーターのアルバムを体験したすぐあと、偶然にもふたたびナシメントがフィーチャリング・アーティストとして迎えられた作品に出会う。それは、キーボーディストである<strong>ジョージ・デューク</strong>の『<em>ブラジリアン・ラヴ・アフェア</em>』(1980年)というアルバム。ブラジル原産の素材がデューク流に味つけされ、ワン・アンド・オンリーなブラジリアン・サウンドが創出されたフュージョンの名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムに収録されている、タンボーリス・ジ・ミナスのリズムが活かされた「クラヴォ・イ・カネーラ」やラテン・エッセンス溢れるフォルクローレ調の「アオ・キ・ヴァイ・ナセール」といったナシメントの自作曲では、彼のヴォーカルがまさに独擅場でその存在感の大きさと影響力の強さを、あらためて感じさせられる。この２曲の原曲は、ナシメントとやはりシンガーソングライターの<strong>ロー・ボルジェス</strong>とのコラボレーション・アルバム『<em>街角クラブ～クルービ・ダ・エスキーナ</em>』(1972年)で聴くことができる。ブラジルの南東部に位置するミナス・ジェライス州出身のふたりによる、ローカル・フレーヴァーが香るいわゆるミナス・サウンドが全開したこのアルバムを聴いて、ぼくはその豊かな音楽性にいたく感銘を受けた。云うまでもなく、本作もまた愛聴盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ふたりの少年が写った写真がジャケットにあしらわれた２枚組のレコード『<em>街角クラブ～クルービ・ダ・エスキーナ</em>』は、ブラジル音楽を語る上で絶対に外せないアルバムだし、実際あらゆるジャンルの音楽家に影響を与えた作品だ。いささか余談になるが、名曲「クラヴォ・イ・カネーラ」は、<strong>リー・リトナー</strong>と<strong>デイヴ・グルーシン</strong>のコラボレーション・アルバム『<em>ブラジル</em>』(2024年)で採り上げられたことが記憶に新しい。ギタリストのリトナー、キーボーディストのグルーシン、どちらもぼくの敬愛する音楽家だが、もはやレジェンダリー・ミュージシャンと呼ぶべき存在であり、アルバムが発表された2024年当時、それぞれ72歳と90歳という高齢だった。それにもかかわらずふたりは、ブラジルのミュージシャンが紡ぐ清涼感に溢れるリズムに乗って、ジャズのエッセンスを感じさせる洗練されたプレイを展開している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ブラジルの音楽において、もっともこころを打たれたのはリンスの曲</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムの冒頭を飾っているのが「クラヴォ・イ・カネーラ」なのだが、リトナーとグルーシンとによるヴァージョンは、ほぼ原曲どおりのアレンジで進行する。リトナーのエレクトリック・ギターがシングル・トーンでシンプルにテーマとサビを提示したあと、そのクリスタル・ヴォイスが話題となったサンパウロの新進女性シンガー、<strong>タチアナ・パーハ</strong>のヴォーカルが入ってくる。彼女の抑えめのパフォーマンスが、アンサンブルに溶け込む。グルーシンのアコースティック・ピアノ、リトナーのギター、そしていまは亡き<strong>トゥーツ・シールマンス</strong>の後継者と目されるスイス出身のジャズ・ハーモニシスト、<strong>グレゴア・マレ</strong>のハーモニカがソロをとるが、平明で落ち着いた感じのアドリブ・プレイに、熟成香が漂う。機会があったら、ぜひ聴いていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はナシメント自身も「クラヴォ・イ・カネーラ」をソロ名義の『<em>ミルトン</em>』(1976年)というアルバムでセルフカヴァーしているのだが、こちらではジャズ・ピアニストの<strong>ハービー・ハンコック</strong>がピアノを弾いている。なにを隠そう、このアルバムには<strong>ウェイン・ショーター</strong>も参加していて、ナシメント、ハンコック、ショーターといった３人の共演という共通性において本作は、前述の『<em>ネイティヴ・ダンサー</em>』と関係が深い。ちなみに、あとになったが「クラヴォ・イ・カネーラ」の原曲を収録した『<em>街角クラブ～クルービ・ダ・エスキーナ</em>』のタイトルとなっている“クルービ・ダ・エスキーナ”とは、ミナス・ジェライス州のベロ・オリゾンチ市に集うミュージシャンたちの呼び名である。<strong>トニーニョ・オルタ</strong>、<strong>フラヴィオ・ヴェントゥリーニ</strong>、<strong>ヴァグネル・チゾ</strong>らもその一員である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ハナシが前後するが、リトナーとグルーシンの『<em>ブラジル</em>』では、ナシメントの自作曲「カタヴェント」もカヴァーされている。曲名はポルトガル語で、“風車”を意味する。ナシメントのデビュー・アルバム『<em>トラヴェシーア</em>』(1967年)や、彼がCTIレコードに吹き込んだ『<em>太陽の歌</em>』(1969年)などに収録されている。リトナーとグルーシンは、原曲の鷹揚な律動をストレートに際立たせている。グルーシンはアコースティック・ピアノでゆったりと玉を転がすように鍵盤を動かしているが、ブラジルの音楽特有の爽快感と清涼感を手堅く引き立てている。いずれにしても、リトナーとグルーシンが過去の作品において、ここまでブラジルに寄り添ったことはなかったかもしれない。変な云いまわしかもしれないが、本作におけるふたりのブラジルの音楽に対する斟酌の仕かたが、実に思慮深いのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　というのも、グルーシンはこの「カタヴェント」という曲を、自己のソロ名義のアルバム『<em>ジェントル・サウンド</em>』(1978年)ですでにカヴァーしている。ところが、そちらのヴァージョンは、おなじサンバでもリズムがタイトになっている。<strong>スティーヴ・ガッド</strong>の軽快なドラミング、<strong>フランシスコ・センテーノ</strong>のフレキシブルなベース、そしてグルーシンの小気味いいフェンダー・ローズと、とにかくソフィスティケーテッドな印象を与える。もっとも軽妙なのは、<strong>デイヴ・ヴァレンティン</strong>のフルートによるグロウル奏法。彼はグルーシンがプロデュースを手がけた、ジャズ・ヴァイオリニスト、<strong>ノエル・ポインター</strong>の『<em>ファンタジア</em>』(1977年)でレコーディング・デビューを果たしたばかりだったが、のちにGRPレコードの看板ミュージシャンとなる。そういう点でもこのトラックは、ブラジル志向よりもコンテンポラリー・ジャズ色が強い。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　長々とナシメントについて語ってしまったが、さきに触れたジョビンもそうだが彼もまた、ジャズやフュージョンの飛躍に大きな影響を与えたブラジルの音楽家と云える。というか、概してブラジルの音楽は、このジャンルとは切り離せないものと云っても過言ではないだろう。実のところブラジルの国内経済が立ち遅れていた時代から、音楽の分野に関しては世界的な注目を集めていたのである。そして日本でも1960年代のボサノヴァ・ブームの到来、1970年代から1980年代にかけてのブラジリアン・フュージョンの流行、1990年代以降の渋谷系サウンドとの連動による再評価といった具合に、ブラジルの音楽の受容は常に盛んだ。ことに渋谷系のムーヴメントから、日本ではブラジル本国でもなかなか入手困難な音源が多数発売された。よく日本を訪れたブラジルのミュージシャンが、日本盤CDを大人買いしていくのだという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さて、末尾にはなったが、以下は<strong>イヴァン・リンス</strong>について集中的ご紹介する。ブラジルの音楽において、ぼくがもっともこころを打たれたのは、実は彼の曲なのである。リンスの音楽との出会いは、ちょうど高校に進学する直前のことだったと記憶する。キッカケは、ギタリストの<strong>ジョージ・ベンソン</strong>がヴォーカリストとしての側面を前面に押し出したアルバム『<em>ギヴ・ミー・ザ・ナイト</em>』(1980年)だった。リンスのことを知ったのは、このアルバムに収録されている「喝采」と「ラヴ・ダンス」という曲のソングライターとして、彼のクレジットを見つけたとき。それまでぼくは、リンスのことをまったく知らなかったのだが、この２曲を聴いて彼のことが気になりはじめた。特に「ラヴ・ダンス」の独特のコード進行に、強く惹きつけられた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムのプロデュースを務めたのは、グラミー賞をはじめとする音楽賞を多数受賞する<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>。彼はこのころ、<strong>マイケル・ジャクソン</strong>の『<em>オフ・ザ・ウォール</em>』(1979年)、<strong>ルーファス＆チャカ</strong>の『<em>マスタージャム</em>』(1979年)、<strong>ザ・ブラザーズ・ジョンソン</strong>の『<em>ライト・アップ・ザ・ナイト</em>』(1980年)など、次々にヒット・アルバムを世に送り出していたが、ベンソンのアルバムも含めたこれらの作品において、ソングライター兼アレンジャーとしてイングランド、リンカンシャー出身のキーボーディスト、<strong>ロッド・テンパートン</strong>を起用している。もともと彼は多国籍バンド、<strong>ヒートウェイヴ</strong>のメンバーとしてファンク、R&amp;B、ソウルといった音楽を展開していたが、当時のジョーンズ作品の特徴とも云えるポップなディスコ・サウンドにおいて、大きな功績を上げた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　テンパートンは、その後も<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の『<em>愛のコリーダ</em>』(1981年)、ジョーンズがプロデュースを手がけたR&amp;B系シンガー、<strong>パティ・オースティン</strong>の『<em>デイライトの香り</em>』(1981年)に参加している。彼の書くソウルフルかつソフィスティケーテッドな楽曲は相変わらずスタイリッシュなのだけれど、ぼくにとっては<strong>イヴァン・リンス</strong>のペンによる浮遊感のあるコード進行が際立ったナンバーのほうが、ずっと魅力的に感じられた。具体的には、前者に収録されている「ヴェラス」と後者のラストを飾る「白い波」という曲だ。ただ、この２曲に触れたときのぼくといえば、浅学菲才の身でお恥ずかしい限りなのだが、リンスがMPBの人気シンガーソングライターであるとはつゆ知らず、彼のことをラテン系アメリカ人の作曲家と勘違いしていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　まあ、釈明するようで恐縮だが、そのころのリンスといえば、日本ではまったく無名の存在だったのである。ぼくがリンスのことをブラジルのシンガーソングライターであると認識したのはそれよりちょっとあとのことで、ブラジルの女性シンガー、<strong>エリス・レジーナ</strong>の『<em>エラ 1971年</em>』(1971年)に収録されている「マダレーナ」や、女性ジャズ・シンガー、<strong>サラ・ヴォーン</strong>の『<em>コパカバーナ</em>』(1979年)のなかの「スマイリング・アワー」を聴いたときのこと。その後、<strong>セルジオ・メンデス</strong>が『<em>愛をもう一度</em>』(1983年)で「ヴー・ドゥー」を採り上げたときは、わが国の音楽ファンの間でもリンスのことが取り沙汰されるようになっていた。ぼくがリンスのアルバムを求めて、ブラジルの輸入盤を取り扱うレコード店を何件も渡り歩くようになったのはこのころだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">愛聴盤はリンスのもっとも勢いがあったころの４枚のアルバム</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、さきに挙げたベンソンの「喝采」と「ラヴ・ダンス」の原曲は、それぞれ「ジノラー・ジノラー」「レンブランサ」という。さらに「ヴェラス」は「ヴェラス・イサーダス」「白い波」は「コメサール・ジ・ノーヴォ」「スマイリング・アワー」は「アブリ・アラス」「ヴー・ドゥー」は「クエーロ・ジ・ヴォウタ・オ・メウ・パンデイロ」という原題である。どれもリンスの代表曲と云っていい。むろん原曲は、リオデジャネイロ出身のリンス自身によって歌われているのだから、歌詞はポルトガル語で書かれている。当時高校生だったぼくは、歌詞の内容を理解する言語スキルをもち合わせていなかったけれど、それでも高度なジャズ・ハーモニーを孕んだ洗練されたアダルト・オリエンテッドな音楽として、深く寄り添うように熱心に聴いていた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　あとでぼくは、ソフィスティケーテッドでアーバンなブラジリアン・サウンドと、こころもちアーシーな香りを放つヴォーカル・パフォーマンスが交錯するリンスの楽曲の歌詞の内容を知って、それがハーモニーやメロディック・ラインから想像していたものとまったく違っていたので愕然としたものである。当時リンスの曲の作詞を一手に担っていたのは<strong>ヴィトール・マルティンス</strong>で、彼はさきに挙げた「マダレーナ」や「クエーロ・ジ・ヴォウタ・オ・メウ・パンデイロ」の作詞を手がけたMPBではお馴染みの<strong>ロナウド・モンテイロ・ジ・ソウザ</strong>に次いで、1970年代初頭からリンスのよきパートナーとなった。この名コンビはソングライティングに止まらず、1991年にブラジルのレコード・レーベル、ヴェラス・プロドゥソンイスを設立したりもしている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ところで、マルティンスの書いた歌詞だが、実は社会的なメッセージを発信するものだった。ブラジルは1964年からおよそ20年間、軍事政権の支配下に置かれていた。さらに1970年代からはじまった経済の悪化は止まるところを知らず、インフレが進み失業者が急増した。そんな状況下で多くのMPBのアーティストたちが軍部の検閲によって表現の自由を制限されていたのだが、実のところマルティンスは、作詞において比喩表現を多用し検閲を巧みにすり抜けていた。つまりマルティンスの最大の理解者であるリンスは、優れたメロディメーカーかつサウンド・クリエイターであると同時に、社会派のアーティストでもあり、云ってみればブラジル国民の声なき声の代弁者だったのである。そういう背景に注目すると、彼の音楽がより味わい深いものと感じられる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときに、ぼくが高校時代にショップ行脚の末、手に入れたリンスのレコードといえば、奇しくも彼のもっとも勢いがあったころのアルバムばかりだった。個人的には、当時はリンスの音楽を深掘りするための格好の材料でもあったし、いまもことあるごとにターンテーブルに載せる愛聴盤となっている。ついでに云うと、前述のジョビンとナシメントの音楽がぼくのなかにいつの間にか染みわたっていたのに対し、リンスのそれは能動的に自分の音楽性に採り入れたものだった。特にEMIレコード時代の『<em>ある夜</em>』(1979年)『<em>ノーヴォ・テンポ</em>』(1980年)、フィリップス・レコード移籍後の『<em>ダキーロ・キ・エウ・セイ</em>』(1981年)『<em>デポイス・ドス・テンポライス</em>』(1983年)といった４枚は、決して上質とは云い難いブラジル産の音盤がそれこそ擦り切れるほど、ぼくが聴き込んだアルバムである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおリンスは、上記のアルバムにつづいて多数の豪華ゲストを迎えたセルフカヴァー集『<em>ジュントス(歌の仲間たち)</em>』(1984年)を発表したあと、<strong>デイヴ・グルーシン</strong>、<strong>リー・リトナー</strong>によってロサンゼルスに招聘され、彼らのコラボレーション・アルバム『<em>ハーレクイン</em>』(1985年)のレコーディングに参加。既存の自作曲をポルトガル語で歌った。この出来事によって、リンスの日本での知名度は一気に上がった。そのときに採り上げられたのは『<em>ある夜</em>』収録の「アンチス・キ・セージャ・タルジ」『<em>ノーヴォ・テンポ</em>』収録の「アルレキン・デスコニェッシード」そして『<em>デポイス・ドス・テンポライス</em>』収録の「デポイス・ドス・テンポライス」といった３曲。各々「ビフォア・イッツ・トゥー・レイト」「ハーレクイン」「ビヨンド・ザ・ストーム」という英題が付された。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　おわかりのとおり『<em>ハーレクイン</em>』では『<em>ダキーロ・キ・エウ・セイ</em>』からは選曲されていない。これは推測の域を出ないが、このアルバムの楽曲のうち「レンブランサ」は前述のとおり<strong>ジョージ・ベンソン</strong>が、そして「アモール」をバイーア州サルヴァドール出身の女性シンガー、<strong>シモーネ</strong>が『<em>個人生活</em>』(1982年)というアルバムですでにカヴァーしていたからだろう。実はこの『<em>ダキーロ・キ・エウ・セイ</em>』は、上記の４枚のうちもっとも明るく爽やかな印象を与える。それこそ精神的に暑さをクールダウンさせる、“涼”のイメージがあるので、この季節にお薦めの１枚だ。残念ながら、なぜか日本ではいまだに発売されていない(ブラジルでは2002年にCD化済み)。せっかくの機会なので、最後にこのアルバムの詳細について触れておく。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　収録曲はすべて、リンスとマルティンスとの共作。プロデュースとアレンジは、リンスの作品ではお馴染みのキーボーディスト、<strong>ジウソン・ペランゼッタ</strong>が手がけている。彼のアレンジはブラジリアン・テイストをキープしながらも、コンテンポラリー・ジャズ調。リンスの書く洗練された楽曲に、よく合っている。レコーディング・メンバーは、<strong>イヴァン・リンス</strong>(vo, key, g)、<strong>ジウソン・ペランゼッタ</strong>(key, a<em>cc</em>)、<strong>オクタヴィオ・ブルニエール</strong>(g)、<strong>アルトゥール・マイア</strong>(b)、<strong>パウリーニョ・ヴィエイラ</strong>(ds)、<strong>ジョアン・ゴメス</strong>(perc)、<strong>ヘナート・フランコ</strong>(as, fl)、<strong>ギリェルミ・ブリシオ</strong>(as)、<strong>ヒカルド・ポンチス</strong>(sax)、<strong>マルシオ・コルテス</strong>(mand)、<strong>ルシーニャ・リンス(</strong>vo, a<em>cc</em>)など。さらに<strong>ノゼス・エ・ヴォゼス</strong>というヴォーカル・グループ、そしてストリングスが加わる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのトップを飾る「ダキーロ・キ・エウ・セイ」は、さきに挙げた『<em>ジュントス(歌の仲間たち)</em>』において<strong>パティ・オースティン</strong>が英詞を付して歌った「私を信じて」として知られる曲。アコーディオンの音色が潮風の香りを放つ、爽やかなナンバーだ。つづく「ルア・シランデイラ」は、ブラジル北東部の民俗舞踊シランダが採り入れられた陽気な曲。とはいえ、“月ははだれのものでもあってはならない”という歌詞が意味深。マンドリンが効果的に使われた「アヴェ」は、雄大に空を飛ぶ鳥の様子が描かれた、壮大なナンバー。前述の「レンブランサ」は、いかにもリンスらしい独特のコード進行が美しいバラード。ペランゼッタのローズによるバッキングが軽妙だ。A面最後の「ブラス・ジ・ピーナ」では、勇壮なスキャットのあとペランゼッタのピアノがジャジーなソロを展開。実に晴れ晴れとした気持ちにさせられる曲だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　B面の最初は「アモール」で、ゆったりした２拍子の曲。転調も効果的だが、とにかくリンスの当時の奥さま、ルシーニャとのデュエットが微笑ましい。おなじようなテンポの「ダ・リセンサ」では、ロマンティックでハートウォーミングなヴォーカルを堪能するのみ。都会的かつ野性的なフィーリングは、リンスならでは。個人的にもっとも好きな「クエン・ミ・デラ」は、サウダージ感覚とファンキーなフュージョン・サウンドが交錯する名曲。この曲こそ、グルーシン＆リトナー向き。リンスは『<em>アモラジオ</em>』(2012年)で、セルフカヴァーしている。さらに、リッチなコードワークがメロウな世界を演出する「カナヴィアウ」柔らかなシンコペーションと無重力感溢れるハーモニーが、なんとも心地いい「オ・パーノ・ジ・フンド」とつづき、アルバムは幕を閉じる。あたかもこころが洗われるような、深い余韻を残す名盤である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"Daquilo Que Eu Sei","b":"Philips","t":"Ivan Lins","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/51rndY8B9EL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00BHJI9NI","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B00BHJI9NI","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/Daquilo%20Que%20Eu%20Sei\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=Daquilo%20Que%20Eu%20Sei","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"KIW13","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-KIW13">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/ivan-lins-daquilo-que-eu-sei/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>Bob James / Joy Ride (1999年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/bob-james-joy-ride/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=bob-james-joy-ride</link>
					<comments>https://kimama-music.com/bob-james-joy-ride/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 26 Apr 2026 06:40:09 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[Bob James]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=9054</guid>

					<description><![CDATA[クリエイティヴかつアートオリエンテッドなサウンドを志向するボブ・ジェームスだからこそものすることができた、上質のスムース・ジャズ作品『ジョイ・ライド』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">クリエイティヴかつアートオリエンテッドなサウンドを志向するボブ・ジェームスだからこそものすることができた、上質のスムース・ジャズ作品『ジョイ・ライド』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : Bob James / Joy Ride (1999)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : Trade Winds</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-18" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-18">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">クリエイティヴかつアートオリエンテッドなサウンドを志向するボブ・ジェームスだからこそものすることができた、上質のスムース・ジャズ作品『ジョイ・ライド』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">アヴァンギャルドでエッジの効いたプレイを披露していた時代</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">ジャズを基調としたアーバンでポップなインストゥルメンタル作品を発表</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">コンテンポラリー・ジャズというコトバでは収まり切らない音楽性</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">アヴァンギャルドでエッジの効いたプレイを披露していた時代</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ボブ・ジェームス</strong>は<strong>デイヴ・グルーシン</strong>とともに、ぼくのもっとも敬愛する音楽家である。一般的にもコンテンポラリー・ジャズの大御所という意味合いで、ふたりはよく比較される。1970年代後半から1980年代にかけてのフュージョン全盛期には、よく東のジェームス、西のグルーシンという云われたかたをしたもの。確かにこのふたりには、そのキャリアにおいて共通する点がたくさんあるのだけれど、各々の音楽性には微妙な違いがあるように、ぼくには感じられる。グルーシンはどちらかというと、音楽ツールの進化と多様化の影響を受けながらも、いつの時代も自身のスタイルを貫いていたように思う。ところがジェームスのほうは、テクノロジーの進歩、社会情勢、聴取環境の変化にともない、積極的にサウンドの装いを変えてきた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジェームスはグルーシンと同様に、もともとはジャズ・ピアニストとしてキャリアをスタートさせたアーティストだ。ただグルーシンがモダン・ジャズの王道を行くようなピアニストだったのに対して、ジェームスはデビュー当時からアヴァンギャルドでエッジの効いたプレイを披露していた。むろんグルーシンもクリエイティヴィティを優先する音楽家だけれど、飽くまでナチュラルなサウンドを創出する。ソフィスティケーテッドな響きのなかにも、ある種ハリウッドの伝統を汲んだ音遣いが散見されるのだ。それに対してジェームスは、クリエイティヴであると同時に、常にアートオリエンテッドなサウンドを追求するひとという印象を与える。チャレンジ精神が旺盛というか、決してひとところに留まらず常に前進しつづけるミュージシャンだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　1962年、まだ大学生だったジェームスは自己のピアノ・トリオで、ノートルダム・ジャズ・フェスティヴァルに出演し優勝を果たす。そのことが、あの<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>の目にとまり、マーキュリー・レコードにおいて、<strong>ロン・ブルックス</strong>(b)、<strong>ボブ・ポーザー</strong>(ds)とともにレコーディングを行うことになった。その音源をまとめたものが、ジェームスの記念すべき初リーダー作『<em>ボールド・コンセプションズ</em>』(1963年)である。そのタッチは<strong>レニー・トリスターノ</strong>や<strong>デニー・ザイトリン</strong>を彷彿させる力強く硬質なもので、そのスタイルはプログレッシヴなイメージを与える。しかもこのアルバム、タイトルどおり大胆な着想が斬新な音世界として具現化されているのだ。それはひとことで云うと、現代音楽のエッセンスが導入されたジャズということになる。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9069 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano1.png" alt="おもちゃのグランドピアノ(緑色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　どういうことかというと、たとえばジェームスはこのアルバムで通常のアコースティック・ピアノも弾いているのだけれど、ときとしてプリペアード・ピアノの手法を即興演奏に採り入れている。むろん、それだけではない。自身のオリジナル曲ではメンバーが三位一体となって、いわばライヴ・コンクレートのようなパフォーマンスを繰り広げている。特に使用されているパーカッション類が、実にユニーク。たとえば、テンプルブロック、ヒョウタン、ガラスや竹で出来たウィンドチャイム、さらに磁気テープまでもち込んでいる。ドラマーのポーザーに至っては、ドラム缶をマレット、ワイヤー・ブラシ、おはじき、ゴルフボールなどで叩いたり、鉄パイプをハンマーで打ったりしている。さらに彼は、スライドホイッスルやトーネットも吹いていたりするのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　具体的には「トリロジー」と「クエスト」という曲なのだが、アルバム中もっとも独創的な実験的技法が全面に出された楽曲となっている。どちらもシンプルなテーマが演奏されたあと、フリー・フォームの即興演奏が大胆に展開されて、ふたたびテーマに戻るという構成が組まれている。興味深いのは、この２曲のテーマのメロディック・ラインが、いかにも<strong>ボブ・ジェームス</strong>らしいということ。そのパートだけをピックアップすると、それがのちのコンテンポラリー・ジャズ作品の楽曲を彷彿させることに、容易に気がつくのである。このことからも、時代によってスタイルこそ違えども、ジェームスのクリエイティヴィティとパーソナリティは一貫していることがわかる。彼はしっかり時流をつかんでいながらも、その音楽性において決して宗旨替えをするようなことはないのだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジェームスの音楽活動は60余年にわたるわけだが、彼の音楽性を語るときこの時代の作品を決して見過ごしてはいけないと、ぼくは思う。彼は『<em>ボールド・コンセプションズ</em>』で実演した斬新で個性的なサウンドを、逡巡することなくさらに進化させる。ジェームスは驚くなかれ、<strong>オーネット・コールマン</strong>、<strong>ファラオ・サンダース</strong>、<strong>サン・ラ</strong>らのアルバムで知られる、フリー・ジャズ、アンダーグラウンド・ロックの専門レーベル、ESPディスク・レコードからリーダー作をリリースしている。彼にとってセカンド・アルバムに当たる『<em>エクスプロージョンズ</em>』(1965年)は、ピアノ・トリオに音響および録音技術を使った電子音楽が導入された、いわば抽象芸術的な作品だ。前作に比べると、ジャズやブルースを象徴する４ビートによる躍動感は、ほんの一部でしか観ることはできない。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そういう意味ではこのアルバム、グルーヴを楽しむようなレコードではない。アブストラクトなパフォーマンスに、加工された環境音や電子音がミックスされた実験的な作品だ。サイドにはレギュラー・ドラマーの<strong>ボブ・ポーザー</strong>に加え、<strong>エリック・ドルフィー</strong>、<strong>アーチー・シェップ</strong>、<strong>アッティラ・ゾラー</strong>といったフリー・ジャズ系のミュージシャンとの共演、自らのソロ・ベースによる即興演奏、<strong>デイヴ・ホランド</strong>とのコントラバス・デュオなどで知られるベーシスト、<strong>バール・フィリップス</strong>が参加している。いまのジェームスからは、ちょっと想像できない人選である。さらにジェームスは電子音楽の手法を採り入れるにあたり、前衛芸術の作曲家、<strong>ロバート・アシュリー＆ゴードン・ムンマ</strong>のコンビの協力を得ている。ということで本作は、より現代音楽、ことにミュージック・コンクレートに接近したような印象を与える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なおジェームス自身がそのキャリアを振り返った映像作品で、ワーナー・ブラザース・レコードがリリースしたレーザーディスク『<em>フォー・ザ・レコード</em>』(1991年)において、ほんの一部だが当時の<strong>ボブ・ジェームス・トリオ</strong>のパフォーマンスを視覚的に楽しむことができる。1962年のモノクローム・フィルムだが「ジ・インターナル・トライアングル」「ジ・アイランド」といった、アルバム未収録のジェームスのオリジナル・ナンバーを聴くことができる、貴重な映像コンテンツである。このときのトリオは、<strong>ボブ・ジェームス</strong>(p)、<strong>ロン・ブルックス</strong>(b)、<strong>ボブ・ポーザー</strong>(ds)といった『<em>ボールド・コンセプションズ</em>』の顔ぶれだが、３人がいかにライヴ・コンクレートを行っているかが、この映像によって明らかになっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そしてさらに近年、1965年５月10日録音の『<em>エクスプロージョンズ</em>』のセッションの前後に行われたふたつのレコーディングが、レゾナンス・レコードによって掘り起こされた。レゾナンスは、主にジャズの歴史的な未発表音源を発掘しリリースする日本でも人気のレーベル。<strong>ビル・エヴァンス</strong>、<strong>ウェス・モンゴメリー</strong>、<strong>サラ・ヴォーン</strong>といった、ジャズ・ジャイアンツの貴重なスタジオ録音やライヴ音源を見つけ出し、高音質でリリースしたことは記憶に新しい。1965年の１月20日と９月９日に行われたレコーディングは、１枚のアルバム『<em>ワンス・アポン・ア・タイム：ザ・ロスト 1965 ニューヨーク・スタジオ・セッションズ</em>』(2020年)として発表された。音源はレゾナンス・レコードの創始者、<strong>ジョージ・クラビン</strong>が保管していたものだ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">ジャズを基調としたアーバンでポップなインストゥルメンタル作品を発表</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムは２部構成となっており、各々は異なるメンバーのピアノ・トリオによる異なるスタイルのパフォーマンスとなっている。アルバム前半の1965年１月20日のセッションは、<strong>ボブ・ジェームス</strong>(p)、<strong>ラリー・ロックウェル</strong>(b)、<strong>ボブ・ポーザー</strong>(ds)といったメンバーで行われたものだが、ストレート・アヘッドなプレイとアヴァンギャルドなアプローチが交錯する。例によってジェームスのプリペアード・ピアノを含む、ライヴ・コンクレートが展開される。面白いのは、本作のプロデュースを手がけたクラビンが、レコーディングが行われた当時、ESPディスク・レコードの設立者である<strong>バーナード・ストルマン</strong>にこの演奏を聴かせたということ。つまりストルマンは、ここでのセッションに感銘を受けて『<em>エクスプロージョンズ</em>』の制作を決行したのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いっぽうアルバム後半の1965年９月９日のセッションは、<strong>ボブ・ジェームス</strong>(p)、<strong>ビル・ウッド</strong>(b)、<strong>オマー・クレイ</strong>(ds)といったトリオで行われた。こちらのトリオはメインストリームなプレイに終始するが、これはクラビンの提案を受けてのことだという。<strong>ソニー・ロリンズ</strong>の「エアジン」で見せる力強く粒立ちのいい高速パッセージや、<strong>ヴィクター・ハーバート</strong>の「インディアン・サマー」での美しいハーモニーとリリカルなフレージングを目の当たりにすると、あらためてジェームスが優れたジャズ・ピアニストであると、ぼくは確信する。いずれにしても、このアルバムのフレッシュな魅力は、その後のジェームスによるコンテンポラリー・ジャズ作品を愛好するものにも、なにがしかの刺激を与えることは間違いない。未聴なら、ぜひ聴いていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ついでにつけ加えておくと、マルチ・リード奏者の<strong>エリック・ドルフィー</strong>のリーダー作のなかに、ブルーノート・レコードが彼の没後に発売した未発表音源集『<em>アザー・アスペクツ</em>』(1987年)というアルバムがあるのだが、冒頭に収録されている「ジム・クロウ」という曲は1964年３月にミシガン大学で録音された音源である。ところでこの演奏でドルフィーのバックを務めているのが、実は<strong>ボブ・ジェームス</strong>(p)、<strong>ロン・ブルックス</strong>(b)、<strong>ボブ・ポーザー</strong>(ds)といったトリオで、さらにフィーチュア・ヴォーカリストとしてカウンターテナーの<strong>デヴィッド・シュワルツ</strong>が参加している。フリー・ジャズとクラシックとが融合したこのアヴァンギャルドな曲、レコードが発売された当初は不明だったが、のちにジェームスのオリジナル「ア・パーソナル・ステートメント」ということが判明した。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9070 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano2.png" alt="おもちゃのグランドピアノ(赤色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ということで、いまもジャズ/フュージョンあるいはスムース・ジャズ・シーンをリードするアーティストのひとりとして活躍するジェームスの原点について、長々とお伝えしてきた。そこで思うのだが、のちに高い人気を博すことになるジェームスのコンテンポラリー・ジャズ作品の数々が、常にクリエイティヴかつアートオリエンテッドなサウンドをもつのは、そこに既存の枠にとらわれない斬新な試み、前衛的で抽象的な美学、あるいは流行の最先端を超越するようなスタイルの具現化といった、彼の初期の音楽経験が活かされているからだろう。<strong>ボブ・ジェームス</strong>という音楽家は、その出発点からフレッシュな独創性を発揮していたのである。そういう意味で、さきに挙げた３枚のアルバムは、現在も止まることを知らない音楽家の貴重な記録と云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　その後ジェームスは、1970年代の中ごろまで<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>のもとでアレンジャー、キーボーディストとして働いたが、ジョーンズのリーダー作『<em>ウォーキング・イン・スペース</em>』(1969年)のセッションに参加した際に、アルバムのプロデューサーを務めた<strong>クリード・テイラー</strong>に注目された。それを機にジェームスはテイラーが創設したCTIレコードのハウス・アレンジャーとなり、テイラーの目指すジャズのポピュラリゼーションにおいて一翼を担った。特にマテリアルとしてクラシックの楽曲や、同時代のソウル・ミュージックを積極的に採り上げ、オーケストラルなサウンドのインストゥルメンタルに改変するという作業においては、ジェームスのアレンジのセンスのよさが際立った。その点、彼はクロスオーヴァー・サウンドの先陣を切った音楽家のひとりとも云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジェームスはCTIにおいて数多くのアーティストの作品に参加したが、なかでも<strong>エリック・ゲイル</strong>(g)、<strong>ガボール・ザボ</strong>(g)、<strong>ヒューバート・ロウズ</strong>(fl)、<strong>グローヴァー・ワシントン・ジュニア</strong>(ss, as, ts)、<strong>ハンク・クロフォード</strong>(as)などのリーダー作は、彼のブリリアントでゴージャスなオーケストレーションの恩恵にあずかったと云える。ただジェームスは、1973年からCTIに籍を置いたまま、すでにコロムビア・レコードにおいてプロデューサーとして働いていた。彼は1977年、CTIにおける最後のリーダー作『<em>BJ4</em>』(1977年)をリリースすると、ときを移さずコロムビア傘下でタッパン・ジー・レコードを設立。そしてタッパン・ジー時代のジェームスは、“ミスター・ニューヨーク”という異名をとることになる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジェームスのタッパン・ジーにおける最初のリーダー作『<em>ヘッズ</em>』(1977年)は、CTI時代の作品とはまったく趣きの異なる作風に仕上がっている。サウンドの質感ひとつとってみても、レコーディング・エンジニアがジャズの分野を中心に活躍した<strong>ルディー・ヴァン・ゲルダー</strong>から<strong>フィル・ラモーン</strong>の薫陶を受けた<strong>ジョー・ジョーゲンセン</strong>へバトンタッチされたことから、まるで違う印象を与える。なお『<em>ヘッズ</em>』はビルボード誌のジャズ・アルバム・チャートで堂々の第１位を獲得したが、それを機にジェームスはあたかも水を得た魚のごとく、次々にジャズを基調としながらもアーバンでポップなインストゥルメンタル作品を発表していく。しかもアルバムごとに異なるコンセプトが採用されていて、当時のぼくはいつも、彼の新作がリリースされるのを楽しみにしていたものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　タッパン・ジーにおけるジェームスのリーダー作では、自己のレーベルからのリリースということもあり、どれも最新のアイディアとアプローチが遺憾なく縦横無尽に発揮されている。彼がプロデューサーとしてスゴいのは、コマーシャルな方向性をもった楽曲でも、ただビジネスライクに処理するのではなく、常にアートオリエンテッドな音楽に仕上げてしまうところ。そういうマナーは、若き日のジェームスが得た現代音楽的要素をともなったアヴァンギャルドな着想と、あながち無関係とは云いきれないように思われる。もっとも制約を受けることなく制作されたであろうタッパン・ジー作品は、どれもいまもって色褪せて見えることはないし、むしろあらためて知的な面白さを感じさせる。そういう意味でもこのころは、BJサウンドの黄金時代と云えるのではなかろうか。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんななか、ジェームスが従来のスタイルから大きく飛躍した作品といえば、一般的にあまり評価は高くないが『<em>サイン・オブ・ザ・タイムス</em>』(1981年)というアルバムだろう。ジェームスはこのレコーディングの半分のトラックにおいて、イングランド出身のキーボーディスト、<strong>ロッド・テンパートン</strong>をフィーチュアしている。テンパートンは多国籍ファンク・バンドの<strong>ヒートウェイヴ</strong>のメンバーだが、当時<strong>クインシー・ジョーンズ</strong>のお抱えソングライターとして注目を集めていた。ジェームスはテンパートンに、全６曲中３曲においてソングライティングとアレンジ(リズム・トラック、シンセサイザー、ヴォーカル、一部のブラス)のイニシアティヴを譲っている。すなわち、ここでのジェームスは、テンパートンのプロジェクトのなかでプレイしているのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">コンテンポラリー・ジャズというコトバでは収まり切らない音楽性</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　結果的にそこに出来した音景は、それまでのBJサウンドには観られなかったポップでライトなファンク感に富んだものとなった。こういう取り組みは、ジェームスがタッパン・ジー・レコードを閉鎖し、1985年にワーナー・ブラザース・レコードに移籍したあとに制作した作品にも散見される。ワーナー・ブラザースにおける最初のソロ名義のアルバム『<em>オブセッション</em>』(1986年)では、コンポーザーでシンセサイザー・プログラマーの<strong>マイケル・コリーナ</strong>と、レコーディング・エンジニアの<strong>レイ・バルダニ</strong>にプロデュース業務のほとんどが委託されている。シンセサイザーが駆使されたオーケストレーションが、アブストラクトかつポップなサウンドを生み出したが、コンテンポラリー・ジャズに収まり切らない独創的なインストゥルメンタル・ミュージックとして、いまも新鮮に響く。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　さらに『<em>モーニング・ヌーン＆ナイト</em>』(2002年)においてジェームスは、スクラッチやビート・ジャグリングのテクニックに定評のあるターンテーブリスト、<strong>ロブ・スウィフト</strong>を起用し、ヒップホップ・サウンドを背景に自らのピアノ・インプロヴィゼーションとDJプレイとを交錯させてみせた。またこのセッションでは、CTI時代のジェームスのリーダー作『<em>はげ山の一夜</em>』(1974年)に収録されている「フィール・ライク・メイキング・ラヴ」がサンプリングされているのだが、ファンの知的好奇心を刺激するような趣向である。そしてジェームスのヒップホップ・ミュージックへの関心は尽きることなく、近年も彼はアルバム『<em>ジャズ・ハンズ</em>』(2023年)の収録曲「モップヘッド」において、ブレイクビーツをベースに古典的な和声を絡ませながら、エレクトリック・ピアノでブルージーなソロを披露した。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　またこのアルバムには、トランス・フォーマー・スクラッチを生み出したことで知られるターンテーブリスト、<strong>DJ・ジャジー・ジェフ</strong>が大胆にフィーチュアされたトラックもある。UKブロークン・ビートの立役者、<strong>カイディ・テイタム</strong>による弾力感に富んだシンセ・ベースも印象的だ。このコンビがSNSや口コミを通じてヒットした<strong>星野源</strong>の「喜劇」をリミックスしたことは、記憶に新しい。リミックス・ヴァージョンが配信されたのは、2022年の初夏のことだ。ところでジェームスは、ふたりが作り出すループとサウンドにフェンダー・ローズで応戦。気持ちよさげに、ファンキーなフレーズを繰り出している。具体的には「ザット・バップ」という曲だが、ダンスフロアを席巻するようなグルーヴ感に満ちたナンバーに仕上がっている。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-9071 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano3.png" alt="おもちゃのグランドピアノ(青色)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/smoothpiano3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　加えてぼくが近年、もっとも驚かされたジェームスのアルバムというと、前作に当たる『<em>2080</em>』(2022年)である。ジェームスと自分の孫くらい若い、DJでエレクトロニック・アーティスト、<strong>サム・フランツ</strong>とによるコラボレーション作品だ。このアルバムは、これまでのジェームスのどの作品とも違う音風景を呈していた。彼のミュージカリティとヒップホップ、エレクトロニカ、サンプリング・テクニックとが見事に融合し、きわめてモダンでシネマティックなムードが醸し出されている。それは、エキサイティングでありながらロマンティックで、ときにはアヴァンギャルドな一面すらのぞかせる。ジャズ/フュージョンという言語に依存することなく、自由自在にイノヴェイティヴな音楽を創造してしまうところが、いかにもジェームスらしい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　以上、長々とジェームスのコンテンポラリー・ジャズというコトバでは収まり切らない音楽性についてお伝えしてきたが、そんな彼の音楽作品も1990年代から、おしなべて当時ジャンル名として確立されたスムース・ジャズにカテゴライズされるようになっていた。実際はそのサウンドが、決してイージー・リスニング、ミドル・オブ・ザ・ロードの現在進行形ではないというのは、云うまでもないことである。ではジェームスのリーダー作のなかにスムース・ジャズと呼ぶに相応しい作品が皆無かというと、実は意図的にスムース・ジャズのフォーマットで制作された、聴き心地のよさに特化したアルバムが１枚ある。それはワーナー・ブラザース・レコードからリリースされた『<em>ジョイ・ライド</em>』(1999年)というアルバムだ。では最後に、この作品についてお伝えしよう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　このアルバムの興味深い点は、なんといってもプロデューサーとしても卓越した才能をもつジェームスが、全編プロデュースにおいて他者に下駄を預けているということ。それでもジェームスによるピアノとフェンダー・ローズが確たる存在感を放っているのだから、あらためて彼がオンリーワンの音楽家であると感じられるし、敢えてセルフプロデュースというスタイルを選択しなかったということも、スムース・ジャズという分野への積極的な挑戦と受けとられる。その内訳といえば、まずのちに<strong>フォープレイ</strong>のメンバーとしてジェームスの僚友となるギタリスト、<strong>チャック・ローブ</strong>がプロデュースした２曲。アーバン・ナイトを演出するような①「テイク・ミー・ゼア」では、ピアノに<strong>キム・ウォーターズ</strong>のカーヴド・ソプラノが美しく絡む。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　かたや④「スウィングセット」では、ゆったりシャッフルするリズムに乗ってピアノ、そしてローブのギターがメロウなソロを展開する。人気サクソフォニスト、<strong>ボニー・ジェームス</strong>を世に送り出した、名プロデューサー兼ギタリスト、<strong>ポール・ブラウン</strong>が手がけたのは３曲。②「レイズ・ザ・ルーフ」では、ピアノによるシンコペーションを効かせたグルーヴが心地いい。ボニーのテナーもフィーチュアされる。③「イッツ・オールライト」では、<strong>ノーマン・ブラウン</strong>によるギターとピアノとが共鳴するチルアウト・サウンドにリラックスさせられる。⑥「ホワッツ・アップ」では、スムース・ジャズの申し子のようなキーボーディスト、<strong>ブライアン・カルバートソン</strong>によるサウンド・メイキングが洒脱。ローズのソロが軽妙だ。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ジェームスのバンド・メンバーだったサクソフォニスト兼フルーティスト、<strong>デイヴ・マクマレイ</strong>が手がけたのは２曲。⑧「ファースト・タイム」では、ソウル、ファンク、そしてヒップホップのエッセンスがミックスされて、ポップでややノスタルジックな空気が醸し出されている。⑩「スウィート・トーク・ミー・ナウ」では、スローテンポで、アトランタを拠点に活動する女性ラッパー、<strong>ラシーダ</strong>のソウルフルなヴォーカルがフィーチュアされる。ドラマーの<strong>ハーヴィー・メイソン</strong>の息子、<strong>ハーヴィー・メイソン・ジュニア</strong>がプロデュースした⑦「フライ・バイ」では、<strong>フォープレイ</strong>のメンバーが中心となってダイナミックなプレイを展開。アルバム中もっとも気宇壮大なナンバーだ。<strong>マーセル・イースト</strong>のプロデュース作⑨「ストローリン」では、<strong>クリス・ボッティ</strong>のミュート・トランペットがクール。兄のネイザンもベースで参加している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　残りの３曲では、前述した<strong>マイケル・コリーナ</strong>がプロデューサーを務めている。唯一ジェームスが作曲した⑤「ジョイ・ライド」では、当然のことながらもっともジェームスらしい爽やかで軽快なピアノを聴くことができる。盟友の<strong>リー・リトナー</strong>も精悍なギター・プレイを披露している。⑪「トレイド・ウィンズ」では、オリエンタルなメロディック・ラインとブラジリアン・グルーヴが見事に融合。ピアノ、そして<strong>ジョナサン・バトラー</strong>によるギター＆スキャットが空間的な爽快感を生んでいる。⑫「ビッソ・ババ」では、<strong>リチャード・ボナ</strong>のベースとヴォーカルが圧倒的で、西アフリカ特有の弾力感と躍動感とが交錯するリズムがなんとも魅力的だ。ということで本作は、ジェームスのアルバムでは、もっとも肩の力を抜いて聴くべきもの。しかしそれはさきに述べたように、クリエイティヴかつアートオリエンテッドなサウンドを志向するジェームスだからこそものすることができた、上質のスムース・ジャズ作品なのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"Joy Ride","b":"Warner Bros. Records","t":"Bob James","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/51yYEbDjDEL._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B01K8QKAKU","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B01K8QKAKU","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/Joy%20Ride\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=Joy%20Ride","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"Ye37n","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-Ye37n">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/bob-james-joy-ride/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
		<item>
		<title>David Benoit / Heavier Than Yesterday (1977年)</title>
		<link>https://kimama-music.com/david-benoit-heavier-than-yesterday/?utm_source=rss&#038;utm_medium=rss&#038;utm_campaign=david-benoit-heavier-than-yesterday</link>
					<comments>https://kimama-music.com/david-benoit-heavier-than-yesterday/#respond</comments>
		
		<dc:creator><![CDATA[kimama]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 05 Apr 2026 07:45:08 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[Fusion]]></category>
		<category><![CDATA[David Benoit]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://kimama-music.com/?p=8967</guid>

					<description><![CDATA[ジャズ/フュージョンにおける従来の表現形式や素材、あるいは概念に縛られず、積極的に新たなアプローチが試みられたデヴィッド・ベノワのデビュー・アルバム『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<h2><span id="toc1">ジャズ/フュージョンにおける従来の表現形式や素材、あるいは概念に縛られず、積極的に新たなアプローチが試みられたデヴィッド・ベノワのデビュー・アルバム『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』</span></h2>

<div class="wp-block-cocoon-blocks-label-box-1 label-box block-box has-border-color has-ex-a-border-color">
<div class="label-box-label block-box-label box-label"><span class="label-box-label-text block-box-label-text box-label-text">recommendation</span></div>
<div class="label-box-content block-box-content box-content">
<p class="wp-block-paragraph"><img loading="lazy" decoding="async" class="wp-image-703 alignleft" style="margin-bottom: 0px;" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png" alt="" width="101" height="92" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-500x456.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records-300x274.png 300w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2023/02/records.png 640w" sizes="(max-width: 101px) 100vw, 101px" /><em>Album : David Benoit / Heavier Than Yesterday(1977)</em></p>
<p style="text-align: right;"><em>Today&#8217;s Tune : I Wish Right Now Would Never End</em></p>
</div>
</div>

  <div id="toc" class="toc tnt-disc toc-center tnt-disc border-element"><input type="checkbox" class="toc-checkbox" id="toc-checkbox-20" checked><label class="toc-title" for="toc-checkbox-20">目次</label>
    <div class="toc-content">
    <ol class="toc-list open"><li><a href="#toc1" tabindex="0">ジャズ/フュージョンにおける従来の表現形式や素材、あるいは概念に縛られず、積極的に新たなアプローチが試みられたデヴィッド・ベノワのデビュー・アルバム『ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ』</a><ol><li><a href="#toc2" tabindex="0">日本では音楽界に颯爽と現れたピアニストの新星というような扱いをされた</a></li><li><a href="#toc3" tabindex="0">AVIレコードとアーティスト契約を結びリーダー・アルバムを制作</a></li><li><a href="#toc4" tabindex="0">ベノワの熱意や挑戦が感じられる作品群、その嚆矢となるアルバム</a></li></ol></li></ol>
    </div>
  </div>

<h3><span id="toc2">日本では音楽界に颯爽と現れたピアニストの新星というような扱いをされた</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>デヴィッド・ベノワ</strong>といえば、ジャズ/フュージョン系のピアニスト、コンポーザー、音楽プロデューサーとしては、もはや重鎮と云える。近年、その外見からずいぶんとお年を召されたなと思っていたら、1953年８月18日生まれというから彼ももう72歳になっていたのだった。ほんとうに月日が経つのは、早いものである。思えば、ベノワの日本でのデビュー・アルバム『<em>サマー</em>』(1986年)がリリースされてから、ちょうど40年ものときが流れていた。あのころのベノワといえば、日本では音楽界に颯爽と現れたピアニストの新星というような扱いをされたもの。ルックス的にも、30代とはいえまだ可愛らしい顔をしていた。なお『<em>サマー</em>』は、日本のキングレコード傘下のフュージョン系レーベル、エレクトリック・バードのプロジェクト作品だった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　近年のベノワといえば、スタインウェイ・アンド・サンズ・レーベルから『<em>スタインウェイ・アフター・ダーク</em>』(2025年)というアルバムをリリースしたことが記憶に新しい。2024年11月13日、カリフォルニア州ロサンゼルスにおいて吹き込まれたソロ・ピアノ集である。ベノワ自身のオリジナル・ナンバーや彼が長年敬愛しつづけている<strong>ヴィンス・ガラルディ</strong>の曲をはじめ、ジャズ・スタンダーズ、映画主題歌などを寛いだテイストと美しいタッチとで聴かせる、珠玉のバラード・アルバムだ。長年の音楽生活において得た経験と実力に基づいた威厳や風格はともかく、このレコーディングのときベノワは70歳を超えていたのだが、それをまったく感じさせないピアノ・サウンドの、あたかも採れたての果実のような瑞々しさに驚かされた。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんないまも健在なベノワにちょっと嬉しくなったりもするのだが、若き日のプレイに観られた鋭角的なテクニック、リズミックなエナジー、そして未完成ながらも独自の解釈を模索するパッションなどは、さすがにいまは鳴りをひそめている。そんなベノワはぼくにとってさきに挙げた『<em>サマー</em>』が発売される以前から、その作品の日本国内発売を切望していたアーティストのひとりだった。当時の彼は、前述のように日本ではニューフェイスのような扱いをされたが、実はそのときの年齢は32歳で、すでに音楽家としてのキャリアをかなり積んでいた。具体的には、ベノワは13歳からピアノを弾きはじめ、18歳からはすでにプロのミュージシャンとして仕事をしていたのである。いずれにしても、ぼくは早い段階から彼の音楽に親しんでいた。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8979 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano1.png" alt="パステルカラーのグランドピアノ(パステルカラーのグランドピアノ(ライトグリーン)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano1.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano1-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　この『<em>サマー</em>』が発売された年のことだが、こんなこぼれ話がある。おそらくこの出来事を記憶に留めているひとはあまりいないだろうから、ここにご紹介しておく。その年のある日、ぼくが見るともなしに見ていたテレビから、聴き覚えのある曲が流れてきた。画面には当時の人気フリーアナウンサー、<strong>楠田枝里子</strong>が映っている──。それは、花王のヘアケア商品「エッセンシャル」のCMだった。問題はその背景で鳴っているインストゥルメンタルだが、アコースティック・ピアノによって奏でられ、清涼感に溢れながらもちょっと愁いを含んだメロディック・ラインが印象的な「ステージズ」という曲だった。ほかでもない、リリースされたばかりの『<em>サマー</em>』に収録されていたトラックである。このときぼくは密かに、いよいよベノワ・サウンドも本格的に日本上陸かと嬉しく思ったもの。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　それと同時に、まさかベノワの曲が日本のテレビCMで使われるなんて思いもよらなかったので、ぼくはちょっとした衝撃も受けた。それは正確に云えば、驚きを感じるというよりは、ある種の爽快感を覚えるような出来事だった。なにしろ、それまで輸入盤でしか聴けなかったベノワの音楽が、日本の企画で気軽に楽しめるようになったばかりでなく、ときを移さずCMソングとしてお茶の間に届けられたのだから──。いま思い返せば、こんなこともまた時代を映し出す鏡のようなものと捉えられる。当時の日本の音楽業界、それに消費者のキャパシティは、いまと比較すると圧倒的に甚大だったのだろう。当時の日本はバブル景気の時代にあり、音楽に関してもまさにバブルだったと云える。なにしろ当時の音楽のトレンドといえば、ジャンルにおいては非常に幅が広かったのだから──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんな状況にあったからか以降、日本でのベノワの人気は急上昇した。さらにつけ加えるとそれより少しまえになるが、ベノワの７枚目のリーダー作『<em>ディス・サイド・アップ</em>』(1985年)が輸入盤を扱うショップを賑わせていた。ぼくもすかさずこのレコードを入手したのだが、それから間もなく収録曲の「ライナス・アンド・ルーシー」と「ビーチ・トレイル」がそれぞれ、ニッポン放送のラジオ番組『斉藤由貴 ネコの手も借りたい』(1986年４月19日 &#8211; 1995年４月９日)のOPとEDで使用され、さらに本盤の人気に拍車がかかった。アメリカはテキサス州オースティンのマイナー・レーベル、スピンドルトップ・レコードからリリースされたこのアルバムは、モノクロームの地味なジャケットとはウラハラに、中身のほうはメジャー・レーベルの作品にまったく引けをとらない贅沢で華やかな出来栄えだった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ちなみに、このスピンドルトップ・レコードは、当時はまだ無名だったスムース・ジャズ・シーンの雄、サクソフォニストの<strong>ボニー・ジェームス</strong>を『<em>トラスト</em>』(1992年)でアルバム・デビューさせたレーベルでもある。ベノワとの関係が深いキーボーディスト、<strong>ビル・マイヤーズ</strong>や、当時ベノワのバンド・メンバーでもあったサックス＆フルート奏者、<strong>サム・ライニー</strong>のリーダー作も何枚かリリースしている。爽やかなウエストコースト・サウンド作品や、洗練されたコンテンポラリー・ジャズ・アルバムを世に送り出すレーベルとして、音楽通のあいだでは早くから注目を集めていた。なおこのレーベルで多くの作品を手がけたグラミー賞受賞経験のあるプロデューサー、<strong>ジェフリー・ウェーバー</strong>は『<em>ディス・サイド・アップ</em>』以降のベノワ作品にも大きく関わっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ときにこの『<em>ディス・サイド・アップ</em>』だが、西海岸の名うてのミュージシャンにストリングスが加えられた豪華な編成も然ることながら、<strong>チャールズ M. シュルツ</strong>のアニメ『ピーナッツ』の音楽、ブレイク直前の<strong>ダイアン・リーヴス</strong>をフィーチュアしたヴォーカル・ナンバー、<strong>ビル・エヴァンス</strong>のカヴァーなど、ベノワの音楽を形成するファクターが渾然一体となったサウンドスケープが、とにかく魅力的だった。それまでのフュージョンといえば、どちらかといえばジャジーでファンキーなサウンドが主流だったが、彼のアコースティック・ピアノを中心に据えた音の景観は、とにかく明るく透明感に溢れている。メロディ、ハーモニー、リズムと、どこをとっても明快で、その点ではのちのスムース・ジャズの源流となるサウンドと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ぼくがベノワの名前をはじめて知ったのは、この『<em>ディス・サイド・アップ</em>』を手にしたときよりもおよそ10年ほどまえで、<strong>ウェザー・リポート</strong>の初代ドラマー、<strong>アルフォンス・ムザーン</strong>の４枚目のリーダー作『<em>ザ・マン・インコグニート</em>』(1976年)でのこと。ぼくがこのポップでダンサブルなブルーノート盤を手にしたのは、自分の敬愛する<strong>デイヴ・グルーシン</strong>がお目当てだったから。そしてグルーシンとともに、曲によってアコースティック・ピアノとエレクトリック・ピアノを仲良く交代しながら弾いていたのが、誰あろうベノワだったのである。ちょうどこのころ、ベノワは女優でシンガーの<strong>レイニー・カザン</strong>のミュージカル・ディレクター兼コンダクターを務めていたのだが、おそらくそれが彼にとってショー・ビジネスのキャリアとしては第一歩だったのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc3">AVIレコードとアーティスト契約を結びリーダー・アルバムを制作</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ベノワはカリフォルニア州のベーカーズフィールドに生まれ、前述のように13歳のときからピアノを弾きはじめた。ファンキーなジャズ・ピアニスト、<strong>ラムゼイ・ルイス</strong>のジャズ・ロックの名盤『<em>ジ・イン・クラウド</em>』(1965年)を聴いて感銘を受け、音楽家への道を志すようになったという。高校時代はもっぱらピアノのレッスンに打ち込み、ロサンゼルスのエル・カミノ・カレッジにおいて音楽理論と作曲を専攻し、さらにカリフォルニア大学ロサンゼルス校で映画音楽の作曲や指揮法を学んでいる。そしてその間、18歳の誕生日のことだが、ベノワはトレンド・ビーチの桟橋の近くにあったポリネシアン・ルームという店ではじめてステージに立った。その１年後に彼は、ジャズ・ピアニストの<strong>ドン・ランディ</strong>が経営する、ロサンゼルスの名門クラブ、ベイクド・ポテトにも出演するようになった。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　そんなベノワのピアノのテクニックといえば、フレージングやレンディションの選択に実に細やかな配慮がなされている。彼が敬愛する<strong>ビル・エヴァンス</strong>とスタイルこそ違うが、一音一音を丁寧に紡いでいくような真摯なスタンスには、同種のジャズ・スピリッツが感じられる。その点は『<em>ディス・サイド・アップ</em>』を聴いただけでも、よくわかる。そんな確固たる実力に早くから注目していたのが、当時、青山にあったミュージック・カフェ「Paul’s Bar」のオーナーで、ベイクド・ポテト・レーベルのエグゼクティヴ・プロデューサーも務めた<strong>ポール森田</strong>と、音楽雑誌「ADLIB」(2010年に休刊)の編集長、<strong>松下佳男</strong>だった。ふたりがそれぞれ、エグゼクティヴ・プロデューサー、スーパーヴァイザーとして尽力し、完成させたアルバムがまさに『<em>サマー</em>』だったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　実はこの『<em>サマー</em>』の収録曲、上記のふたりとエレクトリック・バードのプロデューサー、<strong>川島重行</strong>によって、ベノワの過去のアルバムからチョイスされたものだった。むろん本作はコンピレーション・アルバムではなく、全曲ハリウッドのオーシャン・ウェイ・レコーディングで新たに吹き込まれた、オリジナル・アルバムだ。レコーディングでは、<strong>ボブ・フェルドマン</strong>(b)、<strong>トニー・モラレス</strong>(ds)、<strong>サム・ライニー</strong>(sax)といった、当時のベノワのグループのレギュラー・メンバーが中心となり『<em>ディス・サイド・アップ</em>』にも参加した<strong>ロサンゼルス・モダン・ストリング・オーケストラ</strong>がサポートを務めた。特筆すべきは、本作が２トラック・デジタル・レコーディング方式で吹き込まれたということ。つまり本作は、ある種のスタジオ・ライヴ盤なのである。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8980 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano2.png" alt="パステルカラーのグランドピアノ(パステルカラーのグランドピアノ(ピンク)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano2.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano2-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　当然のことながら、ミキシングもオーヴァーダビングもないので、通常の録音よりも演奏に躍動感と臨場感が増している。そのせいか本作では、ベノワの旧作のリメイクという体裁がとられていながらも、どのトラックもオリジナルよりサウンドにエッジが効いていて新鮮な印象を与える。ベノワにとっては慣れた曲ということもあり演奏は極めて安定しており、アレンジも細かい修正が施されていて楽曲の完成度はぐんと上がっている。それはともかく、このアルバムに収められている９曲は、ベノワが『<em>ディス・サイド・アップ</em>』を発表する以前に所属していたロサンゼルスのマイナー・レーベル、AVIレコードからリリースされた彼のリーダー作からセレクトされたものだ。実を云うと、ぼくはのちにGRPレコードと契約してスターダムにのし上がったベノワよりも、AVI時代の彼が好きだったりする。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　AVIレコードは、1968年にアメリカン・ヴァラエティ・インターナショナル傘下で設立され、1977年からは自社配給が開始されたインディペンデント・レーベルだ。初期は派手なコスチュームで大衆の人気を博したピアニスト、エンターテイナーの<strong>リベラーチェ</strong>の、クラシックとポップスとを融合したような作品をリリースしたりしていたが、1970年代の半ばからはエレクトロニック・ディスコのソングライティング・デュオ、<strong>エル・ココ</strong>の数々のアルバムを制作して成功を収めた。このデュオのサウンドにはジャズからの影響が感じられるのだけれど、そのせいかAVIレコード自体もジャズ・ミュージシャンに興味を持ったようで、その後カナダ出身のサクソフォニスト兼フルーティストの<strong>ダグ・リチャードソン</strong>と契約している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　<strong>ダグ・リチャードソン</strong>のアルバム『<em>ナイト・トーク</em>』(1977年)は、いまもクラブ世代から支持される名盤だが、実はこのアルバムにベノワがキーボーディストとして全面的に参加している。DJたちの間ではフロア・ボムとなっている「サルサ・ママ」という曲で、キャッチーなラテン・タッチのピアノを弾いているのは、ほかでもないベノワなのである。当時ベノワは、リチャードソンとともにクラブでギグを行ったりしていたのだが、AVIレコードが<strong>デイヴ・グルーシン</strong>と<strong>ビル・エヴァンス</strong>とをかけ合わせたようなピアニストを探していたことから、リチャードソンによってレコード会社のプロデューサーたちに推薦されたのだった。そして彼は、リチャードソンのレコーディングを訪れたAVIの社長、<strong>レイ・ハリス</strong>のお眼鏡に適ったのである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　AVIレコードとアーティスト契約を結んだベノワは、ときを移さずリーダー・アルバムの制作にとりかかる。ベノワが最初に吹き込んだトラックは「ライフ・イズ・ライク・ア・サンバ」という彼のオリジナル・ナンバーだったが、この曲はのちに2000年代のブラジリアン・ジャズ・グルーヴの再評価の流れのなかで、クラブ・シーンで注目を集めた。軽快なサンバ・リズムに、エレガントなアコースティック・ピアノのフレーズが重なるという、ソフィスティケーテッドなサウンドは、DJによってラテン・ジャズ・クラシックスとしてミックスされたり、ヌー・ジャズ系あるいはブロークンビート系のアーティストによってサンプリング・ソースとして使用されたりしたのである。その点ではこの曲、ベノワの最初期の代表曲と云ってもいいだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　当然のごとく「ライフ・イズ・ライク・ア・サンバ」は、前述の『<em>サマー</em>』でも採り上げられた。ただ個人的には、この曲に関してはオリジナル・ヴァージョンのほうが断然いいと思う。このトラックは、さながらエクスクイジット・タッチとでも云いたくなるような美しいアコースティック・ピアノ、グルーヴィーなエレクトリック・ベース、よくドライヴするブラシを使ったドラムス、そしてアップビートなパーカッションといった、どちらかというとシンプルな編成で軽快さが際立っている。興味深いことに、この演奏のプレイバックを聴きながら、プロデューサーの<strong>マイケル・ルイス</strong>と<strong>ローリン・リンダー</strong>はベノワ対して、残りのトラックにおいてシンセサイザーの大規模な導入と、アレンジによりアグレッシヴネスを加味することを要求したのだという。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　スタジオに戻ったベノワは、見事にプロデューサーの意向を汲みアルバムを完成させる。まあ、ルイスとリンダーとは、AVIレコードで流行りのエレクトロニックなディスコ・サウンドを世に送り出していたクリエイティヴ・ユニットだから、シンセサイザー志向のトラックをリクエストするのも当然のことだろう。ところが面白いことに、西海岸のラジオ・ステーションで実際にパワープレイとなったのは、プロデューサーの目論見に反して、シンセドリヴンなナンバーではなくリズム・セクションにストリング・オーケストラが加わったメロディックなコンポジションだったという。ベノワ本人が証言していることだが、この出来事がその後の彼のサウンドの方向性を定めるキッカケになったのだという。そしてそれこそが、さきに述べたスムース・ジャズの源流となるものである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<h3><span id="toc4">ベノワの熱意や挑戦が感じられる作品群、その嚆矢となるアルバム</span></h3>
<p>&nbsp;</p>
<p>　いずれにしても、このレコーディングは、親しみやすいメロディと洗練されたグルーヴを特徴とするサウンドで、のちにスムース・ジャズ・シーンで確固たる地位を築くことになるベノワの出発点。このときの吹き込みは、アルバム『<em>ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ</em>』(1977年)としてリリースされた。その後もベノワはAVIレコードにおいて『<em>キャン・ユー・イマジン</em>』(1980年)『<em>ステージズ</em>』(1982年)『<em>ディジッツ</em>』(1983年)『<em>クリスマスタイム</em>』(1983年)『<em>ウェイヴズ・オブ・レイヴズ</em>』(1984年)を制作、デビュー作も含めると計６枚のリーダー・アルバムを発表した。これらはすべて、海外盤のみだがCD化済みとなっている。しかしながら、どれもアナログ盤とともに、現在ではなかなか入手が困難らしい。もしショップで見かけたら、迷うことなく手にとっていただきたい。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　比較的入手しやすいのは、ヒップ・オー・レコードからリリースされた『<em>アーティスツ・チョイス</em>』(1998年)というCDで、本盤は日本国内でも発売された。AVIレコードにおいて吹き込まれた音源のなかから、ベノワ自身がチョイスした14トラックで構成されたベスト・アルバムである。本盤を聴いただけでも、AVI時代のベノワがいかに自己投影的かつ意欲的に音楽制作に取り組んでいたかがわかるし、前述の『<em>サマー</em>』と７曲共通するその楽曲の素晴らしさを、あらためて知ることもできる。また、ライノ・レコードから『<em>ロスト・アンド・ファウンド</em>』(1994年)というCDがリリースされているが、こちらは<strong>ダグ・リチャードソン</strong>のレコーディングを含む、AVI時代の未発表音源がまとめられたコンピレーション・アルバム。ベノワの初期の音楽性が、より深掘りされた１枚である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　なお、最後にリリースされた『<em>ウェイヴズ・オブ・レイヴズ</em>』は、既発の作品に収録されていた８曲と新たに録音された１曲がコンパイルされたベスト・アルバムである。新録の「アイ・オブ・ザ・タイガー」は、<strong>シルヴェスター・スタローン</strong>が監督、脚本、主演の３役を務めた映画『ロッキー３』(1982年)の主題歌のカヴァー。原曲はスタローン自身の依頼で制作された、ロック・バンド、<strong>サバイバー</strong>のビルボード誌のチャートにおいて６週連続１位を記録した大ヒット曲だ。ベノワはこの有名な曲に、まったく異なるグルーヴのアレンジを施している。アコースティック・ピアノが主軸に据えられたインストゥルメンタルだが、アドリブ・パートではフェンダー・ローズへのもち替え、後半では４ビートへのスウィッチとハードなピアノ・プレイとが際立つ。</p>
<p><img loading="lazy" decoding="async" class="aligncenter wp-image-8981 size-full" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano3.png" alt="パステルカラーのグランドピアノ(パステルカラーのグランドピアノ(ブルー)" width="500" height="300" srcset="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano3.png 500w, https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2026/04/pastelpiano3-300x180.png 300w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>　ベノワのアレンジのマナーといえば、のちにGRPレコードにおける数々の作品において本領が発揮されるわけだが、この「アイ・オブ・ザ・タイガー」などを聴くと、すでにそのポテンシャルの高さが感じられる。もはやどこを切ってもベノワ・サウンド一色のクオリティの高いカヴァーとなっているので、機会があればぜひ聴いていただきたい。また、あわせて補足させていただくが、AVIレコードにおけるベノワの６枚のアルバムのうち『<em>ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ</em>』と『<em>ディジッツ</em>』は、レコードとCDとではジャケットが異なる。前者では浜辺を歩くベノワの写真が顔写真(実は『<em>ディジッツ</em>』で使用されたもの)に、後者では手のアップ写真から手のイラストレーション・デザインに差し替えられている。CD化は1990年のことだが、おそらく時代に即したリパッケージングなのだろう。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　AVIレコードからリリースされたベノワのリーダー作は、ある程度自由な制作が制限されたであろうメジャー・レーベル時代のアルバムとは違い、どれも彼の熱意や挑戦が感じられる作品ばかりである。個人的な好みでは、ジャズ/フュージョンにおける従来の表現形式や素材、あるいは概念に縛られず、積極的に新たなアプローチが試みられた『<em>ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ</em>』と、ベノワ本人が認めているように、ピアニスト、コンポーザー、アレンジャー、そしてプロデューサーといった、彼の音楽性が全面的に浮き彫りになった『<em>ステージズ</em>』が好きだ。のちにベノワは『<em>ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ</em>』におけるシンセサイザー・サウンドを振り返って、非常に時代遅れとセルフレヴューしているが、いまではむしろヴィンテージというひとつの完成されたブランドと捉えてもいいのでは──。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　ということで長々と語ってきたが、最後にベノワの記念すべきデビュー・アルバム『<em>ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ</em>』について、具体的にお伝えしようと思う。レコーディング・メンバーは、<strong>デヴィッド・ベノワ</strong>(key)、<strong>マイク・ミラー</strong>(g)、<strong>デヴィッド・ウィリアムス</strong>(b)、<strong>ゲイリー・ファーガソン</strong>(ds)、<strong>ローリン・リンダー</strong>(perc, vo)、<strong>ヘクター・アンドラーデ</strong>(perc)、<strong>デヴィッド・シャー</strong>(ob, fl)、<strong>マイケル・ルイス</strong>(synth prog)、<strong>ジェリ・ボッキーノ</strong>(vo)。さらに８名からなるストリング・セクション(vln ×4, Vla ×2, Vc ×2)が加わるが、アレンジと指揮はベノワ自身が手がけている。楽曲はすべてベノワのオリジナルだが、ヴォーカルが入る２曲では<strong>ビル・ラヴィング</strong>というひとが作詞を担当している。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムの冒頭を飾る「ヘヴィアー・ザン・イエスタデイ」は、シンセサイザーがテーマを奏でるグルーヴィーなナンバー。途中サンバ調になったりテンポ・チェンジされたりするところはいかにもベノワ・サウンドらしいのだが、ファンキーなリズム・フィギュアは初期の楽曲ならでは。ピアノやフェンダー・ローズも使用されているが、アドリブ・パートではハモンド・オルガンが使用されている。これもまたレア。２曲目の「アイ・ウィッシュ・ライト・ナウ・ウッド・ネヴァー・エンド」は、爽やかなメロウ・ソウル。ベノワの楽曲としては非常に稀なスタイルだが、個人的には好きな曲。リード・ヴォーカルをとるボッキーノは、名音楽プロデューサー、<strong>フィル・スペクター</strong>の秘蔵っ子。ウィスパー・ヴォイスとスキャットがキュートだ。いっぽうベノワは、ここでもオルガンでソロをとっている。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　３曲目の「96-132」では、ベノワによるフェンダー・ローズとシンセサイザーとがダイナミックなソロを展開。ミステリアスなムードとファンキー・タッチは<strong>デイヴ・グルーシン</strong>の名曲「モダージ」を彷彿させる。グルーシンは、<strong>ハーヴィー・メイソン</strong>のデビュー・アルバム『<em>マーチング・イン・ザ・ストリート</em>』(1976年)でこの曲をはじめて披露しているから、ベノワはすぐに影響を受けたのだろう。ただベノワの曲は途中から高速サンバに変化する。A面最後の「ゲッティング・アウトサイド」は、<strong>レナード・バーンスタイン</strong>のブロードウェイ・ナンバーを連想させるクラシカルかつアコースティックなナンバー。ベノワのピアノがリズミカルかつエレガントなフレーズを綴る。途中で４ビートになるが、シャーがジャジーなフルート・ソロを繰り広げる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　B面の１曲目「ロサンゼルス」は、おそらくアルバム中もっとも精魂込めて作られた楽曲だろう。シンセサイザー・サウンドが主軸に据えられたファンキーな序盤、アコースティック・ピアノがリリカルな世界を演出する中盤、そしてリズム・セクションとオーケストラとが一体となりアップテンポで走り抜ける終盤と、アーバンでドラマティックな展開を見せる、実に聴き応えのあるナンバーだ。前述の人気曲「ライフ・イズ・ライク・ア・サンバ」は、ダンサブルなブラジリアン・フュージョン。軽快なサンバのリズムに乗って、ベノワのピアノが哀愁漂う美しい旋律を奏でていく。サビで<strong>シャカタク</strong>風にソフィスティケーテッドなコーラスが挿入されるが、実はベノワのほうが先を越していた。いずれにしても、彼の初期のマスターピースと云える。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>　アルバムのラストを飾る「シーガルズ・パラダイス」では、まずテンポ・ルバートでベノワのロマンティックでエモーショナルなピアノ・プレイを堪能することができる。その後インテンポしてからは、ゆったりとしたリズムとソフトなストリングスとが交錯しながら、詩的な情緒や美しい情景を描いていく。そんななかでもベノワはメロディアスなフレーズを次々と紡ぎ出していき、爽やかな余韻を残す。以上のように本作は、緩急がつけられた楽曲構成となっており、終始リスナーを飽きさせることはないだろう。むろん冒頭で云ったように、現在のベノワも瑞々しいピアノ演奏を聴かせてくれているわけだが、このデビュー作にはいまのサウンドにはない、若さゆえの音楽に対するひたむきさが強く感じられる。これを聴かずして、ベノワを語るべからずである。</p>
<p>&nbsp;</p>
<!-- START MoshimoAffiliateEasyLink -->
<p><script type="text/javascript">(function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a]||function(){arguments.currentScript=c.currentScript||c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q||[]).push(arguments)};c.getElementById(a)||(d=c.createElement(f),d.src=g,d.id=a,e=c.getElementsByTagName("body")[0],e.appendChild(d))})(window,document,"script","//dn.msmstatic.com/site/cardlink/bundle.js?20220329","msmaflink");msmaflink({"n":"Heavier Than Yesterday","b":"AVI Records","t":"David Benoit","d":"https:\/\/m.media-amazon.com","c_p":"","p":["\/images\/I\/41wycSY9kML._SL500_.jpg"],"u":{"u":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B01AXLNZSO","t":"amazon","r_v":""},"v":"2.1","b_l":[{"id":1,"u_tx":"Amazonで見る","u_bc":"#f79256","u_url":"https:\/\/www.amazon.co.jp\/dp\/B01AXLNZSO","a_id":3841547,"p_id":170,"pl_id":27060,"pc_id":185,"s_n":"amazon","u_so":1},{"id":2,"u_tx":"楽天市場で見る","u_bc":"#f76956","u_url":"https:\/\/search.rakuten.co.jp\/search\/mall\/Heavier%20Than%20Yesterday\/","a_id":3841545,"p_id":54,"pl_id":27059,"pc_id":54,"s_n":"rakuten","u_so":2},{"id":3,"u_tx":"Yahoo!ショッピングで見る","u_bc":"#66a7ff","u_url":"https:\/\/shopping.yahoo.co.jp\/search?first=1\u0026p=Heavier%20Than%20Yesterday","a_id":3841549,"p_id":1225,"pl_id":27061,"pc_id":1925,"s_n":"yahoo","u_so":3}],"eid":"o4jdN","s":"l"});</script></p>
<div id="msmaflink-o4jdN">リンク</div>
<!-- MoshimoAffiliateEasyLink END -->


<div class="wp-block-cocoon-blocks-balloon-ex-box-1 speech-wrap sb-id-13 sbs-default sbp-l sbis-cn cf block-box">
<div class="speech-person">
<figure class="speech-icon"><img decoding="async" class="speech-icon-image" src="https://kimama-music.com/wp-content/uploads/2022/12/kimama-listen2.png" alt="" /></figure>
<div class="speech-name"> </div>
</div>
<div class="speech-balloon has-border-color has-ex-a-border-color">
<p class="wp-block-paragraph">最後まで読んでいただき、ありがとうございました。</p>
</div>
</div>
<p></p>]]></content:encoded>
					
					<wfw:commentRss>https://kimama-music.com/david-benoit-heavier-than-yesterday/feed/</wfw:commentRss>
			<slash:comments>0</slash:comments>
		
		
			</item>
	</channel>
</rss>
